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札幌白石店
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投稿日:2014/7/6
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写真分析
人の美しさとは・・・。
人は内面を綺麗にしていくことが大切ですという話を良く聞きます。
一体この内面とは何を指しているのでしょうか?
例えば服装は汚くて、言葉遣いも雑だけれども話をじっくり聞いてみると曲がったことが大嫌いで、どうすれば人の役に立てるのかということを常に考えているような暖かい人柄の人も存在します。きっとその人は照れくさいから、わざとそういうような態度をとっているのかもしれません。この人は内面だけが綺麗な人というのでしょうか?見た目だけが問題ではないとよく言いますがある意味では、人間はやっぱり見た目が全てとも言えるかもしれません。周りの人を観察してみるとやはり、優しい人は優しい顔つきをしているし、意地悪な人は意地悪な顔つきをしていたりします。外見とは内面そのものかもしれません。だからこそ、私達人間は内面を綺麗にしていかなくてはなりません。外見ばかりを美しく心がけようとも、大体は顔つきに出てしまう可能性が高いのです。または、自分の内面が外面に出ていることに気がつかない場合も多いかもしれません。それはある意味で怖いことです。
それならば、内面を綺麗にするとはどういうことなのでしょうか?
内面とは心のことを指す意味で良く使われます。目に見えないもの、想いや感じたことや考えのことをひとまとめにして心と私たちは日常的に呼んでいます。では、その心とは私達の体内のどこを指すのでしょうか?心臓でしょうか?脳でしょうか?少し難しい問いですが、私はその心を精神という単語で表現したいと思います。心の中にも、動いて変わる部分と動きも変わらない部分とがあります。それを前者は、感情、後者を理性といいます。感情は感じるもので、理性は考えるものです。移ろい変わる感じや思いについて動かずに観察し、分析しそのことがどういうことなのかを考えて知ることが、理性というものの働きです。心のこの部分があるからこそ、人は変わらないと思っている性格を変えることもできるのだし、その時その時の気分や感情に流されないですんでいるのです。もしも心(精神)を大事にするということが、その時の気分や感情に任せてしまうことなのだったら、ちっとも心を大事にしていないということになります。
私達は、自分のことを大事だと思います。極端な言い方をすると、自分のことを愛しているとも言えます。僕は、私は、自分なんか大事じゃないよ、だって自分は自分が嫌いなんだもの。そういう人達も、そうやって文句を言いながらも自分のためにあれこれしようとしている限りはやっぱり自分のことが好きなんだと思います。好きじゃないという方法で自分というものを極端な言い方、愛しているんだ思います。どんな捻くれて誤った方法でも全ての人は必ず自分のことを愛しています。ただ、重要な点は、この愛して大事にする仕方を、必ずしも全ての人が自覚しているわけではないのです。優しいようで難しいこの内容。私自身このことが理解できているというよりかは、その実態が何なのかということを常に自分自身の主題としてもっている状態です。
もう少しだけこの心について考えを深めていきたいと思います。
心(精神)は自分を自覚します。他の何者にも変えることができない価値なのです。自分を大事にするとはつまり、心(精神)を大事にするということだと考えます。
『自尊心』自分を尊ぶ、自分を愛するということの本当の意味がこれだと考えます。
自尊心を持つ、ということと、プライドを持つこと、プライドがあるという事は間違えやすい場合が多いです。誰も自分が大事で、プライドがあると思っているけど、それなら他人の評価は気にならないはずです。他人に侮辱されたり比較されても気にならないはずです。何故ならば、自分で自分の価値を知っているなら、他人の評価など気にならないはずだからである。もしもそうでないなら、自分の価値より他人の価値を“価値”としていることになります。するとそれは自尊心ではなく、単なる虚栄心です。嫉妬という感情も同じ理屈です。他人が自分よりも優れているように思えて、ヤキモチを焼きます。でも、自分にとっては自分こそが一番なのだと知っているなら、こんな感情はあり得ないはずです。人は自分を愛しているから嫉妬するわけではなく、愛していないから嫉妬するのかもしれません・・・。自己主張というのも、難しい行為です。私はこう考えている、こう思っていると必要以上に主張することは自身の無さの裏返しであることが多いです。本当は自分で自分を評価できないから他人に認めてもらいたいという状態になる。それは単なる自己顕示であり自分を自分で自覚できていないことを主張していることのようにも受け取ることができます。それは、とても“恥ずかしい”ことです。
恥ずかしいということは、決して悪いことではないと考えます。むしろ、これからはこの恥ずかしいという感覚にもっと敏感になったほうがいいと考えます。何故ならば、本当は、人は全て分かっているのだと思います。
『他人から見られて恥ずかしいことは自分にとっても恥ずかしいということを・・・』
今までの話を整理してみると、ある側面において人は複雑な生き物だと捉える事ができますが、ある側面では本当は純粋な生き物なのだと思います。ちゃんと本能的に分かっていることは分かっているのです。ただその分かっている内容を自覚しているか?自覚していないか?というポイントで人の内面は多種多様なのだと考えます。
私が今回選択した写真は、まさに被写体の“自覚した美しさ”が存在しています。また、本来持っている人間の隠しきれない繊細な“美”とは何かを考えさせてくれる一枚だとも捉える事ができます。そして、その人間が本来持っている“美”をお客様と私たちで共に追求していく空間が、この.Withであることを再認識させてくれました。
私達フォトグラファーは最大限の技術で、被写体の自覚している美しさと自覚していない美しさという対極にある部分に集中しなくてはいけません。何故ならば被写体は自身の美を自覚して、なお輝きを増すからです。自覚していない美には更なる可能性が存在しているともいえます。この一枚は、アングルとレンズという大きなポイントによって、その美をより正確に捉えようとしています。何故ならば、カメラの技術以前にレンズに写りこむ空間と空間の中に存在しているもの全てに対して理解しているからです。だからこそ、成しえる技術なのです。具体的には、被写体の手足の長さやバランス、履いているヒールの存在、被写体の座るベット、右上の窓や、右下の箱、余白の整理、細かい小物の影響、光の方向、モノクロにすることにより浮き出る色味のグラデーションなどなど、多くの存在を広角レンズを用いることによって上手く調和させてくれています。被写体以外のものが四角の中で上手く調和していることにより、被写体の美がより浮き出ているのを感じとることができます。まさに、この一枚は全てが計算されたものなのです。更に、プラスアルファーで被写体の表情がこの写真をより決定的なものにさせてくれています。自分の存在を認識していく過程で生まれる、嬉しいような恥ずかしいような表情。そのようなひとつひとつの発見こそが、共に互いの存在を自覚しあえる被写体と.Withの関係性なのかもしれません・・・。
Photo by Lee PhotoEssay by ouchi
人の美しさとは・・・。
人は内面を綺麗にしていくことが大切ですという話を良く聞きます。
一体この内面とは何を指しているのでしょうか?
例えば服装は汚くて、言葉遣いも雑だけれども話をじっくり聞いてみると曲がったことが大嫌いで、どうすれば人の役に立てるのかということを常に考えているような暖かい人柄の人も存在します。きっとその人は照れくさいから、わざとそういうような態度をとっているのかもしれません。この人は内面だけが綺麗な人というのでしょうか?見た目だけが問題ではないとよく言いますがある意味では、人間はやっぱり見た目が全てとも言えるかもしれません。周りの人を観察してみるとやはり、優しい人は優しい顔つきをしているし、意地悪な人は意地悪な顔つきをしていたりします。外見とは内面そのものかもしれません。だからこそ、私達人間は内面を綺麗にしていかなくてはなりません。外見ばかりを美しく心がけようとも、大体は顔つきに出てしまう可能性が高いのです。または、自分の内面が外面に出ていることに気がつかない場合も多いかもしれません。それはある意味で怖いことです。
それならば、内面を綺麗にするとはどういうことなのでしょうか?
内面とは心のことを指す意味で良く使われます。目に見えないもの、想いや感じたことや考えのことをひとまとめにして心と私たちは日常的に呼んでいます。では、その心とは私達の体内のどこを指すのでしょうか?心臓でしょうか?脳でしょうか?少し難しい問いですが、私はその心を精神という単語で表現したいと思います。心の中にも、動いて変わる部分と動きも変わらない部分とがあります。それを前者は、感情、後者を理性といいます。感情は感じるもので、理性は考えるものです。移ろい変わる感じや思いについて動かずに観察し、分析しそのことがどういうことなのかを考えて知ることが、理性というものの働きです。心のこの部分があるからこそ、人は変わらないと思っている性格を変えることもできるのだし、その時その時の気分や感情に流されないですんでいるのです。もしも心(精神)を大事にするということが、その時の気分や感情に任せてしまうことなのだったら、ちっとも心を大事にしていないということになります。
私達は、自分のことを大事だと思います。極端な言い方をすると、自分のことを愛しているとも言えます。僕は、私は、自分なんか大事じゃないよ、だって自分は自分が嫌いなんだもの。そういう人達も、そうやって文句を言いながらも自分のためにあれこれしようとしている限りはやっぱり自分のことが好きなんだと思います。好きじゃないという方法で自分というものを極端な言い方、愛しているんだ思います。どんな捻くれて誤った方法でも全ての人は必ず自分のことを愛しています。ただ、重要な点は、この愛して大事にする仕方を、必ずしも全ての人が自覚しているわけではないのです。優しいようで難しいこの内容。私自身このことが理解できているというよりかは、その実態が何なのかということを常に自分自身の主題としてもっている状態です。
もう少しだけこの心について考えを深めていきたいと思います。
心(精神)は自分を自覚します。他の何者にも変えることができない価値なのです。自分を大事にするとはつまり、心(精神)を大事にするということだと考えます。
『自尊心』自分を尊ぶ、自分を愛するということの本当の意味がこれだと考えます。
自尊心を持つ、ということと、プライドを持つこと、プライドがあるという事は間違えやすい場合が多いです。誰も自分が大事で、プライドがあると思っているけど、それなら他人の評価は気にならないはずです。他人に侮辱されたり比較されても気にならないはずです。何故ならば、自分で自分の価値を知っているなら、他人の評価など気にならないはずだからである。もしもそうでないなら、自分の価値より他人の価値を“価値”としていることになります。するとそれは自尊心ではなく、単なる虚栄心です。嫉妬という感情も同じ理屈です。他人が自分よりも優れているように思えて、ヤキモチを焼きます。でも、自分にとっては自分こそが一番なのだと知っているなら、こんな感情はあり得ないはずです。人は自分を愛しているから嫉妬するわけではなく、愛していないから嫉妬するのかもしれません・・・。自己主張というのも、難しい行為です。私はこう考えている、こう思っていると必要以上に主張することは自身の無さの裏返しであることが多いです。本当は自分で自分を評価できないから他人に認めてもらいたいという状態になる。それは単なる自己顕示であり自分を自分で自覚できていないことを主張していることのようにも受け取ることができます。それは、とても“恥ずかしい”ことです。
恥ずかしいということは、決して悪いことではないと考えます。むしろ、これからはこの恥ずかしいという感覚にもっと敏感になったほうがいいと考えます。何故ならば、本当は、人は全て分かっているのだと思います。
『他人から見られて恥ずかしいことは自分にとっても恥ずかしいということを・・・』
今までの話を整理してみると、ある側面において人は複雑な生き物だと捉える事ができますが、ある側面では本当は純粋な生き物なのだと思います。ちゃんと本能的に分かっていることは分かっているのです。ただその分かっている内容を自覚しているか?自覚していないか?というポイントで人の内面は多種多様なのだと考えます。
私が今回選択した写真は、まさに被写体の“自覚した美しさ”が存在しています。また、本来持っている人間の隠しきれない繊細な“美”とは何かを考えさせてくれる一枚だとも捉える事ができます。そして、その人間が本来持っている“美”をお客様と私たちで共に追求していく空間が、この.Withであることを再認識させてくれました。
私達フォトグラファーは最大限の技術で、被写体の自覚している美しさと自覚していない美しさという対極にある部分に集中しなくてはいけません。何故ならば被写体は自身の美を自覚して、なお輝きを増すからです。自覚していない美には更なる可能性が存在しているともいえます。この一枚は、アングルとレンズという大きなポイントによって、その美をより正確に捉えようとしています。何故ならば、カメラの技術以前にレンズに写りこむ空間と空間の中に存在しているもの全てに対して理解しているからです。だからこそ、成しえる技術なのです。具体的には、被写体の手足の長さやバランス、履いているヒールの存在、被写体の座るベット、右上の窓や、右下の箱、余白の整理、細かい小物の影響、光の方向、モノクロにすることにより浮き出る色味のグラデーションなどなど、多くの存在を広角レンズを用いることによって上手く調和させてくれています。被写体以外のものが四角の中で上手く調和していることにより、被写体の美がより浮き出ているのを感じとることができます。まさに、この一枚は全てが計算されたものなのです。更に、プラスアルファーで被写体の表情がこの写真をより決定的なものにさせてくれています。自分の存在を認識していく過程で生まれる、嬉しいような恥ずかしいような表情。そのようなひとつひとつの発見こそが、共に互いの存在を自覚しあえる被写体と.Withの関係性なのかもしれません・・・。
Photo by Lee PhotoEssay by ouchi
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