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蛇にピアス

投稿日:2011/6/26

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蛇にピアス 金原ひとみ

 

~暗い時代を生き抜く若者の、受難と喪失の物語~

 

過激な「身体改造」の痛みや残酷さ。

嫌悪感を超えて伝わってくるものとは? 本作のモチーフになっているのは、身体改造。

耳のピアスから始まって、そのサイズや数を増大させたり、舌にピアスをしたりすることがらである。良識ある大人たちが「親にもらった身体を傷つけて・・・」と眉をひそめる現代の若者風俗だ。扱われているのは、蛇のように舌先を割る「スプリット・タン」といわれるかなりディープな身体改造当然、このモチーフの過激さばかりが話題になりがちなのはしかたないだろうし、ある年齢層より上の読者の中には共感しづらい内容だと即断された方もいるだろう。  普通の耳ピアス以上の太さのピアスを舌にいれ、それを段階的にさらに太くし、その穴を切り裂いていくスプリット・タン、まるで絵を描くようにざくざく彫る刺・・・想像するだけで痛い。残酷でもある。中には、生理的な嫌悪を感じる人もいるだろう。明らかに若者風俗が理解不能な「大人」の分類に属するし、嗜虐的なほうでもないと思う。だが、本作の身体を傷つけることを表現した記述には、嫌悪をまったく感じなかった。 それは、著者の表現力の問題ではない。もっと、別の「痛さ」が胸を貫いたからである。主人公のルイをはじめこの作品に登場する若者が、自身の、あるいは他人の身体に痛みを与えるという刺激で代替しようとしている「痛さ」。その「痛さ」は・・・孤独、焦燥、閉塞感、不安・・・その「痛さ」は、このどれにもあてはまるようで、あてはまらない。もっと、原始的で、切実なものだ。   本作では、ルイをはじめ登場人物たちが、どんな理由があって、身体に痛みを与えて改造することでしか代替できないような「痛さ」を抱えるようになったのかは一切語られない。 そう、理由などいらないのだ。生きているだけで、痛い。苦しい。やりきれない。切ない。狂おしい。 彼らは、その痛みを、耳障りのいい言葉で解消したり、社会とか誰かに還元しはしない。ただ、ひたすらに身体で引き受ける。   主人公の彼女のこの思いの前では、愛だとか恋だとか、そんな言葉は、とても、薄っぺらに見える。生きものとしての人が、生きものとしての人を求める切実な欲求が生み出す痛み。その痛みを、著者は、生のまま、掘り出して、物語にする。   この痛みは、限られた世代の、限られた嗜好の、限られた時代のものだろうか・・・。そうではないと私は考える。人生の中では痛みはつきものである。私は心に傷をもっていない人なんていないと思う。

きっと心の痛みを分かる人は、他者の心の痛みも理解し、少なからず分かち合う事もできるのだろうと信じている。だから様々な世代にも通じる部分は一点でもあると感じる。著者は、芥川賞の受賞会見で「いろいろな世代の人に伝わるようなものが書きたい」というようなことを語っていた。私も著者の思いに共感をすることができた。きっと人は人でしか成り立つことができず、それは世代・性別・取り巻く環境など関係なく存在するのであろう・・・。

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