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『 白紙の教科書 』
投稿日:2018/4/29
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No.24 Life studio Shonan
photo by Masashi Kuroki
coordi by Satomi Sugawara
昨今、世の中は便利な時代となり、知らない事、触れたこともない事を一瞬にして検索することが出来ます。
いわゆる「ググる」ということです。
そして、その調べただけの知識をあたかも自分の知識や経験としてしまうことも少なくないかもしれません。
勿論、教科書に載っているような事は全て調べれば良いのかもしれませんが、では、教科書に載っていない事を調べるにはどうすれば良いのでしょう?
無論、この答えには「発想する」という答えしか私には見当たりません。
ですが、何でも検索することに馴れてしまうといずれ人が考える事をしなくなってしまう時が来るかもしれません。
少々大袈裟ではありますが、私達が「人の人生を写真とする」にあたっての私なりの教科書の綴り方のお話をします。
「今までとこれから」
私たちは日々、縁あって巡り会った人達の「今」を撮らせてもらっています。
つまりその「今」というのは「今まで ○ これから」の○の部分を指します。
入学、誕生日など、あくまで「今」の瞬間です。
ですが、それは樹木で言うところの「皮」いわゆる表面の部分なのかもしれません。
もっと言ってしまえば、大木を切りそこに刻まれている「年輪の一番外側の円だけ」を撮っている事なのかもしれません。
そこで、私は常に「今までと今、そしてこれからの全て」を一枚の写真に残したいと考えてしまいます。
勿論、生まれたての瞬間から毎年毎年を残していくことでその一つずつの年輪は残せていっているのですが、私が欲張りなのか異常なのかその全てを出来る限りその一枚に残したいと思ってしまうのです。
その欲のようなものが私の頭を支配してしまうのが「家族写真」なのです。
家族が多ければ多い程にその年輪は多くなります。
そしてお父さんお母さんは勿論の事ながらおじいちゃんやおばあちゃんがいればその年輪はさらに深くなっていきます。
それを一枚に、となるととんでもない重圧が私にのしかかります。
でも、家族写真はそれだけ重いものなんですよ。
とはいっても、重いという分、考える要素が多くてこれがまた楽しくしてたまりません。
私はその「人そのもの」を残したいと思う時は迷わず白の部屋を選びます。
何にも邪魔されることなく、その人たちだけと向き合える真っ白というとても贅沢なインテリア。
しかし、良い事だけではなく、しっかりと向き合い想像し構成していかないと悪さも露呈してしまう怖いインテリアでもあります。
だからこそ、そうならないためにここで重要なのは「そこに写る人たちとの会話」です。
私たちは撮影を進める上で彼らと話し、少しずつ角度、向き、カメラからの距離そして余白のバランスを構築していきました。
• 先ずは先に述べた「今まで」の構築です。
二人の今まではご主人の背中にある余白がそれを意味します。
その余白は「今まで」の表現なので二人の正面側横から届く光が少なくあくまで通り過ぎた過去を表せるような「過去の余白」から作り二人を配置します。
• 次に「これから」の表現ですが、それは写真左側から二人にそしてお腹の中にいる新たな命に向かって差し込む光、そしてわずかな余白です。
• 最後に「今」の表現ですが、これは二人が支え合いながら共に並んで歩み続けているという意味での二人の位置関係です。
カメラから見て二人に少々前後差を設けることでその奥行きが今のリアリティと「歩み」を表します。
合わせて、「過去」「現在」「未来」を意味するための「色味」。
彩度を落とすことにより、明暗を強調し今の臨場感を際立たせると共に過ぎ去って行った過去も表現しています。
二人はアスリート。
共にその「ひとつのこと」に長い時間をかけ、一緒に追い続けてきた仲間同士。
そして夫婦となり、さらにその一点に向け支え合いながら歩み続ける二人。
そんな二人が歩んできた人生の苦悩や葛藤そして惜しみない努力、そういった話を二人は笑顔で語ってくれました。
勿論、二人の人生の話と言っても極々一部分なのでしょうが、撮影を進めながらそのお話に耳を傾け、時に私たちはカメラを置き、二人の話を聞き入ってしまう時間もありました。
そしてお話は今回の撮影に至る話になりました。
マタニティ撮影を勧めたのはご主人であるとのことでした。
奥様はご自身の撮影など考えてもいなかったようです。
そんな素敵なエピソードも聞き、私はなおさら「二人の人生」を一枚に残したいと考えざるを得ませんでした。
だからこそ「今までも、今も、そしてこれからも」を一枚に納める方法を考えなければなりませんでした。
私達が「人生の写真館」にいるのならば、そして「カメラを人の人生に向けている」のであるならば、私達の教科書はどこかから引っ張ってきた文字で埋め尽くされているものではなく「白紙の教科書」であるべきなのです。
きっかけはいつでもどこにでも沢山あります。
そのきっかけが見方によってはその教科書の1ページとなっていくのでしょう。
私は今、何ページ綴れているのでしょうか?
何ページで終わりが来るのでしょうか?
あなたは今、何ページ綴れていますか?
photo by Masashi Kuroki
coordi by Satomi Sugawara
昨今、世の中は便利な時代となり、知らない事、触れたこともない事を一瞬にして検索することが出来ます。
いわゆる「ググる」ということです。
そして、その調べただけの知識をあたかも自分の知識や経験としてしまうことも少なくないかもしれません。
勿論、教科書に載っているような事は全て調べれば良いのかもしれませんが、では、教科書に載っていない事を調べるにはどうすれば良いのでしょう?
無論、この答えには「発想する」という答えしか私には見当たりません。
ですが、何でも検索することに馴れてしまうといずれ人が考える事をしなくなってしまう時が来るかもしれません。
少々大袈裟ではありますが、私達が「人の人生を写真とする」にあたっての私なりの教科書の綴り方のお話をします。
「今までとこれから」
私たちは日々、縁あって巡り会った人達の「今」を撮らせてもらっています。
つまりその「今」というのは「今まで ○ これから」の○の部分を指します。
入学、誕生日など、あくまで「今」の瞬間です。
ですが、それは樹木で言うところの「皮」いわゆる表面の部分なのかもしれません。
もっと言ってしまえば、大木を切りそこに刻まれている「年輪の一番外側の円だけ」を撮っている事なのかもしれません。
そこで、私は常に「今までと今、そしてこれからの全て」を一枚の写真に残したいと考えてしまいます。
勿論、生まれたての瞬間から毎年毎年を残していくことでその一つずつの年輪は残せていっているのですが、私が欲張りなのか異常なのかその全てを出来る限りその一枚に残したいと思ってしまうのです。
その欲のようなものが私の頭を支配してしまうのが「家族写真」なのです。
家族が多ければ多い程にその年輪は多くなります。
そしてお父さんお母さんは勿論の事ながらおじいちゃんやおばあちゃんがいればその年輪はさらに深くなっていきます。
それを一枚に、となるととんでもない重圧が私にのしかかります。
でも、家族写真はそれだけ重いものなんですよ。
とはいっても、重いという分、考える要素が多くてこれがまた楽しくしてたまりません。
私はその「人そのもの」を残したいと思う時は迷わず白の部屋を選びます。
何にも邪魔されることなく、その人たちだけと向き合える真っ白というとても贅沢なインテリア。
しかし、良い事だけではなく、しっかりと向き合い想像し構成していかないと悪さも露呈してしまう怖いインテリアでもあります。
だからこそ、そうならないためにここで重要なのは「そこに写る人たちとの会話」です。
私たちは撮影を進める上で彼らと話し、少しずつ角度、向き、カメラからの距離そして余白のバランスを構築していきました。
• 先ずは先に述べた「今まで」の構築です。
二人の今まではご主人の背中にある余白がそれを意味します。
その余白は「今まで」の表現なので二人の正面側横から届く光が少なくあくまで通り過ぎた過去を表せるような「過去の余白」から作り二人を配置します。
• 次に「これから」の表現ですが、それは写真左側から二人にそしてお腹の中にいる新たな命に向かって差し込む光、そしてわずかな余白です。
• 最後に「今」の表現ですが、これは二人が支え合いながら共に並んで歩み続けているという意味での二人の位置関係です。
カメラから見て二人に少々前後差を設けることでその奥行きが今のリアリティと「歩み」を表します。
合わせて、「過去」「現在」「未来」を意味するための「色味」。
彩度を落とすことにより、明暗を強調し今の臨場感を際立たせると共に過ぎ去って行った過去も表現しています。
二人はアスリート。
共にその「ひとつのこと」に長い時間をかけ、一緒に追い続けてきた仲間同士。
そして夫婦となり、さらにその一点に向け支え合いながら歩み続ける二人。
そんな二人が歩んできた人生の苦悩や葛藤そして惜しみない努力、そういった話を二人は笑顔で語ってくれました。
勿論、二人の人生の話と言っても極々一部分なのでしょうが、撮影を進めながらそのお話に耳を傾け、時に私たちはカメラを置き、二人の話を聞き入ってしまう時間もありました。
そしてお話は今回の撮影に至る話になりました。
マタニティ撮影を勧めたのはご主人であるとのことでした。
奥様はご自身の撮影など考えてもいなかったようです。
そんな素敵なエピソードも聞き、私はなおさら「二人の人生」を一枚に残したいと考えざるを得ませんでした。
だからこそ「今までも、今も、そしてこれからも」を一枚に納める方法を考えなければなりませんでした。
私達が「人生の写真館」にいるのならば、そして「カメラを人の人生に向けている」のであるならば、私達の教科書はどこかから引っ張ってきた文字で埋め尽くされているものではなく「白紙の教科書」であるべきなのです。
きっかけはいつでもどこにでも沢山あります。
そのきっかけが見方によってはその教科書の1ページとなっていくのでしょう。
私は今、何ページ綴れているのでしょうか?
何ページで終わりが来るのでしょうか?
あなたは今、何ページ綴れていますか?
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