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札幌白石店
scrollable
photogenic77
投稿日:2015/12/26
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草加店写真
人に写真に自分自身に深く入っていきたい。
私達ライフスタジオは何を主題に出発したのだろうか?
もう一度自分自身に問いかけてみようと思う。
なぜならばそこにライフスタジオの存在理由が大きく影響しているからだ。
私はやはりこの一文字が思い浮かんだ・・・「人」である。
(ライフスタジオの内部事情ではあるが最後まで読んで頂ければと思います)
2015年の5月10日にライフスタジオと2013年体制というプロジェクトにおいての重要な決定がなされた。
中央で掴んでいた紐を放し、そこから始まっていた事業を全て中断することになった。そして最初からもう一度始めるというスローガンを掲げライフスタジオにおける可能性を模索することとなった。
この決定がチャンスなのかピンチなのかという議論も多くなされた。それに対して私が所属する草加店はその決定をチャンスであると肯定的な意味で捉えた。
そして私達はどこから道を見失ったのかという問いに対する評価反省をすると共にもう一度ライフスタジオが存在する理由を自らが証明しなければいけないという使命感を持っていた。
その使命感に対して、草加店がもう一度規定した主題が「実践」である。
つまり、ライフスタジオの主題である「人」に対して「実践」をする集団になることを目的としてSoka3は出発したのだった。
よってこの「実践」というキーワードが草加店を成り立たせる全ての構成要素と連結された。
それに加えて私たちがもう一度歩き出すために必要な準備と目的達成の為の具体的な目標とその目標の達成が見える化できる重要なプロジェクトも立ち上がったのだった。
それが「シックスパックプロジェクト」である。
このプロジェクトは半年間行われた。単純計算でいうと365日の半分なので182日間だ。
しかしシックスパックの成功はこれが持続的になされライフスタジオのベースになることが最終目的であるのでまだまだまだ沢山の努力が必要だと考える。
なので一旦は個人の目線でこのシックスパックの規定をしてみたいと思う。
「私にとってシックスパックを行う目的は価値を創造する人になる為であり・・・それをシックスパックという実践するプロジェクトを推進することによりチームワークという達成感と組織に対する可能性を感じ新しいエネルギーを蓄えることができた」という一文に規定した。
私はこのシックスパックプロジェクトを通じてなぜ変化発展プログラムが各自に装着されなければいけない理由を体感できた。それは何かというと変化の根源は「私」に集中することから始まる。
だから私が私を見つめなければいけないのだ。
それが人間らしく生きるという私達のスローガンにもっとも重要ではないかと考えた。
次にシックスパックとフォトジェニックの関係に着目したいと思う。
マンスリーフォトジェニックとはライフスタジオを代表する写真であり、ライフスタジオの今を規定する決定的な写真であると考える。そして各店舗のカメラマンが自由に表現し共有されるコミュニティがフォトジェニックである。つまり、フォトジェニックのページを確認すればライフスタジオが今どこで何をしているのかを知ることができるひとつのツールである。
シックスパックが実践と規定されるのであれば、フォトジェニックは責任と規定したい。
ライフスタジオの写真は常に変化発展がなされ自由な表現をできる企業でありその自由が与えられているということはそこで働く私たちも、そこで過ごすお客様も皆そのようにいることが自然でなければならない。
もちろん自由には責任と権限が付随する。私が考えるにフォトジェニックに対して実践していくということは、責任を果たしているという証明に繋がると考える。
なぜならば、写真は一つの結果物でありそれに対して公式的にホームページ内で表現をするということは自由の中に生き、それに含まれる責任を果たして、自分自身がライフスタジオで働いているということ堂々と示す役割でもある。
だから毎月フォトジェニックに写真を投稿するのは一回やればいいというわけではない。
毎月それに対して考え、時には悩み、仲間と写真討論を行ない、日々の撮影に意欲的にならなければいけない。
そういった意味でシックスパックというプロジェクトはその意欲を組織的に生み出すことを目指し効果的に成果を生み出すことができる。また、それを持続させる持続力も推進することができる。
冒頭で話したが、変化の根源は私に集中することから始まる。
つまり、社会の中で私らしく生きるためには自由の中にある責任を果たし堂々とそこで働き、
自分自身のために自己実現を目指すことが望ましいと考える。
次に話したい内容は、あなたについてである。
先ほどシックスパックプロジェクトをわたしという観点で話してみた。
そして変化の根源は自己の確認から出発するということであった。ならば変化の次は何かという問いが生まれる。
それに対しての模索は以下の規定文章でもう少し話をしていきたいと思う。
「組織の内部文化は学習という形態を用いて知識という共通認識を育まなければいけない」という一文で規定してみた。
この規定に対する補足としては、私が自分自身に向けた矢印を次は自分以外のあなたに向けることによって発展の根源を知る段階にステップアップするのだ。
それを内部文化の規定と混ぜて整理することによって個人(わたし)と組織(あなた)のバランスをどのように融合させるのかという糸口を見出した。
それは普遍的な価値の追求ための絶え間ない努力である。
その努力をわたし達は学習という手段を用いている。過去にも様々なプロジェクトに取り組んできた。
だからこそこの学習を通じて共通の認識が芽生える。それが組織にとっては素晴らしい財産になるしそれが人が発展していくために必要な知識とも連結されるのだ。
そしてその知識は時として理性を働かせる大きな鍵となる。
だからその理性をもってわたしとあなたが結合され結果として内部文化が形成されるのである。
つまりあなたとわたしが何で結合されているのか?という答えがつまり内部文化にならなければいけないのである。
次に内部文化とフォトジェニックの関係についても着目していきたい。
先ほど内部文化は学習を経て学んだ知識を組織の中に適応させて成熟させることにより共通認識になったものであるという話をした。説明が長くて少しややこしい表現をしてしまったが内部文化を完結に言うとわたしとあなたの「つなぎ目」のこと示す。
このつなぎ目の存在をフォトジェニックと連結して考えると私自身もう一度謙虚にならなければということを考えた。
なぜならば、フォトジェニックは撮影者だけが生み出したものではないからだ。
また、写真は私が見えているものしか見えない。つまり撮影行為とは私の認識で有るものも無いかのように過ぎ去ってしまう場合があることを念頭に置かなければいけない。そういった意味で謙虚という単語を用いた。
常に自分の認識わきまえること。そしてその認識は常に不完全であるということを忘れずに・・・。
写真を撮るということは、私と連結していると認識するものはなにか、そしてそのつなぎ目が何かを客観的に理解しそれを写し出す行為ではないだろうか。
例えば、ライフスタジオで代表的に撮影されているオムツ写真を例に話してみよう。
おつむ写真は何から構成されているだろうか?思いつく限り恣意してみよう。
おむつ、あかちゃん、ふとん、照明、自然光、ホリゾント、カメラ、おもちゃ、タオル、よだれを拭くティッシュ、
アシスタント、両親、パソコン、ACDCソフト、CD、CDケース、テレビ、音響設備、ETC・・・
まだまだあげることができるが、ひとつを置いて話してみよう。
おむつ写真で必要なおむつ。このおむつは私の目の前にあるがそれを深く考えてみると様々なことが関わっている。
まず、おむつが存在しているのはおむつを製作、販売している会社があるからだ。
そしてそこで働く人達が居て、子どもの肌にいい素材を取り入れ両親の子育てに一役駆っている。
もし、この社会におむつがなければ、子どもはいつどこでどんな風におしっこやウンチをするか分からないのでそれを親が常に待ってトイレに行かせることが不可能なので、便利なおむつというものがこの世の中に存在しているしている。(多分他の理由もあるがその辺りは割愛させてください)
そして、そのおむつは両親の稼いだお金から賄われている。
共働きかどうかによってもその家族の経済力は異なるが私が聞いた話によるとおむつ代というのは非常にかかるらしい。あとは母乳でない人はミルク代も。
病院代や治療費などは保証されているので無償らしい。両親はそんな経済状況から子どもを育てるために日々奮闘している。また、日常的な目線で被写体を見てみると日中は母子家庭のように母と子がマンツーマンな状況が多いだろう。だから外に買い物に行くのもそう簡単なことではない。
大きなおむつを買いに行くのとその他に夕食の材料と・・・・・市役所の手続きや銀行のなんやらで母親も毎日忙しい・・・というような具合でおむつという存在をひとつ見てもわたしの目の前におむつがあるのには様々な背景がある。
その他にもその写真には映し出されていない沢山の人の想いや労力や汗や涙や努力が写真には含まれている。
少なくとも私はそのように目の前に写るものを認識している。
だから沢山シャッターを切っているようで色んな想いや考えを巡らせている。もちろん、撮影のときだけではなく常にそう在らなければならない。
つまり日常的に哲学的思考を持つことが必要なのかもしれない・・・。
今回の写真をおいて話してみると、私は「人」と繋がっているのだと確信した。
私はひとりではない。そしてあなたもひとりではない。
私は私達であり、私達は私なのであるということを理解した。
また、技術的な面で話をすると私は望遠レンズを要約理解できたのではないかと考える。
この写真を見てみると望遠レンズの特徴を掴み私の表現したい人との繋がりをシンプルにそしてストレートに切り取ることができたと考える。
通常望遠レンズの特徴は遠くのものを大きく写すことができる。または引き寄せることができる。
そして、望遠には4つの効果がある。
一つ目は先ほども話したように引き寄せの効果がある。切り取り効果とも表現されるが遠くにいる被写体が近くにいるかのように映し出すことができる。
そしてその特徴を生かすために目に映るものの中から被写体を選んで切り出すということができる。
二つ目に背景ボケがある。レンズが望遠になるほど被写界震度(ピントが合う範囲)が浅くなる。そうすることによってその被写体の背景は大きくぼけることになる。その特徴を生かして背景ボケを使った写真を撮るのも望遠レンズを使ったテクニックとなる。
三つ目に圧縮効果というものがある。この効果は奥行きがない写真になりやすくなる。
簡単に言うと遠近感がなく近くのものと遠くのものがぎゅっと詰まったように見える特徴である。
最後に四つ目の効果は小さな被写体を大きく写すことができる。望遠レンズには引き寄せ効果があると話したがこれを使って小さな被写体を大きく写すマクロレンズのような使い方もできる。
このように望遠レンズから得ることのできる効果を最大限引き出し、今回は今まで撮影してきた兄弟ショットの新しい表現方法に取り組んだ。
通常兄弟ショットというと手を繋いで頭を近づけたりおでこをくっつけたりほっぺたを合わせたり。
もちろんその表現方法も必要である。しかしそこに+αで発展的な写真を75CUTの中で1、2枚加えることによって更に原本の可能性を広げることに繋がったのではないかと思う。
今回の一枚は被写体の存在を引き寄せ、被写体と私達の関係性を表現することを目指した。だから目の前にあったインテリアはあえて省き、空間の中にある距離感を望遠の効果で接近させ、人と人との繋がりをより印象的に表現した。
これが私の限界でもあり今のわたしでもある。しかし、またここから私の限界を自ら越えていかなければならない。
なので、引き続き望遠レンズの特徴は奥が深いので学習をしたり情報収集をしたり
写真の対話を通じて積極的なアプローチを取り組んでいきたい。
次にあなた、わたしと来て次に呼ばれるのが最終的な目的でもある私達である。
では次に私達はなぜ学習をしているのかこの問いに迫っていきたいと思う。
以下の文章は学習に対しての規定文章なのでまずはそれを読んで頂きたい。
「私達は学習を通じて人とは何かという哲学をもつために学習をしている。またその哲学はわたしの人生とあなたの人生そして私達の人生の価値を追求するための原動力になるのだ」
学習という概念の中に読み書き討論というものが存在している。
読むことと書くことは個人でできることである。しかし討論をするときには客観的意見つまりあなたが絶対的に必要なのである。人は一人では生きていけないのと同じように学習も一人ではできないのである。
フォトジェニックも同様である。また、撮影行為そのものも一人では行なえない。
カメラマン一人で撮影することが不可能ではないが私たちが目指す撮影文化とは相反する。
なぜならばライフスタジオの撮影条件として私達は必ず皆が主役になることを基本としている。
主役とはカメラマン、コーディネート、家族一人ひとり。つまりその空間に一緒に居る皆である。
皆が主役にならなければ感動を生み出すことが難しい。
パパもママもドキドキしながら私達スタッフと一緒に汗を書いて75CUTを創り上げていこう。
そして、その汗がやがては涙に変わることを信じてみよう。
その為にももっと人に対して写真に対して、そして自分自身に対して「汗」をかく人になっていくべきである。
まずは自分からを合言葉に・・・。
人に写真に自分自身に深く入っていきたい。
私達ライフスタジオは何を主題に出発したのだろうか?
もう一度自分自身に問いかけてみようと思う。
なぜならばそこにライフスタジオの存在理由が大きく影響しているからだ。
私はやはりこの一文字が思い浮かんだ・・・「人」である。
(ライフスタジオの内部事情ではあるが最後まで読んで頂ければと思います)
2015年の5月10日にライフスタジオと2013年体制というプロジェクトにおいての重要な決定がなされた。
中央で掴んでいた紐を放し、そこから始まっていた事業を全て中断することになった。そして最初からもう一度始めるというスローガンを掲げライフスタジオにおける可能性を模索することとなった。
この決定がチャンスなのかピンチなのかという議論も多くなされた。それに対して私が所属する草加店はその決定をチャンスであると肯定的な意味で捉えた。
そして私達はどこから道を見失ったのかという問いに対する評価反省をすると共にもう一度ライフスタジオが存在する理由を自らが証明しなければいけないという使命感を持っていた。
その使命感に対して、草加店がもう一度規定した主題が「実践」である。
つまり、ライフスタジオの主題である「人」に対して「実践」をする集団になることを目的としてSoka3は出発したのだった。
よってこの「実践」というキーワードが草加店を成り立たせる全ての構成要素と連結された。
それに加えて私たちがもう一度歩き出すために必要な準備と目的達成の為の具体的な目標とその目標の達成が見える化できる重要なプロジェクトも立ち上がったのだった。
それが「シックスパックプロジェクト」である。
このプロジェクトは半年間行われた。単純計算でいうと365日の半分なので182日間だ。
しかしシックスパックの成功はこれが持続的になされライフスタジオのベースになることが最終目的であるのでまだまだまだ沢山の努力が必要だと考える。
なので一旦は個人の目線でこのシックスパックの規定をしてみたいと思う。
「私にとってシックスパックを行う目的は価値を創造する人になる為であり・・・それをシックスパックという実践するプロジェクトを推進することによりチームワークという達成感と組織に対する可能性を感じ新しいエネルギーを蓄えることができた」という一文に規定した。
私はこのシックスパックプロジェクトを通じてなぜ変化発展プログラムが各自に装着されなければいけない理由を体感できた。それは何かというと変化の根源は「私」に集中することから始まる。
だから私が私を見つめなければいけないのだ。
それが人間らしく生きるという私達のスローガンにもっとも重要ではないかと考えた。
次にシックスパックとフォトジェニックの関係に着目したいと思う。
マンスリーフォトジェニックとはライフスタジオを代表する写真であり、ライフスタジオの今を規定する決定的な写真であると考える。そして各店舗のカメラマンが自由に表現し共有されるコミュニティがフォトジェニックである。つまり、フォトジェニックのページを確認すればライフスタジオが今どこで何をしているのかを知ることができるひとつのツールである。
シックスパックが実践と規定されるのであれば、フォトジェニックは責任と規定したい。
ライフスタジオの写真は常に変化発展がなされ自由な表現をできる企業でありその自由が与えられているということはそこで働く私たちも、そこで過ごすお客様も皆そのようにいることが自然でなければならない。
もちろん自由には責任と権限が付随する。私が考えるにフォトジェニックに対して実践していくということは、責任を果たしているという証明に繋がると考える。
なぜならば、写真は一つの結果物でありそれに対して公式的にホームページ内で表現をするということは自由の中に生き、それに含まれる責任を果たして、自分自身がライフスタジオで働いているということ堂々と示す役割でもある。
だから毎月フォトジェニックに写真を投稿するのは一回やればいいというわけではない。
毎月それに対して考え、時には悩み、仲間と写真討論を行ない、日々の撮影に意欲的にならなければいけない。
そういった意味でシックスパックというプロジェクトはその意欲を組織的に生み出すことを目指し効果的に成果を生み出すことができる。また、それを持続させる持続力も推進することができる。
冒頭で話したが、変化の根源は私に集中することから始まる。
つまり、社会の中で私らしく生きるためには自由の中にある責任を果たし堂々とそこで働き、
自分自身のために自己実現を目指すことが望ましいと考える。
次に話したい内容は、あなたについてである。
先ほどシックスパックプロジェクトをわたしという観点で話してみた。
そして変化の根源は自己の確認から出発するということであった。ならば変化の次は何かという問いが生まれる。
それに対しての模索は以下の規定文章でもう少し話をしていきたいと思う。
「組織の内部文化は学習という形態を用いて知識という共通認識を育まなければいけない」という一文で規定してみた。
この規定に対する補足としては、私が自分自身に向けた矢印を次は自分以外のあなたに向けることによって発展の根源を知る段階にステップアップするのだ。
それを内部文化の規定と混ぜて整理することによって個人(わたし)と組織(あなた)のバランスをどのように融合させるのかという糸口を見出した。
それは普遍的な価値の追求ための絶え間ない努力である。
その努力をわたし達は学習という手段を用いている。過去にも様々なプロジェクトに取り組んできた。
だからこそこの学習を通じて共通の認識が芽生える。それが組織にとっては素晴らしい財産になるしそれが人が発展していくために必要な知識とも連結されるのだ。
そしてその知識は時として理性を働かせる大きな鍵となる。
だからその理性をもってわたしとあなたが結合され結果として内部文化が形成されるのである。
つまりあなたとわたしが何で結合されているのか?という答えがつまり内部文化にならなければいけないのである。
次に内部文化とフォトジェニックの関係についても着目していきたい。
先ほど内部文化は学習を経て学んだ知識を組織の中に適応させて成熟させることにより共通認識になったものであるという話をした。説明が長くて少しややこしい表現をしてしまったが内部文化を完結に言うとわたしとあなたの「つなぎ目」のこと示す。
このつなぎ目の存在をフォトジェニックと連結して考えると私自身もう一度謙虚にならなければということを考えた。
なぜならば、フォトジェニックは撮影者だけが生み出したものではないからだ。
また、写真は私が見えているものしか見えない。つまり撮影行為とは私の認識で有るものも無いかのように過ぎ去ってしまう場合があることを念頭に置かなければいけない。そういった意味で謙虚という単語を用いた。
常に自分の認識わきまえること。そしてその認識は常に不完全であるということを忘れずに・・・。
写真を撮るということは、私と連結していると認識するものはなにか、そしてそのつなぎ目が何かを客観的に理解しそれを写し出す行為ではないだろうか。
例えば、ライフスタジオで代表的に撮影されているオムツ写真を例に話してみよう。
おつむ写真は何から構成されているだろうか?思いつく限り恣意してみよう。
おむつ、あかちゃん、ふとん、照明、自然光、ホリゾント、カメラ、おもちゃ、タオル、よだれを拭くティッシュ、
アシスタント、両親、パソコン、ACDCソフト、CD、CDケース、テレビ、音響設備、ETC・・・
まだまだあげることができるが、ひとつを置いて話してみよう。
おむつ写真で必要なおむつ。このおむつは私の目の前にあるがそれを深く考えてみると様々なことが関わっている。
まず、おむつが存在しているのはおむつを製作、販売している会社があるからだ。
そしてそこで働く人達が居て、子どもの肌にいい素材を取り入れ両親の子育てに一役駆っている。
もし、この社会におむつがなければ、子どもはいつどこでどんな風におしっこやウンチをするか分からないのでそれを親が常に待ってトイレに行かせることが不可能なので、便利なおむつというものがこの世の中に存在しているしている。(多分他の理由もあるがその辺りは割愛させてください)
そして、そのおむつは両親の稼いだお金から賄われている。
共働きかどうかによってもその家族の経済力は異なるが私が聞いた話によるとおむつ代というのは非常にかかるらしい。あとは母乳でない人はミルク代も。
病院代や治療費などは保証されているので無償らしい。両親はそんな経済状況から子どもを育てるために日々奮闘している。また、日常的な目線で被写体を見てみると日中は母子家庭のように母と子がマンツーマンな状況が多いだろう。だから外に買い物に行くのもそう簡単なことではない。
大きなおむつを買いに行くのとその他に夕食の材料と・・・・・市役所の手続きや銀行のなんやらで母親も毎日忙しい・・・というような具合でおむつという存在をひとつ見てもわたしの目の前におむつがあるのには様々な背景がある。
その他にもその写真には映し出されていない沢山の人の想いや労力や汗や涙や努力が写真には含まれている。
少なくとも私はそのように目の前に写るものを認識している。
だから沢山シャッターを切っているようで色んな想いや考えを巡らせている。もちろん、撮影のときだけではなく常にそう在らなければならない。
つまり日常的に哲学的思考を持つことが必要なのかもしれない・・・。
今回の写真をおいて話してみると、私は「人」と繋がっているのだと確信した。
私はひとりではない。そしてあなたもひとりではない。
私は私達であり、私達は私なのであるということを理解した。
また、技術的な面で話をすると私は望遠レンズを要約理解できたのではないかと考える。
この写真を見てみると望遠レンズの特徴を掴み私の表現したい人との繋がりをシンプルにそしてストレートに切り取ることができたと考える。
通常望遠レンズの特徴は遠くのものを大きく写すことができる。または引き寄せることができる。
そして、望遠には4つの効果がある。
一つ目は先ほども話したように引き寄せの効果がある。切り取り効果とも表現されるが遠くにいる被写体が近くにいるかのように映し出すことができる。
そしてその特徴を生かすために目に映るものの中から被写体を選んで切り出すということができる。
二つ目に背景ボケがある。レンズが望遠になるほど被写界震度(ピントが合う範囲)が浅くなる。そうすることによってその被写体の背景は大きくぼけることになる。その特徴を生かして背景ボケを使った写真を撮るのも望遠レンズを使ったテクニックとなる。
三つ目に圧縮効果というものがある。この効果は奥行きがない写真になりやすくなる。
簡単に言うと遠近感がなく近くのものと遠くのものがぎゅっと詰まったように見える特徴である。
最後に四つ目の効果は小さな被写体を大きく写すことができる。望遠レンズには引き寄せ効果があると話したがこれを使って小さな被写体を大きく写すマクロレンズのような使い方もできる。
このように望遠レンズから得ることのできる効果を最大限引き出し、今回は今まで撮影してきた兄弟ショットの新しい表現方法に取り組んだ。
通常兄弟ショットというと手を繋いで頭を近づけたりおでこをくっつけたりほっぺたを合わせたり。
もちろんその表現方法も必要である。しかしそこに+αで発展的な写真を75CUTの中で1、2枚加えることによって更に原本の可能性を広げることに繋がったのではないかと思う。
今回の一枚は被写体の存在を引き寄せ、被写体と私達の関係性を表現することを目指した。だから目の前にあったインテリアはあえて省き、空間の中にある距離感を望遠の効果で接近させ、人と人との繋がりをより印象的に表現した。
これが私の限界でもあり今のわたしでもある。しかし、またここから私の限界を自ら越えていかなければならない。
なので、引き続き望遠レンズの特徴は奥が深いので学習をしたり情報収集をしたり
写真の対話を通じて積極的なアプローチを取り組んでいきたい。
次にあなた、わたしと来て次に呼ばれるのが最終的な目的でもある私達である。
では次に私達はなぜ学習をしているのかこの問いに迫っていきたいと思う。
以下の文章は学習に対しての規定文章なのでまずはそれを読んで頂きたい。
「私達は学習を通じて人とは何かという哲学をもつために学習をしている。またその哲学はわたしの人生とあなたの人生そして私達の人生の価値を追求するための原動力になるのだ」
学習という概念の中に読み書き討論というものが存在している。
読むことと書くことは個人でできることである。しかし討論をするときには客観的意見つまりあなたが絶対的に必要なのである。人は一人では生きていけないのと同じように学習も一人ではできないのである。
フォトジェニックも同様である。また、撮影行為そのものも一人では行なえない。
カメラマン一人で撮影することが不可能ではないが私たちが目指す撮影文化とは相反する。
なぜならばライフスタジオの撮影条件として私達は必ず皆が主役になることを基本としている。
主役とはカメラマン、コーディネート、家族一人ひとり。つまりその空間に一緒に居る皆である。
皆が主役にならなければ感動を生み出すことが難しい。
パパもママもドキドキしながら私達スタッフと一緒に汗を書いて75CUTを創り上げていこう。
そして、その汗がやがては涙に変わることを信じてみよう。
その為にももっと人に対して写真に対して、そして自分自身に対して「汗」をかく人になっていくべきである。
まずは自分からを合言葉に・・・。
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