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札幌白石店
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​photogenic75

投稿日:2015/3/8

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草加店写真

人に写真に自分自身に深く入っていきたい
 
偶然的に向かってくる美しさに対して私たち撮影者はどのような態度でいるべきなのだろうか。撮影者の条件の中に、自ら環境と条件の提示をする能力を必要とする。という話をよく聞くが、それがいったいどういうことなのかを今回の一枚を通じて少し知れたような気がする。いい撮影者とは自分の中にある確信と自ら整理した環境と条件を繋ぎ合わせて、置かれている現実をもう一度再定義して撮影するということだと考える。
 
 
「生活」という言葉を皆さんはどんな意味で使っているのでしょうか?
眠って起きてご飯を食べて、学校へ行って、会社に行って、そういう繰り返し、その毎日を生きることを生活すると呼んでいる。しかし、大人は少し違った意味でその生活という言葉を使っているときがある。
 
「生活があるから・・・」
「生活しなければいけない・・・」
 
この言葉遣いが可笑しいことに気がつくだろうか?
例えば、小学生の場合「学校へ行かなければいけない」という。なぜ学校に行かなければならないのだろうか?その場合の答えとして、義務教育で定められているからだというのが妥当だと思う。とりあえず義務だから「学校へ行かなければいけない」という言い方は間違ってはいない。
 
しかし、「生活しなければならない」についてはどうだろうか?
生活することを義務と定めている法律は無いのに何故人は「生活しなければならない」と、それが義務か強制であるような言い方をするのだろうか?
 
試しに自分の親に何故生活しなければいけないのか聞いてみることにした。
「生きていくためだよ!!そんなの決まっているだろう」と答えが返ってきた。
この言い方を聞くと不思議なことに生きていくことに対してもそれが義務か強制かのように聞こえてくる。しかし、生きることに対しての義務や強制は存在していない。では、だれがそれを決めているのだろうか?
 
決めているのはその人自身ではないだろうか?
生きていかなければいけないという法律は存在していないし、生きることを強制はされていな。生きることはあくまでもその人の自由である。
生きたくなければ、死ぬ自由も持ち合わせている。なのに死なずに生きているということは、生きることを選択しているのであって、本当は生きなければいけないというのではなく、生きたいと言うべきなのだ。
 
本当は自分で生きたくて生きているのに、誰かのせいにしているような言い方で、「生きなければいけない」と思っているのだから、生きている限り何もかもが人のせいになってしまうのは当然なことかもしれない。
 
生きるためには食べなければいけない。稼がなければいけない。その為には仕事をしなければいけない。この「しなければいけない」ということの繰り返しが大人の言うところの「生活」である。しなければいけなくて生活する、生きなければいけなくて生きている人生はどうしてもつまらないし、楽しくもないはずだ。
 
きっとそれは、こんな風に生きているのは微妙なんだけど死ぬのはもっと嫌だから、だから生きなければいけないということを口にしているのかもしれない。しかし、人生は生きているのがいいのか?死んでいるのがいいのか?生きている限りは分からない。きっと分からないから生きているのかもしれない。だったらやっぱり人は自分の人生をはっきり選んでいるという自覚をきちんと持って生きるべきなのではないだろうか?
仕事も生活も何もかも、自分がやりたくてやっていることだから自覚するべきではないだろうか。
 
この自覚とはどこからやってくるのだろうか?
今回はこの自覚について深く掘り下げていきたい。
 
被写体の少年は、ちょうど12歳になる男の子だ。
思春期を向かえようとする時期にあたる。この頃になると体の変化と共に心の急激な変化も見せていく。この時期の最大の苦悩は、本人が自分の急激な変化についていけずに自分自身がコントロールできないことである。自分の体の変化に戸惑いそれまでは何の違和感もなかった自分自身のことや友達のことが異常に気になってくる。また、親の一言一言に対してムカついたり、どうしたらいいか分からなくなり無性にイライラする。他にも、こんなこと話したら人には可笑しいと思われそうで言えないし、大人には絶対に知られたくない。このような様々な自分の内面での葛藤こそ、思春期の反抗期である。
 
子供の思春期の反抗は親にとっても戸惑い、不安なものである。苦しそうな我が子を見ているとなんとかしてあげたくなって、色々と問い詰めてしまうかもしれない。しかし思春期は成長にとって一番必要な課程である。親からの自立、親や他人とは違う自分の存在を受け入れて認めて確立させること。つまり自らの意思で自分の存在を「自覚」のためにはなくてはいけないものなのです。親にとっても周りの大人たちにとっても辛抱のときだが、子どものそのままの姿を認め、見守っていくことが大事だと考える。
 
私達ライフスタジオは尋ねてくる子どもの親代わりにはない。しかし、責任ある大人の一員として私たち一人ひとりはどんなことを通じて子ども達を見守っていくべきなのだろうか。
 
草加店は、ただその子に対して耳をかたむけること程度しかできないかもしれない。
そして、それを精一杯そして継続的にしていきたいと考えている。
 
草加店には生命力のある植物と空や海や川を連想させる青、大地に大きな根を下ろすように聳え立つ大きなツリーハウスが存在している。緑・青・茶色。3色どれもが関連性のある選抜された色だ。私が考えるに、地球を連想するカラーだと考えた。
 
この三原色は私達人間を優しく包んでくれる世界となっていること象徴とする。その中に少年が訪れることにより、草加店の世界観と少年の世界観が一致する決定的な単語を確認したのだ。それが「自然」だ。人間は生命力を保持しながらも、何故生きるのか?真剣に悩み考える生き物だ。そのような人間は常に矛盾を抱えながら生きている。その対処法としてその矛盾を対立させ、統一させ、調節させていく自らの理論と実践で自分の道を築いていくのだ。
 
冒頭でも述べたように、生きなければいけないという他人任せの生き方ではなく、自らが選択して生きていくという状態が重要である。思春期を向かえる少年が草加店と出逢い、自然と人間の共存、生きるとは何か、自分は何者だ、働くとは何か、それらの命題に向き合う一歩を踏み出す最初の場所であってほしい、そんな始まりがライフスタジオ草加店との出会いで始まることを私たちは切望している。
 
生命の始まりは、自然に始まり自然に帰っていくことではないか。
人間の始まりは、自我との出会い他者との交流を通じて始まっていくのではないか。
出会いの始まり、このライフスタジオ草加店から始まるのではないか・・・。

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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