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草加店
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言葉の壁を越えるとき
投稿日:2017/6/17
1476 0
Photo by Hiroyuki Suzuki
Written by Ayako Kai
目に見えないものを伝えること程難しい事はなくて
あるゆる手段を使って人は理解してもらおうとする。
幸運にも私たちは言葉を持っていて
その形をつかむことは出来る。
ただ100%ではなく「なんとなく」というぐらいで。
人は自分の経験を判断の材料とする。
嬉しさ
悲しさ
怒り
そんな感情が日常では目まぐるしく展開されて
少しずつ蓄積しながら自分を豊かにしていく。
人それぞれ通ってきた道は違くて
抱えている材料も異なるから
100%分かり合うことは難しい。
カメラマンとコーディ―ネーター。
2人1組で撮影に臨むが
単にシャッターを切るわけではなく
単に髪や衣装を正すわけではない。
それぞれが被写体に対するイメージを持ち
撮りたい瞬間を想像し
撮影の前に認識合わせをする事もある。
撮影を共にする程お互いの理解度は高くなり
カメラマンの一言、一挙動で何を撮ろうとしているのか
把握出来るようになる。
全てを話さなくても動ける撮影というのはとても気持ちのいいものだ。
その子は美しい子だった。
すっきりと整った顔立ちは決して派手ではないが
見つめられると引き込まれそうな魅力があった。
カメラマンの様子から彼女の撮りたいイメージが
自分のベクトルと同様である事を理解する。
不意に彼女の表情にドキリとする。
直前までくしゃっと笑っていた顔が変化した。
家族撮影の時のリラックスした表情でもなく
姉妹撮影で見せた優しい姉としての表情とは違う
凛とした表情。
まるでこちらの意図を察するように
カメラを見つめる。
「察しのいい子なんだな」
ふとそんな事を考えた。
その時間十分に光が届かないその場所は
彼女にも影を落とす。
インテリアの少し傷ついた窓と
それに描かれた文字がぼかされる事でスモーキーに写り
彼女の表情へ視線を誘導する役割を果たしながら
写真を不鮮明で魅惑的なものへと変える。
そして彼女の表情と
寄りかかる仕草はアンニュイな雰囲気を一層際立たせる。
100%の理解は難しい。
しかし
カメラマン、コーディそして被写体が同じように感じとった「何か」。
この1枚はそれが表現された瞬間のように思える。
Written by Ayako Kai
目に見えないものを伝えること程難しい事はなくて
あるゆる手段を使って人は理解してもらおうとする。
幸運にも私たちは言葉を持っていて
その形をつかむことは出来る。
ただ100%ではなく「なんとなく」というぐらいで。
人は自分の経験を判断の材料とする。
嬉しさ
悲しさ
怒り
そんな感情が日常では目まぐるしく展開されて
少しずつ蓄積しながら自分を豊かにしていく。
人それぞれ通ってきた道は違くて
抱えている材料も異なるから
100%分かり合うことは難しい。
カメラマンとコーディ―ネーター。
2人1組で撮影に臨むが
単にシャッターを切るわけではなく
単に髪や衣装を正すわけではない。
それぞれが被写体に対するイメージを持ち
撮りたい瞬間を想像し
撮影の前に認識合わせをする事もある。
撮影を共にする程お互いの理解度は高くなり
カメラマンの一言、一挙動で何を撮ろうとしているのか
把握出来るようになる。
全てを話さなくても動ける撮影というのはとても気持ちのいいものだ。
その子は美しい子だった。
すっきりと整った顔立ちは決して派手ではないが
見つめられると引き込まれそうな魅力があった。
カメラマンの様子から彼女の撮りたいイメージが
自分のベクトルと同様である事を理解する。
不意に彼女の表情にドキリとする。
直前までくしゃっと笑っていた顔が変化した。
家族撮影の時のリラックスした表情でもなく
姉妹撮影で見せた優しい姉としての表情とは違う
凛とした表情。
まるでこちらの意図を察するように
カメラを見つめる。
「察しのいい子なんだな」
ふとそんな事を考えた。
その時間十分に光が届かないその場所は
彼女にも影を落とす。
インテリアの少し傷ついた窓と
それに描かれた文字がぼかされる事でスモーキーに写り
彼女の表情へ視線を誘導する役割を果たしながら
写真を不鮮明で魅惑的なものへと変える。
そして彼女の表情と
寄りかかる仕草はアンニュイな雰囲気を一層際立たせる。
100%の理解は難しい。
しかし
カメラマン、コーディそして被写体が同じように感じとった「何か」。
この1枚はそれが表現された瞬間のように思える。
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