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草加店
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SOKA season4 project ‘Memory'
投稿日:2016/5/21
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1)photo by volvo
2)photo by akane
写真という行為を自己満足で終わらせないため、我々(ライフスタジオの構成員)は'関係'という概念で何かを形成していく。 撮りたい写真を自由に撮ってイメージ化できるが、それは個人展示会に使用するのが正しいだろう。 そしてその写真を満足している人が貨幣を通じて所蔵することができる。 またそれも自己満足に該当される。 私たちはすでに商業写真という仕事を選択し、そのように結んだ社会との協議は自分と連結されている社会との関係を容認したのだ。 それを前提にして形成されなければならない相互作用は顧客との関係だ。 しかし単純に買う、売るという関係は我々の理念には合わない。 ライフスタジオの歴史がそれを物語っており、学習組織に属する人たちとしての社会参加と連帯意識を実践しなければならない私たちは顧客をただ対象に眺めることはできない。 私たちが顧客との関係を通じて作って行くのは、ライフスタジオの言語にもあるように'ファミリー顧客'や'人生の写真館'であり、写真を通じてつくっていくのは、関係を美しく表現していくことであると思う。 それを誰が? 主体である自分がすることであり、ライフスタジオの構成員なら誰でもしなければならない役割なのだ。
それなら私たちがやっている写真を撮ることを違う観点を通じて眺めながら、日常で向き合う顧客という対象と関係するのが一緒に楽しくするために何をどうすれば良いか? 一貫した悩み、多様な方法の中に見つけたのは'存在の発見'である。 今していることの中で、もっと深く考えてみること。現場から大きく外れず、新鮮ながらも持続できるコンセプトを探して企画して演出して写真で表現することだ。 もう'SIXPACK'は草加店のプロジェクトで一つの文化として定着している。 SIXPACKは自分が持っている内面の武器を取り出して魅力的に発散することだ。 相手に先に近づいてきて手を差し出して閉ざされていた私を投げる意識の変化行為だと言える。 そして、それがお客様なら、提案をする。 写真を撮った私も、写真を撮られるあなたも一緒にするこの時間はみんなが主役という。 それで75カットを子供たちだけの写真ではなく家族みんなの写真で撮影して作ってきた。
みんなが主役である家族の75カットの中にはたまに夫婦カのブール撮影も進めてきた。 モデルのようにポーズを取りながら照れ笑いともに記念として残される。 ところがそれだけではぬるいかもしれない。 誰の親でもなく、誰の夫、妻でもなく、一人の誰かと愛をし、結婚をしたのだ。 その一人を発見したい、自分の存在を写真を通じて改めて想起できるなら、もっと自分を愛するようになっていないのか? 短い時間、たったの何枚の写真だが、それで私の尊厳を記憶することになれば、誰のために生きていく生活ではなく自分のための人生を考えるようになるのではないか... '自分の存在を発見すること、だから記憶すること。'それが今回の[Memory]のコンセプトである。
人間はある対象物や機械ではなく自律的な存在という事実を悟って自由を回復しなければならず、人間自身を本質から派生した非本質的なのではなく、本質的な実存として認識しなければならない
-Sartre、Jean-Paul
目的や目標を立てて計画して実行することが普通の仕事をする過程である。 また、このすべての全般的な過程を実践と呼んで、期待したことを実際に成し遂げた時に実現されたという。 数年間、プロジェクトを持続的にしてきながら、得るようになったのがあれば現実感だ。 計画したのが、きちんと完成され、実体するものとしてなるためには、具体的な内容が必要である。 具体的な内容は現実的な内容に該当される。 そして具体的なものは'準備'をすることから出てくる。 従って、目標が現実的に実現するためには具体的な準備が必要であるということだ。 最も簡単な例がインテリアだ。 '素敵な空間を作りたい'は観念に過ぎない。 '素敵な空間を作るために森というテーマを立てた'は期待の中にある想像に過ぎない。 '森を作るためにそれと関連したイメージ資料を準備する'は具体的ではあるが、現実的にまだ可能かどうか分からない。 '森を実現するため、どのような木をどこで購入して、どこに配置し、いつ購入しておくか'というのが具体化に最も近い。 具体的な内容がなければ、現実化される可能性に近くなる。 最後に現実というのは今の条件と一致するかということだ。 期待と理想を実現させるため、従来から関係している周辺の条件や状況を排除することはできない。 過去と現在は現在と未来のようにつながっているからである。 結局、すべきものとしたいことは、調整と調和であり、それに対する基準は、現在と現実にあると考える。 つまり、従来のものを変えていき、新しい物を作っていく過程が現実的にまたは私たちが日常的に果たしていく準備の立場であり、変化・発展の姿かもしれない。
[Memory]というコンセプトをもっと面白くて整えられた姿で撮影するため、衣装と小物を準備して顧客に提案することにした。 物理的に時間余裕があるわけではないため、なるべく最後の撮影を利用することにし、雰囲気と反応に合わせて進めることにした。 写真はデザイン作業をしてモバイルに送り、インスタグラムに載せて蓄積していくことを1次目標と定めたが、4月一ヵ月間の成果は率直に微弱だ。 まだ草加店でboomが起こらない状態だが、理由は予想したように、たったの何分の撮影でも大人をコーディネートして準備するには所要される時間が多いからだ。 また、子供が中心である撮影で家族、夫婦、自分の存在まで、撮影の範囲や意識の拡張は撮られる人も、撮る人もまだ大きく心に響いていないからだ。 しかし、これは当然な現象だと判断している。 写真の変化が、認識が変わる時期だと思うが、自分を取り囲んでいる環境の中で習慣を見直すというのは思ったより簡単なことではない。 結局、認識は実践が同伴される際に変化と言えるためだ。 それなら方法があるだろうか。 当たり前なことを当然のそのまま置かないのが方法である。 条件と環境を作らなければならないという言葉を私たちはよく使用している。 その条件と環境を変えるため、持続的にテーマを投げかけることだ。 写真のコンセプトも同じだと思う。 カップルの写真という一部のコンセプトだが、75カットの中のたったの何カットだったり、家族写真の部分という形態的なもの以外に別の視点で被写体を眺めて人間という被写体についてより深く考えながら写真に対する認識の幅を広げて、自分の意識世界を形成していくことが重要である。 そして、そのような考えや行動を撮影者たちが一緒に共有し、共感できるように写真について議論して作って行く過程そのものが習慣になってくるとその中で変化は起こることになる。 そのように一歩ずつ努力していくことだ。
新たな価値を生成して実現する上で写真は技術的な表現ももちろん必要であり、作用されなければならないが、行為する意味合いも含まれなければならない。またそれが伝達するべきだと考えている。 行為の意味の中には関係されているすべてのものが入っているためだ。 写真を撮っている私、写真に撮られるあなた、そして時空間まで...そしてそれを共にする私たちまで。
2)photo by akane
写真という行為を自己満足で終わらせないため、我々(ライフスタジオの構成員)は'関係'という概念で何かを形成していく。 撮りたい写真を自由に撮ってイメージ化できるが、それは個人展示会に使用するのが正しいだろう。 そしてその写真を満足している人が貨幣を通じて所蔵することができる。 またそれも自己満足に該当される。 私たちはすでに商業写真という仕事を選択し、そのように結んだ社会との協議は自分と連結されている社会との関係を容認したのだ。 それを前提にして形成されなければならない相互作用は顧客との関係だ。 しかし単純に買う、売るという関係は我々の理念には合わない。 ライフスタジオの歴史がそれを物語っており、学習組織に属する人たちとしての社会参加と連帯意識を実践しなければならない私たちは顧客をただ対象に眺めることはできない。 私たちが顧客との関係を通じて作って行くのは、ライフスタジオの言語にもあるように'ファミリー顧客'や'人生の写真館'であり、写真を通じてつくっていくのは、関係を美しく表現していくことであると思う。 それを誰が? 主体である自分がすることであり、ライフスタジオの構成員なら誰でもしなければならない役割なのだ。
それなら私たちがやっている写真を撮ることを違う観点を通じて眺めながら、日常で向き合う顧客という対象と関係するのが一緒に楽しくするために何をどうすれば良いか? 一貫した悩み、多様な方法の中に見つけたのは'存在の発見'である。 今していることの中で、もっと深く考えてみること。現場から大きく外れず、新鮮ながらも持続できるコンセプトを探して企画して演出して写真で表現することだ。 もう'SIXPACK'は草加店のプロジェクトで一つの文化として定着している。 SIXPACKは自分が持っている内面の武器を取り出して魅力的に発散することだ。 相手に先に近づいてきて手を差し出して閉ざされていた私を投げる意識の変化行為だと言える。 そして、それがお客様なら、提案をする。 写真を撮った私も、写真を撮られるあなたも一緒にするこの時間はみんなが主役という。 それで75カットを子供たちだけの写真ではなく家族みんなの写真で撮影して作ってきた。
みんなが主役である家族の75カットの中にはたまに夫婦カのブール撮影も進めてきた。 モデルのようにポーズを取りながら照れ笑いともに記念として残される。 ところがそれだけではぬるいかもしれない。 誰の親でもなく、誰の夫、妻でもなく、一人の誰かと愛をし、結婚をしたのだ。 その一人を発見したい、自分の存在を写真を通じて改めて想起できるなら、もっと自分を愛するようになっていないのか? 短い時間、たったの何枚の写真だが、それで私の尊厳を記憶することになれば、誰のために生きていく生活ではなく自分のための人生を考えるようになるのではないか... '自分の存在を発見すること、だから記憶すること。'それが今回の[Memory]のコンセプトである。
人間はある対象物や機械ではなく自律的な存在という事実を悟って自由を回復しなければならず、人間自身を本質から派生した非本質的なのではなく、本質的な実存として認識しなければならない
-Sartre、Jean-Paul
目的や目標を立てて計画して実行することが普通の仕事をする過程である。 また、このすべての全般的な過程を実践と呼んで、期待したことを実際に成し遂げた時に実現されたという。 数年間、プロジェクトを持続的にしてきながら、得るようになったのがあれば現実感だ。 計画したのが、きちんと完成され、実体するものとしてなるためには、具体的な内容が必要である。 具体的な内容は現実的な内容に該当される。 そして具体的なものは'準備'をすることから出てくる。 従って、目標が現実的に実現するためには具体的な準備が必要であるということだ。 最も簡単な例がインテリアだ。 '素敵な空間を作りたい'は観念に過ぎない。 '素敵な空間を作るために森というテーマを立てた'は期待の中にある想像に過ぎない。 '森を作るためにそれと関連したイメージ資料を準備する'は具体的ではあるが、現実的にまだ可能かどうか分からない。 '森を実現するため、どのような木をどこで購入して、どこに配置し、いつ購入しておくか'というのが具体化に最も近い。 具体的な内容がなければ、現実化される可能性に近くなる。 最後に現実というのは今の条件と一致するかということだ。 期待と理想を実現させるため、従来から関係している周辺の条件や状況を排除することはできない。 過去と現在は現在と未来のようにつながっているからである。 結局、すべきものとしたいことは、調整と調和であり、それに対する基準は、現在と現実にあると考える。 つまり、従来のものを変えていき、新しい物を作っていく過程が現実的にまたは私たちが日常的に果たしていく準備の立場であり、変化・発展の姿かもしれない。
[Memory]というコンセプトをもっと面白くて整えられた姿で撮影するため、衣装と小物を準備して顧客に提案することにした。 物理的に時間余裕があるわけではないため、なるべく最後の撮影を利用することにし、雰囲気と反応に合わせて進めることにした。 写真はデザイン作業をしてモバイルに送り、インスタグラムに載せて蓄積していくことを1次目標と定めたが、4月一ヵ月間の成果は率直に微弱だ。 まだ草加店でboomが起こらない状態だが、理由は予想したように、たったの何分の撮影でも大人をコーディネートして準備するには所要される時間が多いからだ。 また、子供が中心である撮影で家族、夫婦、自分の存在まで、撮影の範囲や意識の拡張は撮られる人も、撮る人もまだ大きく心に響いていないからだ。 しかし、これは当然な現象だと判断している。 写真の変化が、認識が変わる時期だと思うが、自分を取り囲んでいる環境の中で習慣を見直すというのは思ったより簡単なことではない。 結局、認識は実践が同伴される際に変化と言えるためだ。 それなら方法があるだろうか。 当たり前なことを当然のそのまま置かないのが方法である。 条件と環境を作らなければならないという言葉を私たちはよく使用している。 その条件と環境を変えるため、持続的にテーマを投げかけることだ。 写真のコンセプトも同じだと思う。 カップルの写真という一部のコンセプトだが、75カットの中のたったの何カットだったり、家族写真の部分という形態的なもの以外に別の視点で被写体を眺めて人間という被写体についてより深く考えながら写真に対する認識の幅を広げて、自分の意識世界を形成していくことが重要である。 そして、そのような考えや行動を撮影者たちが一緒に共有し、共感できるように写真について議論して作って行く過程そのものが習慣になってくるとその中で変化は起こることになる。 そのように一歩ずつ努力していくことだ。
新たな価値を生成して実現する上で写真は技術的な表現ももちろん必要であり、作用されなければならないが、行為する意味合いも含まれなければならない。またそれが伝達するべきだと考えている。 行為の意味の中には関係されているすべてのものが入っているためだ。 写真を撮っている私、写真に撮られるあなた、そして時空間まで...そしてそれを共にする私たちまで。
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