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3月 知識人の擁護 第二、三章
投稿日:2012/2/29
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矛盾とは、あることを一方では肯定し、同時に他方では否定するなど論理のつじつまが合わないこと。
物事の筋道や道理が合わないことを示すとされている。
他にも「矛盾」とは、韓非が『韓非子』のなかで儒家(孔子と孟子がその代表が批判のための例え話の中で、
「矛盾」という言葉を使ったとも言われている。
現在、自分自身が持っている矛盾が何なのかと考えてみるということは、単に自己否定をするという話ではない。
実際その部分に対して悩んでいる人が多く存在し、人間の多くの悩みが似たような事であるという理論からすれば、
今回の矛盾に対しての話はとても慎重に進めていかなければならないと捉えている。
発している言葉と行動が一致していないということに対して悩んだ経験があるのだとすれば、
それは他者に対して矛盾を感じさせてしまったと感じる経験があるからではないだろうか?
もちろん、その行為や人と人とのやり取りに対して考えたことが無ければ、
それすら他者に対して矛盾を感じさせるひとつの要因なのかもしれない。
うまくいかないことはこの世の中に沢山存在している。
「この世は矛盾だらけだ!!!!!」というような歌の歌詞を聞いたことがあるような感覚があるくらい、
現代人にとって矛盾を感じずに社会と繋がっている人は少ないかもしれない。
しかし、その原因はお互いの認識の違いや、誤解、知識不足、経験不足、コミュニケーション能力の低下、
社会性が乏しい、時間が足りないなどなど多くの理由が考えられる。
他の角度からも矛盾に対して考えてみたい。
「同時に正しいという主張が沢山あるということ」はライフスタジオにとってどのような意味を持つのだろうか?
そもそも矛盾という言葉はどうして存在しているのだろうか?
この世の中が矛盾していないのならば、矛盾という概念自体存在しなかったのか?
しかし、”世界が矛盾しているかどうか”と”この世に矛盾が一つも無い”というのは
全く別問題だと考える。世界が矛盾していなくても、この世界では矛盾していることが沢山あり、
正しくは、多数の言葉や発言等が互いに拮抗しているにもかかわらず、同時に正しいという主張が沢山あるということで矛盾の概念は生まれるはずだ。
話を少し戻すと、ライフスタジの内外に存在している矛盾というのが、
同時に正しい主張が沢山あるようであれば、それは人が一人ひとり自立して生きている証であり、
そのエネルギーこそがライフスタジオを次の時代へと動かしていく原動力になりえるかもしれない。
自分と相手の関係で必ず存在する、矛盾はある意味互いを理解する上での過程であるとすれば、
その矛盾を感じた分「実践」という方法で実行していく事が私の考える矛盾を克服する方法である。
もちろん、それが全てではないがひとつの方法として考えた。
更に克服するひとつの方法にプラスして考えたいのは、自分の中にある自分を出していく事と、
与えられたもの、学んだもの、影響されたものへの脱却と依存についての自己整理と
自分なりの軸をつくることが必要だと考える。そういった点を考えた事、感じた事が無いのであればそういった部分に対して
今回の話を機に本気で考えられるかどうかライフスタジオで討論をする理由も合わせて導いていけるよう
支店別討論でも自分の意見をきちんと伝えていきたい。
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