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life school ニコマコス倫理学

投稿日:2011/9/7

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二コマコス倫理学

 

第八巻 愛(フィリア)

 

愛の不可欠性とうるわしさ。

愛は、卓越性=徳といっていいもの、ないしは卓越性というものと切り離せないものなのである。更には我々の生活にたいしてこれほど欠くべからざるものはない。

たとえ他のあらゆる善きものを所有するひとであっても、親愛なる人々なくしては生きることを選ばないであろう。富裕な人達、国の支配的地位にある人達、国の政権を握る人達であっても親愛なる人々の必要は絶大である。

愛というものは単に我々の生活に不可欠たるにとどまらず、それはさらに、うるわしい。

エウリピデスは『土は乾いて雨を恋い、み空は雨を孕んで地に降らんことを恋う』と主張しており、ヘラクレイトスも、『対立するものが相手に役に立つ』ものなのであり、『相違するものものからこそ何よりもうるわしい』『万物は論争によって生ずる』と主張。

これらに対して、エムペドクレスはその反対である。彼らはすなわち、似たものを求めるのだ。

愛は、一種類しかないのか?それとも幾つかの種類があるのか?

実際、それは程度の差を容れるという理由から、一種類しかないものと考えている一部の人々もいる。

 

愛というものが存在しうるためには、いずれかの動機ゆえにお互いに好意を抱いており、お互いに相手からにとってのもろもろの善を願っているということ、そして、それのみならず、このことがそれぞれの相手かたに知られている事が必要である。

 

究極的な性質の愛は、善きひとびとと、つまり卓越性において類似した人々の間における愛である。いずれもひとしく願うことは『善きひとたるかぎりにおける相手かたにとっての善』なのである。相手かたの為に善を相手かたの為に願うひとびとこそが、最も充分な意味における親愛なる人々の為でなくてはならない。これら善き人々との愛は、彼らが善き人である限り永続する。卓越性というものは、固定的なものなのである。のみならず、これらの人達は、双方ともに無条件な意味においての善き人であるとともに、相手かたにとっての善き人である。

すなわち、全ての愛の存在理由は、無条件的な意味におけるないしは愛の主体にとっての善またはやすらぎのためであるし、また、愛は双方における何らかの類似性を基盤としているが、善き人々の愛にあってはまさに、これら挙げられた全てが彼ら人間自身に即して存在している。つまり、類似性ということにしても。それ以外の諸点にしても、全ては彼らのひととなりそのものに即して存在しているのである。

 

「それぞれの人生において自分のもっとも愛することを一緒にして友と日を過ごすのはまさにそれゆえである。それは、かれらが友と一緒に生きたいと願っているからであり、またそれをすれば友と一緒に生きられると思えるようないことをかれらがし、また、それを共にしようとするからである。」

__________________________________________________________

以下、HP参照

 

<愛・概観>

・人生にとって必要不可欠。⇒他の全てがあっても、友人が居ないとだめ。

・愛には数種類ある。

 

<愛に三種>

それを愛するのは…

・気持ちいいから。

・役に立つから。⇒快と善に還元。

・善いものだと思うから。

⇒善と快を追い求めている。「愛するに値する」

<無生物への愛はありえない。>

・無生物は、我々に愛し返すことはない。

・善くなれと願うこともない。

⇒無生物への愛はありえない。

「葡萄酒を愛する」ということがありえる場合には、「葡萄酒が保たれて、自分がそれを持っていられるように」という意味で大事にしているだけ。(所有愛)

⇔「友のためには、ひとはともそのひとのために善いことを願わなければならない」=対象愛(cf.descartes)

<愛に含まれる二要素>

・愛し返しがある。

・愛し返しがない場合、「好意あるひと」。(要:原語chk)

該当箇所では説明不足。

<友とは?>

原因は三種あるが、そこから導かれて、

・好意を抱き、

・相手のため(に善いこと)を願い、

・そう思ってると互いに気づいている(←なんでそうなんだ?)

ものだ。

<三種の愛の詳解>

・有用のため、

・快のため、

これらは手段として大切にされるだけである。付随的な愛。

⇒目的となるのは、自己の快。デカルトの理解と重なる。

・得られるものが得られなくなったら、愛は消える。

・恋愛=日がな一日一緒に暮らす=快だからだ。

・善さを認めて愛する=完全無欠。

・付随的な愛でない=その人自身のためを思って。

・善い人⇒快いものだし、役にも立つ。(矢印に注意)

・類似性からの愛もあるが、それは本人の善さが相手にも見てとれるから。

・それは稀。しかも、慣れ親しむための時間を必要とする。相手を愛するに値するものと見、信じるために。

・愛を願う気持ちは速やかに生まれるが、愛はそうではない。

・持続性がある。

<能動的な、愛>

・愛し合っている人々=「相手の存在を喜び」、「互いに相手に善いものをもたらし合っている。」

・そのもの自体としての善・快と、その人にとっての善・快を区別。⇒善き友人は両方備える。

・愛=「能動的に獲得された持続的な性向」≠(受動的な一時の)感情=愛情。

・それは、その愛に「選択」があるからであり、選択は「性向」から出るものだからだ。:意味不明

・選択について、選択≠欲望、劇場、願望、判断。選択←分別。選択←可能な事柄についてのみ。選択←悪と善について。「選択=善を知ったうえでの、実行」。人間性に関わるのかな。

・つまり、デカルトの善意志と重なる。

<対等でない愛>

・父と息子のような関係。

・それぞれにふさわしい愛の形がある。上下があるのに、同じものがやりとりされることはない。

・あと、優越の差がある場合。いっそう優れているほうは、むしろ愛される側。愛が相手の値打にふさわしい時、愛しあう者同士が、優越の差があっても、対等になる。

<愛の近いやなもの>

・胡麻すり=愛されるためにやる。

・大衆は尊敬を求める。権力者にそれを求めることは、尊敬それ自体を求めるよりは、それによる便宜を狙って。

・同じように、知識人から尊敬されたい人は、自分の考えを確かめたいから。⇒自己評価。

<愛されるよりも、愛する>

・愛されることは、それ自体が目的になる。

・しかし、愛の本性は、むしろ愛することにある。「子供を愛するか、子供に愛されるか、どちらかのみ選べ」と言われた母の応え。彼女は子供が幸せにしているのを見さえすれば、充分のようだ。

<血による愛>

・親は子供を自分自身として愛する。

・なぜなら、自分から切り離されて、別個のものとなった自分自身だからだ。:だったらネグレクトないよ。

・子供は、自分の源として、兄弟は同じものから出たものとして、愛しあう。

<人々が友とみなすのはどのような人か>

人々の愛の定義とも重なる。

1-1.善を相手のために願い、そして行為する人。

1-2.その人が存在していること、生きていることをその人のために願う人=母子

2-1.一緒に日々を生きる、趣味が同じ人。

2-2.一緒に共感する人。

<高尚なひと=自己自身との愛の関係>

1.和合した心の持ち主。同じ一つのものを魂の全体で欲求:意味不明。

2.自らのために善を願い、行為する。

3.自己保持を願う。特に、精神の。:9-9.感知

・達成や観想、自己共感―「自分とともに過ごすことを願う」

⇒友に対する関係も同じ。友はもう一人の自分。

<好意⇒愛>

・好意≠愛・愛情。

・愛情は馴染みあうことが必要、好意は即席でもありうる。

・好意=「不活動な愛」。発展すれば、愛になりうる。(ただし快や有用の愛でない)

・和合=愛の徴:意味不明。結果ということか?

<恩恵>

・恩恵を与える人は、恩恵を受けた人を、愛する。Ex.職人、詩人と作品の関係。

・その原因。「われわれが存在するのは活動によって」。作品は活動の証。「自分の存在をいつくしむから」、作品をいつくしむ。

・また、恩恵=美しい行為だ。相手に恩恵を施すことは、その行為の美しさを存在させる。

・労苦の結果得たものを、人はいっそう愛する。⇒出産。

<自愛 vs 他者愛>

・誰よりも自分を愛すべき?それとも自分以外の誰かを愛すべき?

・ひとびとの言葉:誰よりも自分を愛する人=エゴイスト。

・高尚な人は、行為の美しさゆえに行為し、すべてのことを友のために行う。

・劣悪な意味での自愛=他人よりも自分!な人。

・善良な意味での自愛=正しさ、器量にかなった行為をしようとする気持ち、「行為の美しさを自分のためにとっておこう」とする。

・最も自分を愛する者=人間における支配的な部分をいつくしみ、その意志を受け入れる人。

・自愛の相違はどこか=欲求の種類。行為の美しさを欲求するかと、役に立つと思われることを欲求するか。:美しさを、少し調べたほうがいい。

・自分の行為の美しさを考慮⇒友のためにもいろいろ為す。:もう一人の自己として見ているか不明な書き方。

⇒自愛の意味の取り方による。

・劣悪な意味でとるなら、自分を愛すべきとは言えない。

・善良な意味でとるなら、自分を愛すべき。

<一緒に過ごすこと>

・自分に対して持つのと同じような間隔を、友に対して持つ。(同一化)

・自分の存在するという感覚は望ましい。

⇒共についても同じ。だから、一緒に生活したいと思うのは当然。

 

 

 

一つ目の主題:『愛の種類とは?人間関係において愛とはどのような意味を持つのか?』

二つ目の主題:『愛は何によって伝え、感じ、受け入れるべきなのか?』

三つ目の主題:『愛は理性なのか?感情なのか?どちらでもないのか?』

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