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中世
投稿日:2011/2/21
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古代・中世・近代という区分自体、もともとヨーロッパ社会をモデルとする歴史学の発想である。
長きにわたってキリスト教がその影響力を発揮したといわれる中世ヨーロッパ。
中世ヨーロッパは、長い暗黒の時代と呼ばれた。
中世ヨーロッパでは、キリスト教の教義やカトリック教会の教えに反するような自由な思想や学問は許されず、合理的な学問の発達は妨げられた。
中世の哲学者たちにとって、キリスト教は真理だった。
それほど当たり前のことである。問題はキリスト教の教えはひたすら信じるべきなのか?それとも理性はキリスト教の真理に近づく助けになるのか?ということだった。ギリシャ哲学と聖書の教えの関係はどうなっているのだろうか?
信仰と知識はひとつにできるのだろうか?
中世の哲学はほとんど全て、このたったひとつの問題をめぐっているのだ。
しかし、あるひとは中世は千年の成長を見る人も多い。
学校制度・修道院学校・大聖堂付属学校など学部や学部がつくられたのもこの時期が原型であるとされている。
中世の重要な哲学者二人
■アウグスティヌス(時間論)
全ての神に由来する本性というものをもっているという考え。そして、プラトンの哲学とキリスト教のをバランスよく学び信じていた。神の国。救われるグループと地獄に落ちるグループという人間を二種類のグループに分けたのである。中世を通じて、教会と国家が権力を争っていくことになった。神の国は教会という組織と見なされ十六世紀の宗教革命の時にようやく人間は神にあずかる為には教会にいかなければならない、とする考え方に反対の声があがったのだ。アウグスティヌスは歴史を哲学と関連づけたヨーロッパ最初の哲学者である。善と悪の闘いというはっそうはちっとも目新しくない。アウグスティヌスの新しさはこの闘いが歴史を通じて続くということだ。旧約聖書の直線的な歴史観にしっかりと立脚している。神は全歴史を使って神の国をうちたてようとしていると、考えていた。
■トマス・アクィナス
アリストテレスの哲学とキリスト教を合体させようとした一人である。(アウグスティヌスがプラトンをキリスト教徒にしてしまったように・・・。)信仰と知識を統合させようとしたと言ってもいい。哲学とか理性とは呼んでいるものと、キリストの啓示とか信仰と呼んでいるものの間にどうにもならない矛盾があるとは考えなかったトマスは、キリスト教と哲学が言う事はしばしば重なりあうと言った。理性の助けによって、聖書に書いてあるのと同じ真理を研究できのだと考えていた。自然なやり方で到達できる神学上の真理というものがあると考えた。トマス曰く生まれつきの自然な理性からも到達できる真理があるということである。
古代ローマは帝国は三つの性格が違う文化圏へと解体。分かりやすくいうといったん三つに分かれて、しばらくしてまた合流してひとつの大きな川になる。
進プラント派は西に、プラント派は東に、そしてアリストテレスは南のアラブ人の間に生き延びたと言える。大切なのはこの三つの流れが中世の終りに北イタリアで合流して大きな川になったということだ。スペインのアラブ人はアラブの影響をもたらし、ギリシャとビザンツはギリシャの影響をもたらした。
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