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家族に
投稿日:2016/3/6
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私には妹がいる。
5つ離れているので、彼女が小さい頃には私もおむつの世話をしたりミルクを人肌になるまで冷ましたり、そんなことをした記憶が残っている。今は彼女の運転する車に乗って一緒にカラオケに行く。ライブにも行く。私の歳が増えたのと同じように彼女もまた大人になったんだなあと、そんな時にふとしみじみと感じるのだった。
同じ父親母親から生まれて、同じ家に育ったんだから当たり前に姉妹の絆も深まるものだ。と思っていた。
しかしこの間年末に、彼女は母の車を運転をしながら言った。
「でもうちらって一緒に住んでたのはほんの数年ってとこだよねー」
言われてみればそうだ。
私は18歳の時に大学進学とともに東京に出てきて、それからずっと関東に住んでいる。
だから私たち姉妹が物心ついたときから考えると一緒に過ごした時間は実はそんなに長くない。
彼女が高校生の多感な時期を過ごす頃に私は私で東京で学生生活をそれなりに謳歌していたから、自分のことばかりに夢中で、彼女がどのように友達と遊び親とどんな会話をしていたのかもそこまで詳しくは知らない。
妹から様々な悩みを相談を受けたこともあまりない。会話レベルでのやりとりから察するお互いの状況を確認しては、それほどに心配することもなかろうと心の中におさめてきた。
けれど、妹が関東に就職が決まったとき、何かあったら私が彼女を守らなければと思った。守る、というのは大げさだが、東北からやっとこさ出てきたまだまだ社会経験の少ない妹が地元を離れるということに対して、そこはかとなく不安もあったからそんな風に思った。
離れて過ごしていて年に数回しか顔を合わせなくても、深刻な悩みを相談してきたわけでもなく、ただ妹は妹で私は私として生きているそれだけを確かめてきた。
私にとって疑うことなく彼女は妹で、私は姉。
私の思う妹はいつも私の頭の中にいて、それを信じている、お互いの時間がそれぞれに進んでいっていても、いつ会っても姉妹としての関係性が変わることがないのはただそれを信じているから。
姉妹とは、家族とは、そんなものなのかもしれない。たぶん。
ただ血を分けた関係だという事実だけが示すのが「家族」というわけでもない気がするのはそんな瞬間だ。
思いあえる理由がある。
大事に思える存在が自分にとって必要なもので、「求められる幸せ」を与えてくれるのが私にとっては姉妹であったように思う。
日々たくさんの家族、きょうだいと接していて、これからそれぞれの形を作っていく家族の姿は自分にとってもあたたかく深い愛情として注ぎ込まれてくる。それを写真として美しく残したいと願いながら被写体を見つめる。それが自分が受け取ったものを包んでくれているあたたかいものたちに返せる唯一の手段であると思うからだ。
5つ離れているので、彼女が小さい頃には私もおむつの世話をしたりミルクを人肌になるまで冷ましたり、そんなことをした記憶が残っている。今は彼女の運転する車に乗って一緒にカラオケに行く。ライブにも行く。私の歳が増えたのと同じように彼女もまた大人になったんだなあと、そんな時にふとしみじみと感じるのだった。
同じ父親母親から生まれて、同じ家に育ったんだから当たり前に姉妹の絆も深まるものだ。と思っていた。
しかしこの間年末に、彼女は母の車を運転をしながら言った。
「でもうちらって一緒に住んでたのはほんの数年ってとこだよねー」
言われてみればそうだ。
私は18歳の時に大学進学とともに東京に出てきて、それからずっと関東に住んでいる。
だから私たち姉妹が物心ついたときから考えると一緒に過ごした時間は実はそんなに長くない。
彼女が高校生の多感な時期を過ごす頃に私は私で東京で学生生活をそれなりに謳歌していたから、自分のことばかりに夢中で、彼女がどのように友達と遊び親とどんな会話をしていたのかもそこまで詳しくは知らない。
妹から様々な悩みを相談を受けたこともあまりない。会話レベルでのやりとりから察するお互いの状況を確認しては、それほどに心配することもなかろうと心の中におさめてきた。
けれど、妹が関東に就職が決まったとき、何かあったら私が彼女を守らなければと思った。守る、というのは大げさだが、東北からやっとこさ出てきたまだまだ社会経験の少ない妹が地元を離れるということに対して、そこはかとなく不安もあったからそんな風に思った。
離れて過ごしていて年に数回しか顔を合わせなくても、深刻な悩みを相談してきたわけでもなく、ただ妹は妹で私は私として生きているそれだけを確かめてきた。
私にとって疑うことなく彼女は妹で、私は姉。
私の思う妹はいつも私の頭の中にいて、それを信じている、お互いの時間がそれぞれに進んでいっていても、いつ会っても姉妹としての関係性が変わることがないのはただそれを信じているから。
姉妹とは、家族とは、そんなものなのかもしれない。たぶん。
ただ血を分けた関係だという事実だけが示すのが「家族」というわけでもない気がするのはそんな瞬間だ。
思いあえる理由がある。
大事に思える存在が自分にとって必要なもので、「求められる幸せ」を与えてくれるのが私にとっては姉妹であったように思う。
日々たくさんの家族、きょうだいと接していて、これからそれぞれの形を作っていく家族の姿は自分にとってもあたたかく深い愛情として注ぎ込まれてくる。それを写真として美しく残したいと願いながら被写体を見つめる。それが自分が受け取ったものを包んでくれているあたたかいものたちに返せる唯一の手段であると思うからだ。
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