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「幸せになる勇気。」討論まとめ。
投稿日:2017/9/8
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・主題討論「幸せになる勇気」議事録 2017.09.05 担当:ヒョヌク
1章:悪いあの人、かわいそうなわたし
Q、皆さんの心にいる悪いあの人をどう意味づけするか考えてみましょう。
「変えられない事」に執着せずに、「変えられる事」を直視するには?
【課題の分離】
変えられないことは大なり小なり私たちの身の回りに沢山ある。 その状況をただ単に嘆くだけでは意味がない。変えられる事に注目すべきでないか。
「悪い人」は私という主観から生まれたもの。かわいそうな私も同じ。 私が「悪い人」と思っているあの人は誰かにとって大切な存在なのかもしれない。 だからこそ課題の分離を意識し、自分で変えられることに注目すべき。
2章:なぜ賞罰を否定するのか?
Q1、問題行為の「原理論→目的論」。 所属感を求めて人間が起こす問題行動の経験はありますか?
人間とういう存在自体、古来より集団で生きる社会的な生き物なので、 その関係がなくなることには本能的に恐怖を感じるようになっている。 非行に走る少年少女達の例を見ると分かりやすい。彼らは学校や家庭に居場所がなく、
自分達の居心地の良い場所を求める。その結果、悪い方向に向かったのが彼らであって、それ以外に居場所を見つけることができれば、もしかしたら違う道もあったのかもしれない。
Q2、相手を「自立」に導くことで「貢献感」を得る、幸福の本質は「貢献感」である。
自分は何を通して「貢献」をして、「貢献感」を感じていますか?
「所属感」や「貢献感」はどこからやってくるのだろうか。アドラーが言うように、自分自身の中から生まれて来るものなのだろうか、それとも周りから来るものなのだろうか。 アドラーは周りの人は関係なく、自分自身で貢献感を得られればそれで良いと言う。
その場所にいるというそれだけで、その人は必要とされ貢献しているという意見。
その場所にいるだけではなく、その場所で何をできるのかが大切だという意見。
前者は存在レベルで貢献や所属を認めるが、そこからの成長や発展を阻止するリスクはある。
所属感も貢献感もまず相手あってのもの。だからこそ自分勝手にやっていいものではなく、相手の存在を認識した上で成立するもの。相手を認識し、尊敬し、自分の意志を含めた行為によって所属感や貢献感を得られるという順序が理想的である。
3章:競争原理から協力原理へ
Q、今のチームココハナは競争原理?協力原理?
昨日の仲間が今日の敵に成り得る状況はよくあることだ。 競争原理と協力原理、どちらのパラダイムで世界を眺めるかで見え方はだいぶ違う。
[機関車トーマスの世界より]
機関車たちは各々が貢献したいと願い線路を走るが、それが裏目に出ることがある。
貢献したいという思いが、いつの間にか競争を生み、問題が生じることがあるのだ。
ただ最後はそこを反省して協力することで問題を解決するというハッピーエンドになっている。競争は問題と混乱を生む可能性を含んでいる。
会社の同僚に置き換えてみると、会社には色々な人が一緒に働いている。
条件も違えば個人の能力も違う。その違いがある故に、競争や争いが起きることがあるが、本来は協力してひとつの仕事を成し遂げるという目的のもとに集まった人なのであるから、順序としては、協力原理がベースにある中で健全な競争が生まれることが望ましい。
[信用と信頼]
協力原理をベースにするには、信頼がひとつキーワードになる。
なぜ人は信頼できないのか、どうやったら信頼できるようになるのか。
さまざまな意見が出る中で、結論は出なかった。
5章:愛する人生を選べ
Q1、「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして、「わたしたち」をあげる。
人生のすべての選択について、その順序を貫く。「わたし」の幸せを優先させず、
「あなた」の幸せだけに満足しない。「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。「わたしたちで成し遂げる課題」とは?
「わたしたち」とは何か?範囲の話なのか、集団を意味するものなのか。
それでは結局、「わたし」とあまり変わらない。「わたし」と「あなた」は「わたしたち」から派生した下位のカテゴリーに入る。 また自立した「わたし」と「あなた」の共同体が「わたしたち」と言える。
撮影に置き換えてみる。
まずカメラマンとコーディネーターという関係。
それは撮影をスムーズに行うための役割であってそこに上下はない。協力してひとつの撮影を行うべきであって、どちらかが不足しているという考えであってはならない。二人はお互いに協力し合う関係であり、三木清の哲学入門の言葉を借りれば、行為し関係しあう存在である「主体と客体」とあらわすことができる。(主観と客観は認識の話であり、実際の行為までは及ばない。その点で主体と客体とは違う)
Q2、愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わります。
生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類の全てを包括した「わたしたち」を実感します。(p272 幸せになる勇気について)
「愛する勇気は幸せになる勇気である。」なぜ愛せないのか?愛するためには?
愛するためにはまず自分自身が真の意味で自立しなければならない。
ここでいう自立は自己中心性からの脱却。まず自分を愛し、自分の人生を生きることを
選択しなければならない。
1章:悪いあの人、かわいそうなわたし
Q、皆さんの心にいる悪いあの人をどう意味づけするか考えてみましょう。
「変えられない事」に執着せずに、「変えられる事」を直視するには?
【課題の分離】
変えられないことは大なり小なり私たちの身の回りに沢山ある。 その状況をただ単に嘆くだけでは意味がない。変えられる事に注目すべきでないか。
「悪い人」は私という主観から生まれたもの。かわいそうな私も同じ。 私が「悪い人」と思っているあの人は誰かにとって大切な存在なのかもしれない。 だからこそ課題の分離を意識し、自分で変えられることに注目すべき。
2章:なぜ賞罰を否定するのか?
Q1、問題行為の「原理論→目的論」。 所属感を求めて人間が起こす問題行動の経験はありますか?
人間とういう存在自体、古来より集団で生きる社会的な生き物なので、 その関係がなくなることには本能的に恐怖を感じるようになっている。 非行に走る少年少女達の例を見ると分かりやすい。彼らは学校や家庭に居場所がなく、
自分達の居心地の良い場所を求める。その結果、悪い方向に向かったのが彼らであって、それ以外に居場所を見つけることができれば、もしかしたら違う道もあったのかもしれない。
Q2、相手を「自立」に導くことで「貢献感」を得る、幸福の本質は「貢献感」である。
自分は何を通して「貢献」をして、「貢献感」を感じていますか?
「所属感」や「貢献感」はどこからやってくるのだろうか。アドラーが言うように、自分自身の中から生まれて来るものなのだろうか、それとも周りから来るものなのだろうか。 アドラーは周りの人は関係なく、自分自身で貢献感を得られればそれで良いと言う。
その場所にいるというそれだけで、その人は必要とされ貢献しているという意見。
その場所にいるだけではなく、その場所で何をできるのかが大切だという意見。
前者は存在レベルで貢献や所属を認めるが、そこからの成長や発展を阻止するリスクはある。
所属感も貢献感もまず相手あってのもの。だからこそ自分勝手にやっていいものではなく、相手の存在を認識した上で成立するもの。相手を認識し、尊敬し、自分の意志を含めた行為によって所属感や貢献感を得られるという順序が理想的である。
3章:競争原理から協力原理へ
Q、今のチームココハナは競争原理?協力原理?
昨日の仲間が今日の敵に成り得る状況はよくあることだ。 競争原理と協力原理、どちらのパラダイムで世界を眺めるかで見え方はだいぶ違う。
[機関車トーマスの世界より]
機関車たちは各々が貢献したいと願い線路を走るが、それが裏目に出ることがある。
貢献したいという思いが、いつの間にか競争を生み、問題が生じることがあるのだ。
ただ最後はそこを反省して協力することで問題を解決するというハッピーエンドになっている。競争は問題と混乱を生む可能性を含んでいる。
会社の同僚に置き換えてみると、会社には色々な人が一緒に働いている。
条件も違えば個人の能力も違う。その違いがある故に、競争や争いが起きることがあるが、本来は協力してひとつの仕事を成し遂げるという目的のもとに集まった人なのであるから、順序としては、協力原理がベースにある中で健全な競争が生まれることが望ましい。
[信用と信頼]
協力原理をベースにするには、信頼がひとつキーワードになる。
なぜ人は信頼できないのか、どうやったら信頼できるようになるのか。
さまざまな意見が出る中で、結論は出なかった。
5章:愛する人生を選べ
Q1、「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして、「わたしたち」をあげる。
人生のすべての選択について、その順序を貫く。「わたし」の幸せを優先させず、
「あなた」の幸せだけに満足しない。「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。「わたしたちで成し遂げる課題」とは?
「わたしたち」とは何か?範囲の話なのか、集団を意味するものなのか。
それでは結局、「わたし」とあまり変わらない。「わたし」と「あなた」は「わたしたち」から派生した下位のカテゴリーに入る。 また自立した「わたし」と「あなた」の共同体が「わたしたち」と言える。
撮影に置き換えてみる。
まずカメラマンとコーディネーターという関係。
それは撮影をスムーズに行うための役割であってそこに上下はない。協力してひとつの撮影を行うべきであって、どちらかが不足しているという考えであってはならない。二人はお互いに協力し合う関係であり、三木清の哲学入門の言葉を借りれば、行為し関係しあう存在である「主体と客体」とあらわすことができる。(主観と客観は認識の話であり、実際の行為までは及ばない。その点で主体と客体とは違う)
Q2、愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わります。
生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類の全てを包括した「わたしたち」を実感します。(p272 幸せになる勇気について)
「愛する勇気は幸せになる勇気である。」なぜ愛せないのか?愛するためには?
愛するためにはまず自分自身が真の意味で自立しなければならない。
ここでいう自立は自己中心性からの脱却。まず自分を愛し、自分の人生を生きることを
選択しなければならない。
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