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札幌白石店
photogenic72
投稿日:2015/2/21
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草加店写真
人に写真に自分自身に深く入っていきたい・・・
親と子の関係は一種の縁である。
子は母を選んで産まれることができないし、母は子を選んで産むことはできない。
ここに、人間の不思議な縁というものが存在してくる。
一般的に縁とは、巡りあわせのことや関係を作るときのきっかけとして用いられる言葉だ。また、人とのかかわり合いや物事との関係性の意味合いとしても用いられる。
『この巡り合いという縁は、美しい人生のはじまりだ』
この世に生を受けて、世界と出会う新しい命の存在は親である私たちに、忘れかけていた感動をもう一度感じさせてくれる。
なぜならば、命を宿してその命が無事にこの世の中と出会い、一人前に育つまでの過程で子は親に対して重要な役割を与えてくれるからだ。
新しい命が新しい役割を与えてくれる。
この繋がりで、人の歴史は積み重なって来たのだと思う。
では、ここでいう役割は何だろうか。私たちは良くテレビで、お母さんイルカが子供イルカに水中でお乳を飲ませてあげたり、海藻で一緒に遊んだり、子供が独り立ちできるように面倒をみるということがある。また、大きな役割としては危険から守って育て上げるということがある。そして、ある程度の年齢になって子供が独り立ちできそうであればそれ以上は手を出さない。
人間の親はどうだろうか?人間の親にはどんな役割があるのろうか?
少し考えを深めていきたいと思う。
動物にはない人間にしかない役割があるはずだ。子供よりも人生を先に生きている大人たちが必ず教えなければいけないこと。それは、何が危険で何が大事で人はどのように生きるべきなのかということ教える役割ではないかと考える。人間は、そのような事柄の真実が何かを考えて教える、または考えてもらえるような機会を沢山与えることができる。それを言葉で伝えるということができるのは人間だけだからである。
では、私の両親は人生で何が一番大切かを教えてくれたのだろうか?
振り返るといくつかのことが思い起こされる。
人には親切にしなさい。
人の話を聞くときは、相手の目を見て聞きなさい。
人に意地悪はしない。
嘘、隠し事、陰でこそこそしない。
友達の家に遊びに行ったら靴は揃えて上がりなさい。
食事は残さず食べなさい。
などなど、成人になった自分がもう一度両親から言われていた内容を振り返ってみると
当たり前のことを教えてくれていたことに気が付く。
きっと、人を大切にしなさいということ熱心に伝えたかったのだと思う。
人を大切にすることが重要だと教えてくれた両親は、今でも同じようにそれを教えてくれる。
きっと・・・そんなことを母親のまた母親も同じようにして伝えてくれたのだろう。
人と人の繋がりは不思議だが、結ばれた関係は大事にしなくてはいけない。なぜならば、冒頭でも述べたように人との繋がりを通じて、人は何かを伝える役割があるからだ。その内容は少しずつ形を変えながらも、伝えたい内容は昔からさほど変わってはいないし今後も変わらないであろう。
『人の役割は人を繋ぐ』
その中でもう一度私自身の役割は何かを見出していけるようになりたいと願う。
では、次の主題設定に進んでいきたい。
次に深めていきたいことはフォトグラファーとしての私の役割は何かだ。
先ほど、人にはそれぞれの役割があるという話をした。新しい命が生まれることによって与えられる親としての役割について話をした。動物と比べるとその役割というのはより理性的な内容になるということであった。人間が考えて教えて言葉で伝える。これは動物と比較すると分かるが人間のみが持っている能力でもあり、決定的な違いでもある。
では、私の役割とは何かを深めていきたい。
ここ最近、私は感動というテーマで自分の人生を構築していきたいと漠然とではあるが考えている。この感動と人の関係は、幸福という人間が追い求めている普遍的な価値と密接に関わっている。この相互作用で、人間がより清らかな状態で幸福に導かれるのではないかと考えるようになった。理由は、関係性を表現する写真に対して長い期間集中してきたという経験的な知識が基盤で存在しているからだ。
経験を通じて思考するようになった感動と幸福の関係を何によって確認できるのか?
このような問いを関係性を通じた写真を通じて追い求めてきた。
このような実践的な経験で私はある一つの発見をした。
感動とは、人が与えてくれるものに対して素直に受け入れたという経験を通じて、人を感じるようになる。その人を感じるという感情が無条件受け入れたということができた時に、人は心を震わせ感動をする。それが、与え与えられの経験を通じた心の感動である。
ではなぜ、人を感じると人は感動するのだろうか?決定的な答えは分からないが私が考えるに、人は基本的に自分の存在を確認したいという欲求をもっている。その欲求が満たされたとき、人は心から満足するだろうし、人は満たされていく。その経験が他者の存在を通じて自分の存在を確認するという行為でも同様に経験でき、相手と自分を一致させ、自分をより強く感じることができる。
しかし、このような経験を特に大人になってからはしにくくなってしまう。なぜなら、理性という働きが自分を制御するようになり、感情よりも早く理性が働くからだ。しかし、感動は人を感じる時にやってくる。だから、場合によっては感動というテーマに対して理性が邪魔をする場合がある。悪い意味ではないが、感情という行為をそのままの状態、つまり素直に受け入れることができないので感動というよりは、そういういいことがあったんだねと自己完結してしまうことが多い。しかし、この自己完結というものは人を感じるとは真逆の対立物である。
他者との交わりや共感、相手を通じて人を感じあう。自分と向き合って人を感じる。
こういった経験が単純に人を豊かにしてくれのではないかと思う。これはライフスタジオが与えてくれた希望だと私は考えている。だから、人を感じる条件はまず先に私達ライフスタジオから創らなければいけない基本的な条件ではないだろうか。だから、私たちは写真撮影を通じて人に深く入っていくことに集中したり関係というものに価値を置いている。
今回私が創作した人を感じる条件に、密着度と共通した素材を準備した。
密着度という言葉を使い表現したかったのは、安心する人と人との距離感というものだ。近すぎず、遠すぎず、この写真の距離感が私にとっては関係を表現する黄金比率である。また、父親母親息子が一つの線で繋がっているという効果によって自然なふれあいを表現することもできた。
またさくらんぼという共通した素材を家族全員が持ち合うということで、家族の統一感を表現することができた。『同じものを一緒に食べる』という何気ないシチュエーションだが共に生活するうえでは日常的な状態だ。その状態がスタジオ内で無理なく表現できたということは、『私が考える日常的な美しさ』と共通の素材という言葉で表現できたことを意味する。
写真は創造的であればあるほど、その意味を正確に説明しなければいけないという使命を抱えている。しかし、それは撮影者にとっては非常に有難い贈り物である。それを素直に受け入れて、言葉で紡ぎ出そう。そうすれば、自分自身も今一度自分を感じることができる。この可能性は写真分析の重要性を非常に広げてくれる
表現したい主題。つまり私が自分で自覚している役割の実践として、写真を通じて『人を感じる感動』という経験を表現するべく今回の撮影に取り組んだ。また、写真分析もそのようにできる限り自分の言葉を整理しながら綴った。これが正解というわけではないが、引き続きそれらをもっと良くしていきたいと思うようになった。
『感謝と実践』
今後は、この経験を積み重ねていけたらと思う・・・。
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