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自然な写真
投稿日:2017/8/30
2022 0
よくライフスタジオにお越しいただくお客様が私たちに伝えることがある。
【自然な写真を撮って欲しいです。】
その言葉を聞くたびに感じるのは、自然な写真とはなんだろうか?
自然という意味を見たときに辞書にはこう定義がされている。
人為が加わらない、本来そうであること。とある。
写真は意図して撮ることが多い。それは写真という結果物はカメラマンのシャッターで現れる為、人為的なものである。
それはつまり、自然とは言えないのではないかと毎回矛盾を感じながらも
私はシャッターを押している。
なんて私は失礼なんだろうか。そんな思いが溜まれば溜まるほどカメラを持つことが怖くなる。
毎月ライフスタジオでは写真と深く向き合う機会がある。
それは毎月行っている写真大辞典の主題だ。
大辞典の主題は、毎月変わって写真を撮っている。
最初は観察→形象化→抽象化→類推とこの順番で写真を撮っていたが、毎回主題をやる時に思ったのが、言葉を理解できない…だ。
その都度、心からあーーーちゃんと勉強しておくんだったと感じる。
だから言葉の意味をまず知り、その言葉を持ってどの様に被写体撮るのかを考え、自分の意味と被写体の持っている要素があっているのか写真を撮り確認する。
この一連の過程は、僕にとって"人とどの様に接してきたのか向き合う時間だ。"
よくスタジオで僕自身が言われる事がある。
"写真が安定していてつまらない。"
しかし、何がいけないのか分からなかった。
だって安定してるってことは、悪くないって事でしょう?と考えていたからだ。
しかし、逆を言うならば来る人みんなに同じ様に写真を撮っているという事である。
みんなに条件と環境を同じ様に使って写真を撮っていると言う事である。
それは、僕自身がその様な人生を接してきているという事だ。
問題なく人間関係を作りたい。安定した生活を送りたい。という誰しも思う事だ。
それが写真に出ている。
それだったら、プログラムを打ち込まれたロボットでもできる。
この意味を感じた時に僕の中で人にならなくてはという衝動にかられた。
よく同僚のカツに、マサクニはロボットって言われている。
その都度カツはゴリラでしょ!って思って野生的でない分、理性的なロボットの方がいいと思っていたが、
そうではなく、カツが僕に伝えたかったのが、人をちゃんと一人一人見なくてはダメだよ!という事だ。
上の方で伝えた様に、写真はとても主観的である。
だからこそ自然な写真の言葉に矛盾を感じる。
しかし、こちらの意図だけで写真を撮るのと、
被写体を知って、被写体に合う写真を撮るのとでは、
主観的な写真の意味が変わってくる。
ロボットの様に誰にでも安定した写真を撮ったり、カメラマンが撮りたい写真しか撮らない写真は、被写体を無視した写真という意味で絶対的主観であり。
被写体のたくさんの事を聞いて、知って、それらをスタジオのインテリアや光などを関連して撮る主観的な写真は、被写体が軸で作られているので客観と主観の写真になる。
それが、毎月やっている写真分析主題を通して知る事ができた。
観察を通して私がどうやって被写体を見ているのか知り→形象化を通して自分の見ている被写体を具現化して→抽象化を通して、果たしてそれが本当にそうなのかまた確認して→類推を通して、また新しい視線で被写体を見る。
これの自分が人を見るフィルターを変える事が自然な写真を撮る為に私に必要であり、人生に必要な事だ。
ライフスタジオには毎日多くのお客様が起こしいただいている。
十人十色、撮影内容は同じでも、被写体が違うので写真も変わらなくてはいけない。
この写真も一歳の誕生日記念という撮影内容であった。
スタジオに入るなり、警戒心を強めてパパとママから離れない姿を見たとき
ゆっくり彼を知っていこうと感じた。
ママやパパと撮影の話をしながらも
横目で彼を見てどんな状態なのか、何を感じているのかよく見る。
時間がたっても僕に対して警戒心がなくなる事はなかったが
彼の生き生きとした瞬間が現れた。
その先には、車があった!
性別関係なく子供たちは車が大好きだ。
なぜか車に魅了し惹きつけられている。
それは、車が好奇心の塊だからではないかと感じる。
男の子にとっては、特におもちゃとして毎日遊んでいるものがスタジオでは自分より大きくなっている。
私たちがガラケーがiPhoneに変わったとき感じたもの、それは日常的に接してきたものが、突如姿を変えたら好奇心がわくのは当然ではないだろうか。
自然な写真とは、被写体の日常の姿を美しく撮るだと私は考える。
彼は仕切りに車をずっと眺めては、ママの方を向いて泣きながら向かう。
でも、それが一回ではなく何度も同じ様に繰り返すので、きっとこの子は何か車に好奇心を持っているが、
踏み込めないでいるんだと感じたので、彼の好奇心を表現したく、この瞬間でシャッターを押した。
モニターを通してパパとママの反応を見た時に、その写真が少し75カットの中で少し反応が違かった。
それは、可愛いではなく、よくこの顔する。この子らしいと、とても喜んでいた。
僕達は写真を美しい撮ることは、必ずしなくてはいけない。
美しく撮るということは、被写体を良く観察して、自分の中の持っているイメージを具現化して、本当にその被写体にあっているか確認して、予想する必要がある。
それは、被写体と自分に深く入り一緒に作らなくてはいけない。
その為には、まずは私が人をどの様に見ているのか相手にあったフィルターを作らなくてはいけない。
それがロボットでは撮れない、自然な写真を撮る事だと私は思う。
Photo & Written by Masakuni Kikuchi
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