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『 意味 』
投稿日:2016/8/2
4156 0
No24 Shonan
photo/Chisaki Yamane
coordinate/Akimi Yoshikawa
私たちは日々多くの写真を撮っています。
私たちはなぜ写真を撮っているのでしょうか?
その写真を撮る意味とは何でしょうか?
それには、 2 つの意味が存在すると考えます。
まず 1 つは、お子様の成長の記録。できるだけ今のその子のありのままの色んな姿を残すこと。
そして、お子様だけではなく、家族の記録も同時に残していきます。
これらの記録は、やがて過去になりますが、将来その写真を見た時に、その時の記憶が蘇り、時空を超えて、記録というものだけではなく、記録から記憶を蘇らせることができるものになります。そして、その写真を将来子供たちが目にした時に、自分たちがどれだけ両親に愛されているのかということを実感するものにもなります。
また、その写真を家族で見ながら、あの時はこうだったね~思い出を振り返りながら
笑い合うこともできるでしょう。
過去と今を繋ぐ。今と未来を繋ぐ。過去と未来を繋ぐ。あなたと大切な人を繋ぐ。
私たちが残している写真にはそういった役割が存在し、それを残すのが私たちの使命であるとも言えます。
そしてもう 1 つはこの写真を撮ると言う事が、目的ではなく私たちの手段であるということ。私たちは 1 つめに言ったことを目的にしながら、写真と言う手段を使い、お客様に喜んでもらったり、多くのことを感じてもらったことに対して、自分の存在意義を感じたり、自分が行った事に対して多くの実感を得るでしょう。
私たちは写真を仕事にしています。
これはある意味私たちが生きる手段であって目的ではありません。
世の中では、生きる手段ばかりを教えられ、生きる目的を教えることを忘れられている場合が多くあるように思います。
そして、多くの人は、人それぞれどんな仕事をして生きようかと、生きる手段ばかり考えて生きているようにも感じます。しかもそれは数え切れないほどたくさんあり、目的といってもそう簡単には分かりません。
しかし、生きていく上で、どんな手段を用いるにせよ、 1 つだけ、全ての人に共通する目的があると考えます。
私たちが毎日生きているのは、他でもない、幸せを求めているということ。
どうやって幸せになるかという方法や手段は人それぞれですが。結局は誰もが幸福を求めて生きていると言えます。
そして、その手段の1つとして私たちは写真という方法を使っていると考えます。
このように、主に自分以外を主体(目に見えるものだけでなく、子供やパパママの考えや思いなど)として写真を撮っていくこと、
そして、自分を主体として撮影していくこと、
私たちの撮影では2つとも必要であり、どちらか1つが欠けてしまっては、成立しません。
彼女と会うのはこの時が2度目。
お互い最初から心を開放し、会話をするように私はシャッターを切った。
シャッターを切る度に、彼女の無邪気さと、1年前に会った時とは違う少し大人になった
彼女の魅力に触れた。
そして、自分が主体となりながら、彼女も主体となった瞬間が成立し、
私に写真を撮る意味を改めて投げかけてくれたのです。
photo/Chisaki Yamane
coordinate/Akimi Yoshikawa
私たちは日々多くの写真を撮っています。
私たちはなぜ写真を撮っているのでしょうか?
その写真を撮る意味とは何でしょうか?
それには、 2 つの意味が存在すると考えます。
まず 1 つは、お子様の成長の記録。できるだけ今のその子のありのままの色んな姿を残すこと。
そして、お子様だけではなく、家族の記録も同時に残していきます。
これらの記録は、やがて過去になりますが、将来その写真を見た時に、その時の記憶が蘇り、時空を超えて、記録というものだけではなく、記録から記憶を蘇らせることができるものになります。そして、その写真を将来子供たちが目にした時に、自分たちがどれだけ両親に愛されているのかということを実感するものにもなります。
また、その写真を家族で見ながら、あの時はこうだったね~思い出を振り返りながら
笑い合うこともできるでしょう。
過去と今を繋ぐ。今と未来を繋ぐ。過去と未来を繋ぐ。あなたと大切な人を繋ぐ。
私たちが残している写真にはそういった役割が存在し、それを残すのが私たちの使命であるとも言えます。
そしてもう 1 つはこの写真を撮ると言う事が、目的ではなく私たちの手段であるということ。私たちは 1 つめに言ったことを目的にしながら、写真と言う手段を使い、お客様に喜んでもらったり、多くのことを感じてもらったことに対して、自分の存在意義を感じたり、自分が行った事に対して多くの実感を得るでしょう。
私たちは写真を仕事にしています。
これはある意味私たちが生きる手段であって目的ではありません。
世の中では、生きる手段ばかりを教えられ、生きる目的を教えることを忘れられている場合が多くあるように思います。
そして、多くの人は、人それぞれどんな仕事をして生きようかと、生きる手段ばかり考えて生きているようにも感じます。しかもそれは数え切れないほどたくさんあり、目的といってもそう簡単には分かりません。
しかし、生きていく上で、どんな手段を用いるにせよ、 1 つだけ、全ての人に共通する目的があると考えます。
私たちが毎日生きているのは、他でもない、幸せを求めているということ。
どうやって幸せになるかという方法や手段は人それぞれですが。結局は誰もが幸福を求めて生きていると言えます。
そして、その手段の1つとして私たちは写真という方法を使っていると考えます。
このように、主に自分以外を主体(目に見えるものだけでなく、子供やパパママの考えや思いなど)として写真を撮っていくこと、
そして、自分を主体として撮影していくこと、
私たちの撮影では2つとも必要であり、どちらか1つが欠けてしまっては、成立しません。
彼女と会うのはこの時が2度目。
お互い最初から心を開放し、会話をするように私はシャッターを切った。
シャッターを切る度に、彼女の無邪気さと、1年前に会った時とは違う少し大人になった
彼女の魅力に触れた。
そして、自分が主体となりながら、彼女も主体となった瞬間が成立し、
私に写真を撮る意味を改めて投げかけてくれたのです。
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