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life school :ニコマコス倫理学
投稿日:2011/2/8
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二コマコス倫理学
アリストテレス
本書は2300年以上前、すなわち、わが国がまだ縄文時代にあった時期に書かれ
たものである。アリストテレスは人間が行う活動の目的には幸福があり、それを追求するためには正しい活動が重要であると考えた。幸福な生活のためには、アリストテレスは一定の水準に達する金銭や容姿、家系が必然的に前提となることを認めながらも、より善く生きることはより複雑な行為である。つまり自分の活動を人生において生じるさまざまな状況に適応させることが必要となるのである。
倫理学は実践的な学問として独自の基準を認めていた。
それは人間に固有の特徴に基づく基準であり、善い人間とは動物などとは異なる人間的な卓越性を備えていることである。アリストテレスの見解によれば、人間にとって善い生活とは理性的で徳を伴った活動である。
第一巻
■第一章
いかなる技術、いかなる研究も、同じくまた、いかなる実践や選択も、ことごとく何らかの善を強く願い求めていると考えられる。目的とするものの間には明らかな差別がある。
*活動それ自身が目的である場合
*活動以外の何らかの成果が目的である場合
目的が何らか働きそのもの以外にあるといった場合には、活動それ自身よりも成果の方がより善きものであるのが自然であろう。
例えば、医療→健康になることが目的・造船→船を建造することが目的など色々なものとなってくる。従属関係が世の中に存在すると、活動それ自身が働きの目的である場合についてもあるいは学問のように活動以外の何ものかが目的である場合についてもこの点において変わりはない。
■第二章
私達の生活に対して大きな重さを持つ『善』。明らかなものでなくてはならないし、自分の目的に対し、自分が選択されないのであれば、われわれの欲求は内部に何も無い無意味なものとなるだろう。標的を定めることによって然るべきものに対してより良く的中しうるものではないか。私達が求めている『善』というものがいかなる学問や能力などに属しているのかということを把握し試みなくてはならない。
政治というのは国においていかなる学問が行われるべきか、学ぶべきかということ規律するものでありもっとも尊敬されるべき能力である。統師・家政・弁論などはその下に従属していることが分かる。
『人間というものの善』こそが政治の探究目的でなくてはならない。善というのは個人にとっても国にとっても同じものである。一種の政治学的な研究ものである。
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