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Photo 『 富士の山 』
投稿日:2015/11/1
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Life studio Shonan
Photo by Masashi Kuroki
Codi by Mayuko Hara
人は物事の全てを言葉に表さないと気が済まない。
少々極端な言い方をしていますが、私たちにはあるひとつの物事に対し何かを感じると言葉として、そして文字として表すというある種の習性のようなものがあります。
それがいわゆる「人間」の生き方というものなのでしょう。
言葉を使って話し、伝え、理解をする、そして時にその言葉が人を傷つけたり誤解を招いたりもします。
そしてその誤解を解くためにまた人は言葉を探します。
今回はそんな「言葉と写真の関係性」についての想いを記そうと思うのです。
私は写真を撮っている仲間達と時折集合し晩ご飯を共にしたりします。
そんな仲間達との席だけあって気が付くと話題はいつも写真の話になっていきます。
そういった席でよく挙がる話題として「普遍的な美とは?」というものがあります。
普遍的 : 例外なく全てのものにあてはまること。
辞書にはこうありますが、普遍的な“美”となると難しくなり、更には「普遍的な美の写真」となればそれは単純に言葉では表現することが困難になります。
勿論、言葉だけでの意味では、全ての人が美しいと認める写真ということなのかもしれませんが、そもそもそんな写真は存在するのか分かりません。
しかし私たちはその普遍的な美の写真を説明できなくてはならないところに位置し、追求しなければなりません。
だからこそ毎度その話が終わる事無く続いていくのです。
私はこんな事を毎日、毎回の撮影そして日常で頭の片隅に置きながら生きているわけですが、一つそこにたどり着くために必要なものを感じました。
それは条件をどれだけ増やし続けられるかということ。
これが普遍的な美の写真です。というものを残すという事ではなく「いつでも、どこでも、どんな状況下でもそれを追求し続けるための条件を増やし続けられるか」ということなのではないかということです。
例えば、日本を代表するものとして富士山があります。
その富士の山は朝でも夜でも夕暮れでも夏でも冬でも全てにおいて美しさを表現しています。
そしてその美しさは単に美しいだけでなく時に自然の厳しさをも美しさとしてしまいます。
つまり普遍的な美というものはただ一点についてだけでは美と成らず、多くの環境や状況で対応し吸収できること。そのために自己で条件を立て続け越えていくことなのではないでしょうか。
到底まだまだその先は長い道のりです。
永遠にたどり着けないかもしれません。
しかし、だからこそ私たちが向かい続けなければならない道なのかもしれません。
ここまで散々、言葉について話してきましたが先日そんなことを払拭するような出来事がありました。
それはある女の子との出会いでした。
その子は言葉を使うことなく私に眼で話しかけてきました。
話しかけられただけでなくこちらもしっかりと彼女の気持ちを理解することができました。
その瞬間、胸が暖かくなりまるで人間の神秘に触れたかのような感覚になりました。
その暖かさに包まれた瞬間、私はこう感じました。
言葉は時に確認するだけの手段であり伝える手段はまた別に存在するのだと。
私は今、全てを言葉で言い表す事など出来るはずもないこんなにも普遍的に奥が深い人間に生まれて幸せであると感じています。
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