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大阪1号店
<コラム> 幸せな会社のために...(5)
投稿日:2018/12/13
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日本の写真文化を変える
簡単に言えば"写真を媒介に人と人が会う文化を作ること"を実現するためにライフスタジオでは様々な試みがありました。
今度作られている大阪店1号店では写真館が"何を"ではなく"どのように"したら私たちを変えることができるのかについて新たな試みをしようとします。 そしてそのような試みの計画を少しずつお見せ致します。
0-V. 遊びと労働の一致のために
このように遊びは楽しさ、真剣さ、参加、自発性という特徴を持っている。このような特徴の中でどんな特徴を生かし労働と一致させたら不安で退屈な今の人生から抜け出すことができるのだろうか。遊びの特徴をよく見てみると、「楽しさと真剣さ」は遊びをした結果、もしくはその過程においての特徴である。そして、「参加と自発性」は遊びのための前提条件に近い。だから遊びと労働の一致のための条件を話している今の段階で私たちが注目すべき遊びの特徴はつまり参加と自発性である。一言で「自発的参加」が重要である。
日常のスタジオに置き換えて考えてみよう。今働いているスタジオで遊びと労働の結合とはどんな状態を言うのだろうか。顧客が来たらいきなり手品を見せるのだろうか。スタッフと撮影の合間合間にカードゲームを楽しむのだろうか。もちろんそう言う訳ではない。遊びと労働が結合されているとは手品やカードゲームのように何かをすることを言う訳ではなく、態度を指しているからである。
例えば、「サッカー練習」をしている人がいるとする。お金をもっと稼ぎたいプロサッカー選手がマニュアルに沿って義務的に「サッカー練習」をしているのであればそれは労働である。しかし、サッカー選手がサッカーのことが好きで、さらに実力をあげるために「サッカー練習」をするのであればそれは労働である同時に遊びでもある。スタジオで新しい撮影システムについて悩んでいるとする。それを上司の命令によってデッドラインまでアイデアを出さなければならないのであれば苦痛な仕事になる。しかし、自ら悩みに参加し、仲間達ともっといいアイデアを出しているのであればそれは労働である同時に遊びでもある。もっと正確に言うと、仕事を持って遊んでいるのである。
そして、このような自発的参加の中でいろんな役割の分担が生じる。誰かは事業計画をするのに興味を持ち、誰かは実行することに喜びを覚え、誰かは評価を、誰かは顧客の反応を、誰から苦しんでいる仲間を励ますのにやりがいを感じるのかも知れない。このような各自の状況に基づいて全体的には一つの結果に向かっていくのが私たちの望んでいる遊びであり、労働の姿である。
このように一見同じだと思う行動でも、その行動を貫通する動機の自発性と参加意識によって遊びであることも、そうではないこともある。もう一度整理すると、遊びと労働の一致のためには「自発性」と「参加」、つまり「自発的参加」が必須的である。
それではこのような「自発的参加」が活発になされるためには何が必要だろうか。
まず、各個人の能力が必要である。遊びも労働も民主主義も能力が必要だ。ピアノを上手く演奏するためには、弛まない学習と練習を通じて能力を鍛えなければならない。もちろん、ピアノを演奏する以前に、ピアノ演奏をよく鑑賞するために聴く能力も必要である。このように趣味でも理念でも技術でも全てには能力が必要である。しかし、個人の能力の必要性だけを言いながら、単純に能力のある人を待つだけでは、リンゴの木の下でリンゴが落ちてくるのを口を開けて待っているのと同じ理屈である。
私たちは学習を通じてより積極的な姿勢を持たなければならない。しかし、人間の能力は理性だけで身につくものではない。実際に人間は行動も習慣から学ぶ場合が多い。本当はここから学ぶのが本当の学びになる。理論を学ぶのも大事だけど、それを実行できる状況、さらにそれを実行しなければならない状況があってこそ理論は真の自分のものになる。だから「自発的参加」がなされる条件、さらに「自発的参加」をしなければならない条件を作る事が必要である。そうすると自発的参加のスタートラインは明確である。自分が参加したい時に参加できなければならないし、さらに全員が参加しなければならない状況を作らなければならない。つまり、現実的に自分の務めている会社の経営に自分が直接的に「自発的参加」が可能にならなければならない。
自由の王国は
「外部によって決定される労働」と「窮乏」が
終わるところで、やっと始まる。
- マルクス
それでは会社の経営に自分が「自発的参加」が可能な状況とはどう言うものだろうか。
一つに、「政治的自由」が必要である。
先ほど言ったように、自分が参加したい時参加し、自分たちの規則を変えられる状況でいなければならない。そうしてこそ自分の人生の主人になれるからだ。あれこれの理由によって実質的な参加できない組織なら「自発的参加」が可能だと言えない。
二つに、「経済的余裕」が必要である。
自分の勤務形態と給与、そして未来の設計まで変更できる余裕と選択権があるべきである。また、明確な基準を作るのは難しいけれど、自分がもらう給料に余裕と言う要素も含まれなければならない。
三つに、「共同体的連隊」が必要である。
「自発的参加」による遊びと労働の一致はよく作られた公式で解決されるわけではない。華麗な公式と格好いい原則があっても共同体の人々が共にいると言う信頼なしでは全て空虚である。
それでは、本当の遊びと労働が一致される人生のために私たちがやるべき3つ、「政治的自由」、「経済的余裕」、「共同体的連隊」をどのように実行するかについて、本論に移り一つずつ見てみよう。
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