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Photo 『 明日からの自分へ 』
投稿日:2016/2/17
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Life Studio Shonan
photo by Masashi Kuroki
codi by Chisaki Yamane
「自分自身と向き合う」などとよく言いますが、そういった時、人はどれだけ自分自身と向き合えているのでしょうか。
ライフスタジオでは日々、写真というものを軸として多くのことを学び、討論し、人である「自分」を高めていっています。
そういった生活の要所要所で皆それぞれ自分自身と向き合わなければならない局面に出くわします。
しかし、自分自身の足りない部分や出来ない事、知らなかったと認めなければならないことを自分自身に突きつけざるを得ない時、
誰しも躊躇するでしょう。
そこで正面から自分自身と向き合うという行為が出来れば自身の成長に繋がっていくのでしょうが、やはりそれを拒んでしまうことも多々あります。
それは当然の事ながら自分の知識や技量などの範囲の狭さを認めたくはないからです。
私にも思う節がたくさんあります。
しかし、撮影においてそれを拒むことは許してはくれません。
なぜなら、この写真に写っている「彼」が「それ」を見ているからです。
私たちは当然として可愛らしいインテリアや小物、そしておしゃれな衣装など多くの要素が存在する中撮影をしています。
ですが時折こういった局面に出くわします。
それはまるで野生の獣同士が出会い頭をくらってしまったかのように。
その一瞬で場面は緊迫します。
互いに目を見合い、互いの出方を伺います。
その瞬間、私と彼のいる四角い箱の白い壁が一面ずつ音も無く倒れていきます。
そして互いに武器を持たず完全丸腰で丸裸な勝負が始まるのです。
ここで自分自身と向き合う他ない瞬間が訪れます。
私は考えます。
「どう写せば良いのか?」
そこで私が出した答えはこれでした。
「彼の真の成長の過程を残したい」
正直言葉に詰まった部分もあったかもしれません。
ですが、「今、自分に何も無い。」と認められたからこそ出た答えだったかもしれません。
この瞬間は私の撮りたい写真などという事ではなく、この少年の「今」を真正面から写し出さなければならないと必死でした。
余計な言葉をかけて壊してしまってはならないという緊張感もありました。
しかし、今の俺たちには何も必要ないという絶妙な間合いと安堵感も共存していました。
七五三の着物や園服、オムツ姿やランドセルなど、成長を表すものは沢山あります。
ですがそういったものに一切寄りかかることの出来ない「成長」をも写すことが私たちの役割でもあると思います。
「自らで己を知ること。」
その機会や局面は多くてもついつい避けてしまいがちになってしまう。
しかし、拒むことを許されない場面が多く存在するからこそ私たちは邁進できているのかもしれません。
これが「今の彼」というものを写し出す「今の私」の限界だったかもしれない。
でも数年後、彼とまた同じ局面に出くわす前に「もっと限界を上げておけよ!」と明日からの自分に言っておく。
photo by Masashi Kuroki
codi by Chisaki Yamane
「自分自身と向き合う」などとよく言いますが、そういった時、人はどれだけ自分自身と向き合えているのでしょうか。
ライフスタジオでは日々、写真というものを軸として多くのことを学び、討論し、人である「自分」を高めていっています。
そういった生活の要所要所で皆それぞれ自分自身と向き合わなければならない局面に出くわします。
しかし、自分自身の足りない部分や出来ない事、知らなかったと認めなければならないことを自分自身に突きつけざるを得ない時、
誰しも躊躇するでしょう。
そこで正面から自分自身と向き合うという行為が出来れば自身の成長に繋がっていくのでしょうが、やはりそれを拒んでしまうことも多々あります。
それは当然の事ながら自分の知識や技量などの範囲の狭さを認めたくはないからです。
私にも思う節がたくさんあります。
しかし、撮影においてそれを拒むことは許してはくれません。
なぜなら、この写真に写っている「彼」が「それ」を見ているからです。
私たちは当然として可愛らしいインテリアや小物、そしておしゃれな衣装など多くの要素が存在する中撮影をしています。
ですが時折こういった局面に出くわします。
それはまるで野生の獣同士が出会い頭をくらってしまったかのように。
その一瞬で場面は緊迫します。
互いに目を見合い、互いの出方を伺います。
その瞬間、私と彼のいる四角い箱の白い壁が一面ずつ音も無く倒れていきます。
そして互いに武器を持たず完全丸腰で丸裸な勝負が始まるのです。
ここで自分自身と向き合う他ない瞬間が訪れます。
私は考えます。
「どう写せば良いのか?」
そこで私が出した答えはこれでした。
「彼の真の成長の過程を残したい」
正直言葉に詰まった部分もあったかもしれません。
ですが、「今、自分に何も無い。」と認められたからこそ出た答えだったかもしれません。
この瞬間は私の撮りたい写真などという事ではなく、この少年の「今」を真正面から写し出さなければならないと必死でした。
余計な言葉をかけて壊してしまってはならないという緊張感もありました。
しかし、今の俺たちには何も必要ないという絶妙な間合いと安堵感も共存していました。
七五三の着物や園服、オムツ姿やランドセルなど、成長を表すものは沢山あります。
ですがそういったものに一切寄りかかることの出来ない「成長」をも写すことが私たちの役割でもあると思います。
「自らで己を知ること。」
その機会や局面は多くてもついつい避けてしまいがちになってしまう。
しかし、拒むことを許されない場面が多く存在するからこそ私たちは邁進できているのかもしれません。
これが「今の彼」というものを写し出す「今の私」の限界だったかもしれない。
でも数年後、彼とまた同じ局面に出くわす前に「もっと限界を上げておけよ!」と明日からの自分に言っておく。
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