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2017.12 TED 写真修復を通じて人々の人生に触れる
投稿日:2018/1/10
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TED lifeschool 2017.12 (担当:上田)
「写真修復を通して人々の人生に触れる」
【ベッキー・マンソン】
写真加工技師、アメリカ/ニューヨーク
・2011年3月、東北地方太平洋沖地震発生(東日本大震災)
・その3週間後に、オール・ハンズ・ボランティアズに同行して被災地入り
・約6ヶ月滞在し、写真の修復・加工の活動を行なう
[動画より抜粋]
私たちは常に写真を撮ります。写真は、誰かの何かのどこかの場所や人の絆、そして愛する人の思い出です。
写真は記憶をとどめる私たちの歴史です。最後に持ち出そうとするもの、そして戻った時に最初に探すのが写真です。
それがこのプロジェクトの全てです。人間性のひとつひとつを回復し、誰かとの繋がりを修復するのです。
[ベッキー・マンソンが一緒に活動した仲間から貰ったメール]
お手伝いをしながら写真に写った一人一人の物語に思いを馳せました。
特にお婆さんから小さな女の子まで、全ての世代の女性が赤ちゃんを囲んでいる一枚の写真には胸が一杯になりました。
私の家族と同じような写真(祖母、母、私、生まれたての娘)が家の壁にかかっているからです。
世界中どこでもいつの時代でも私たちの基本的な願いは全く同じなのですね。
写真とは記録するという性質の他に、私たち人にとって思い出を補完する意味も持つ。
時間と共に忘れ去られていくことも、写真があればあの時はああだったなと記憶を留めることができる。
人は何故写真を残すのか。その当たり前のようで分かりきっているような問いにとても大切な意味がある。
[私たちの仕事について考えてみよう]
~写真行為を通して人々の人生に触れる~
単純に計算して私たちは
一日に6件、
一週間で42件、
一ヵ月で168件、
一年で2016件の撮影を行っている。
私たちは数にしてそれだけのお客様と出会い、それぞれの家族の関係や思い出に繋がりを持っている。
私たちにとっては数に表すことができても、お客様にとっては大切な1回であり、その写真はずっと残り続ける。
だからこそ私たちは写真を作る過程の様々な要素について、真剣に悩み考え、成長していかなければならない。
私たちは何故写真業に携わるのか。そこには個人的な理由や仕事だからという理由の他に、
写真で人々を幸せにするという社会的な役割があると考える。
仕事とは本来、誰かの役に立つということであり、誰かの役に立つということは、
語弊があるかもしれないが誰かを大なり小なり幸せな状態にすることだと思う。
資本主義的な考えが個人にまで浸透した今日、仕事の意味は小さな意味の域に留まっているように感じられるが、
私を含め全ての人が主体としてこの世界に存在し関係していることを知る時、
私の仕事は私だけのものではなくなり、その対象はより大きな範囲へと広がっていく。
誰かの為に写真を撮るということは、翻って私自身のためでもあるのだ。
また、写真はそれひとつで真実を表すものではなく、特別な意味を持つものにも成り得ない。
それ自身はあくまでも事実であり、その事実をどう受け止めるのか、どう感じるのかは人次第だと言える。
だから私たちは写真を撮るとき、必然的に人のことを考えなければならない。
どう受けとってもらいたいのか、どう感じてもらいたいのか。友情なのか愛なのか、美しさなのか記録なのか、
目の前に訪れる瞬間をどう写真で表現するかは撮影者に任されているが、それを誰のために行なっているのかを忘れてはならない。
いくら完璧な写真を撮ったとしてもそれを見てくれる誰か、もしくはそれを必要としてくれる誰かがいなければ空しいだけだ。
私たちの目的が「写真で人々を幸せにする」なのであれば、私たちはまずその為に写真を撮るべきである。
そしてその写真は誰かにとって大切な思い出を呼び起こす指標となり、
10年後も20年後も過ぎ去ってしまったあの頃に戻ることができる道具になる。
前に、上のお姉ちゃんが亡くなって次女と3人で来られたご家族様の撮影を担当したことがある。
その撮影でお姉ちゃんのことについて深く立ち入る話はしなかったものの、
撮影が終わりモニターで写真をご覧になられた後、お父さんから言われた一言が今も胸に残っている。
「本当に良い仕事をされていますね。」
多くを語らずとも、その一言によって私の写真行為がその人にとってどういった意味を持つのか気づかされた。
そして今は大変な時でも、いつかこの写真を通して少しでも幸せを感じていただけたら…と、そう思う他なかった。
写真を残すということは誰かの思いを汲み取ることになる。
そしてそれを写真と一緒にずっと先の未来に託すことができる。
生まれて、生きて、そして死んでいくという定めは、
人がどうこうできるものではないが、写真はそこにひとつの光を与えてくれる。
その光は手で掴むことはできないが、
その人を温かく照らし、心を穏やかにさせてくれる。
私はそんな自分の仕事を本当に良い仕事だなと思う。
◆皆さんは写真を残すという自身の仕事についてどのような考えを持っていますか?
◆また、その考えを持つに至った何かしらの経験はありますか?
ライフスクールではこの2つの質問を中心に話を進めていきました。
「写真修復を通して人々の人生に触れる」
【ベッキー・マンソン】
写真加工技師、アメリカ/ニューヨーク
・2011年3月、東北地方太平洋沖地震発生(東日本大震災)
・その3週間後に、オール・ハンズ・ボランティアズに同行して被災地入り
・約6ヶ月滞在し、写真の修復・加工の活動を行なう
[動画より抜粋]
私たちは常に写真を撮ります。写真は、誰かの何かのどこかの場所や人の絆、そして愛する人の思い出です。
写真は記憶をとどめる私たちの歴史です。最後に持ち出そうとするもの、そして戻った時に最初に探すのが写真です。
それがこのプロジェクトの全てです。人間性のひとつひとつを回復し、誰かとの繋がりを修復するのです。
[ベッキー・マンソンが一緒に活動した仲間から貰ったメール]
お手伝いをしながら写真に写った一人一人の物語に思いを馳せました。
特にお婆さんから小さな女の子まで、全ての世代の女性が赤ちゃんを囲んでいる一枚の写真には胸が一杯になりました。
私の家族と同じような写真(祖母、母、私、生まれたての娘)が家の壁にかかっているからです。
世界中どこでもいつの時代でも私たちの基本的な願いは全く同じなのですね。
写真とは記録するという性質の他に、私たち人にとって思い出を補完する意味も持つ。
時間と共に忘れ去られていくことも、写真があればあの時はああだったなと記憶を留めることができる。
人は何故写真を残すのか。その当たり前のようで分かりきっているような問いにとても大切な意味がある。
[私たちの仕事について考えてみよう]
~写真行為を通して人々の人生に触れる~
単純に計算して私たちは
一日に6件、
一週間で42件、
一ヵ月で168件、
一年で2016件の撮影を行っている。
私たちは数にしてそれだけのお客様と出会い、それぞれの家族の関係や思い出に繋がりを持っている。
私たちにとっては数に表すことができても、お客様にとっては大切な1回であり、その写真はずっと残り続ける。
だからこそ私たちは写真を作る過程の様々な要素について、真剣に悩み考え、成長していかなければならない。
私たちは何故写真業に携わるのか。そこには個人的な理由や仕事だからという理由の他に、
写真で人々を幸せにするという社会的な役割があると考える。
仕事とは本来、誰かの役に立つということであり、誰かの役に立つということは、
語弊があるかもしれないが誰かを大なり小なり幸せな状態にすることだと思う。
資本主義的な考えが個人にまで浸透した今日、仕事の意味は小さな意味の域に留まっているように感じられるが、
私を含め全ての人が主体としてこの世界に存在し関係していることを知る時、
私の仕事は私だけのものではなくなり、その対象はより大きな範囲へと広がっていく。
誰かの為に写真を撮るということは、翻って私自身のためでもあるのだ。
また、写真はそれひとつで真実を表すものではなく、特別な意味を持つものにも成り得ない。
それ自身はあくまでも事実であり、その事実をどう受け止めるのか、どう感じるのかは人次第だと言える。
だから私たちは写真を撮るとき、必然的に人のことを考えなければならない。
どう受けとってもらいたいのか、どう感じてもらいたいのか。友情なのか愛なのか、美しさなのか記録なのか、
目の前に訪れる瞬間をどう写真で表現するかは撮影者に任されているが、それを誰のために行なっているのかを忘れてはならない。
いくら完璧な写真を撮ったとしてもそれを見てくれる誰か、もしくはそれを必要としてくれる誰かがいなければ空しいだけだ。
私たちの目的が「写真で人々を幸せにする」なのであれば、私たちはまずその為に写真を撮るべきである。
そしてその写真は誰かにとって大切な思い出を呼び起こす指標となり、
10年後も20年後も過ぎ去ってしまったあの頃に戻ることができる道具になる。
前に、上のお姉ちゃんが亡くなって次女と3人で来られたご家族様の撮影を担当したことがある。
その撮影でお姉ちゃんのことについて深く立ち入る話はしなかったものの、
撮影が終わりモニターで写真をご覧になられた後、お父さんから言われた一言が今も胸に残っている。
「本当に良い仕事をされていますね。」
多くを語らずとも、その一言によって私の写真行為がその人にとってどういった意味を持つのか気づかされた。
そして今は大変な時でも、いつかこの写真を通して少しでも幸せを感じていただけたら…と、そう思う他なかった。
写真を残すということは誰かの思いを汲み取ることになる。
そしてそれを写真と一緒にずっと先の未来に託すことができる。
生まれて、生きて、そして死んでいくという定めは、
人がどうこうできるものではないが、写真はそこにひとつの光を与えてくれる。
その光は手で掴むことはできないが、
その人を温かく照らし、心を穏やかにさせてくれる。
私はそんな自分の仕事を本当に良い仕事だなと思う。
◆皆さんは写真を残すという自身の仕事についてどのような考えを持っていますか?
◆また、その考えを持つに至った何かしらの経験はありますか?
ライフスクールではこの2つの質問を中心に話を進めていきました。
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