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京都桂店
②写真と人〜工藤さつき〜
投稿日:2016/12/1
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私と工藤さんは性格が正反対だ。
それ故、工藤さんは私の人生史上最も喧嘩をした人だ。
だけど、工藤さんは私の人生史上最も自分の内面の事を出す事ができた人でもある。
私と工藤さんの初めての出会いは意外にも同じ店舗だったわけではなく、サークル活動だった。2012年の4月ごろだ。
成人写真班という大人の撮影をベースとしたLEE社長のサークルだったが、すでに何回か開催されていた
所に私も工藤さんも途中参加したのが彼女との初めての出会いだった。
我々の境遇は全く違った。
その頃越谷店が本社直営1号店として頭角を表そうと活発に動いていて、その渦中にいた私は
社長からのお誘いで行く事にしたのに対し、工藤さんはそれとは反対の横浜店に勤めていた。
最近になってあの時なぜ成人写真班に来たのかを聞く機会があった。
彼女曰く先輩からのお勧めもあったけど、ライフスタジオの本質を知るためだと言っていた。
自分の環境を愛する一方で客観的に見る目も持っている工藤さんは
横浜店を愛していたし共に働いた仲間も信頼していたが、それと同時に
越谷店と横浜店が違う内容を持っている事も気づいていた。そしてそれがなんなのか知ろうとしたのだ。
成人写真班が終わってから約1年の間あまり交流はなかったが、縁があって横浜青葉店で一緒に働く事になった。
共に働くようになり彼女の素顔を深く知るようになったわけだが、彼女の性格は一言で言えば「自分に素直」という言葉がしっくりくる。
自分の価値観に忠実で、それと異なる言動は感情的に納得するまで話を要求する。
そんな性格だからか事なかれ主義な私の人生において工藤さんとの印象的なエピソードはほかの人よりも多い。
青葉店で働いていた頃に一番印象に残ってるのはやはり写真の話をしている時だろう。
とにかく写真の話をしている時の工藤さんは熱い。
自分と他の意見が食い違ったなら顔を赤らめ鋭い眼差しで意見を述べる。
あまりの剣幕に周りが言葉を失うという事も割と多かったが、発言数が決して多くない現場において
彼女の存在は重要だった。
工藤さんの写真の一番の特徴は「被写体との距離」だ。
被写体との距離というのは物質的な距離ではなく「被写体と心を通わせているかどうか」の指針になる
心の距離感の事を言う。心の距離感が近い写真というのは、被写体がまるで写真から言葉を発しているような
メッセージ性の強さを必要とし、それを捉える撮影者の観察的感覚が必要だ。
実際彼女は望遠レンズを使う事が多いが、被写体のメッセージ性の強さはまるで被写体がすぐそこにいるような感覚に陥る。
具体的に細かい事を言うと70mm~130mm付近の焦点距離を使ったクローズアップが上手だ。
この距離感は被写体から見てカメラマンが完全に消えるわけでもなく、かといってカメラマンの存在をさらけ出すわけでも無い距離感になり
ある一定のポートレート性を保ちながらそれでいて被写体の自由度を高めようとしている。だから彼女の原本は総じて女性らしい柔らかさを持ちながら力強い。
そしてもうひとつの強みはその論理性と努力にある。
彼女の撮影スタイルは実際には感覚的だ。一期一会の子供達をその時の最善で撮影しようとする彼女のスタイルは
その時にならなければどう発揮されるかわからない部分がある。
だけど彼女のその感覚的センスを十分に確保し、感覚的に発揮できるようになる鍛錬する努力と
その説明力はフォトジェニックの文章を見ていればわかる。
彼女がフォトジェニックを5回獲得した最大の要因といっていいと思うし
私はその部分についてとても尊敬している。
そう、工藤さんはとてつもない「努力家」だ。
青葉店で初めて彼女の写真を見た時、戦術したような特徴ではなく「綺麗だけど何か足りない」感じがあった。
しかし、それから一年もしないうちにフォトジェニックを獲得するようになり
今ではライフスタジオで写真といえば「工藤さつき」と言っても過言ではないくらいに。
その背景には1人で写真分析を何十枚もこなしたり、人からのアドバイスを真摯に受け止め、撮りたい写真のイメージを
分離室の壁いっぱいに貼ったりと人知れず努力を重ねた結果だろう。
話を元に戻すと、工藤さんは青葉店で論文プロジェクトを共にやり遂げ、その後「論文のように仕事をする」埼玉エリアへと渡っていった。
私は越谷で工藤さんは草加だったが、共に埼玉に来てくれた唯一の人になった。
草加店での彼女の活躍は外から見守るばかりだったが、二つ目の論文を書き上げ自分を表していく姿は
いつの間にか「横浜の工藤さつき」から「本社の工藤さつき」へと変わっていくように私の目に映った。
写真の事でヘヨンさんと火花を散らしていたという事が噂で聞こえるたび相変わらずだなと思いながら・・・笑
その後私たちは浦安店で2度目の同じ店舗での活動が始まったが、その浦安店で問題が生まれた。
私は彼女を突き放してしまったのだ。
理由は簡単ではなかったが、ひとつの原因は私と工藤さんが正反対の性格がゆえに起きてしまった亀裂だった。
性格や価値観というものは当然ながらこれまでの人生にルーツがある。
美術学校に入り美的センスを磨きながら茶道部にも所属しソフトボールでリードオフマン、入学時に先輩に引き抜かれたというハンドボールも国体レベル。
J-popはなんでも歌えるし80Sハードロックは高校時代に誰とも話が合わないというくらい詳しく、横浜ベイスターズは前身の大洋ホエールズ時代から詳しい。
仕事の面では、写真でのリードは言わずもがなだが業務やコーディネート、管理から対話、衣装、ディスプレイやフォトショップまで
何か一つ得意な物が該当すればそれを得意分野と言いそうなものを大方こなしてしまうのが彼女の力だ。つまり、多才だ。
次女であり、1つ下に長男がいる工藤さんは自分の肩身の狭い境遇をよく話してくれた。少なくとも30回は・・・。
こんなにいろんな事をがんばっている背景には何かを達成する事によって誰かに見ていてもらえるという欲求が根本にはあるようだった。
自分の事をもっと見てもらいたい、存在を証明したい、認めてもらいたいという思いが幼少期の頃から自然と彼女の行動理由のひとつとなっていたのかもしれない。
一方で私は4人男子の長男として生まれた。私は親戚からは初孫として扱われ、親には初めての子供として扱われた。
弟たちよりも愛情を注がれたという実感は正直あまりないが、残された写真の数や私の今の「1人になりたくなる」悪い癖などから
満たされていた環境だった事が伺える。
その反面弟たちの面倒見なければいけなかったり、自分の感情を我慢した事による自己表現力の欠如も残念ながら私の特徴ではあるが・・・。
彼女から見れば兄弟の一番上は眩しく見えるし、私から見れば下は自由で羨ましい。
冒頭にも書いたが、彼女と私では境遇が丸で正反対で実際の性格も正反対だ。
共に仕事をしながら私はその感情を感知するアンテナが欠如していた。
というよりは電波を受信してもそれを言葉に変える変換器が壊れていた。
ようは無視してしまったのである。
もちろん出生だけが性格の全てを構築するわけではないが
特段承認欲求を持たずとも誰かが見てくれていた私にとって
彼女の欲求は「私を見て!」という声が聞こえてきそうなくらい自己中心的に見えてしまったのだ。
だから私は、自分の話をし、反応を欲する彼女に対し「人に反応を要求するのではなく、ただ自分の事に集中したらいいじゃないか」
というひどく個人的な価値観を押し付けてしまったのである。
人の背景を理解せず自分の価値観だけで事物を判断し、ただただ人とはこうあるべきだみたいな「正しさ」を押し付けた結果だった。
結果、彼女をひどく苦しませ孤独にさせてしまった・・・。
浦安の事から数ヶ月が経った8月頃、できたら避けておきたかったその頃の話をした。
その時自分がどう思っていたか、そして工藤さんはどう思っていたのか。
そんな事をしたのは正直初めてだった。
私は自分の考えがあまり綺麗では無い事を他人に気づかれたくない為に
今まで自分の感情的な部分を悟られないように人生を生きてきた。
だから話している時、恥ずかしい話だが手が震えたのを覚えている。
それから私は工藤さんに対してだけは気になった事は言えるようになったし、自分を隠すような事は少なくなった。
私の厚すぎる壁を薄くしたのは工藤さんの「素直さ」があったからこそだと感謝している。
工藤さんはなんでもはっきり言葉に出す為、時に敬遠されとっつきにくいという印象を与えているかもしれないが
私のように工藤さんのその良くも悪くも裏表のない素直さに惹かれ、自分を目覚めさせようと金言をもらいに
定期的に会いに行く後輩は実は多い。
工藤さんが「噛めば噛むほど味が出る」タイプだと気付いた人だけが彼女の周りには集まる。その関係性は本物となる事が多い。
一方で私は一緒に働いた事が無い人ほど私の事をよく思ってくれている事が多い。
この点でも私と正反対だ(笑)
ある日、彼女になぜそんなに自分の意見を強調するのか、意見を曲げないのか?と正直に聞いた事があった。
そうしたらとても意外で、それでいて納得のいく答えが返ってきた。
「自分の意見に自信が無いんだ」という言葉だった。
さらに彼女は続けた。
「私は自分を成長させるには自分の世界観を壊さなければいけないと思っている。
だから自分の考え方をさらけ出し他から納得のいく違う意見を待っているんだ。
つまり自分の意見が正しいと思って強く主張しているわけではない。むしろ変えて欲しいんだ。
でも、自分をさらけ出さないと相手も考えを知る事ができないでしょう?」
この意見には激しく同意した。
自分の意見を主張するという点においては正反対だが、成長の為には自分を否定しなければいけないし、
常々そうしようとしている点では共通するものがあった。
工藤さんは自分の意見を曲げない頑固な人ではなく、常に客観を取り入れ自分を昇華しようとしている人だ。
工藤さんの写真が変化していったのもこの性格だったからこそだ。
普通、頑固だったりプライドが高くて意見が曲げられない人というのは他人の意見が入らないので
成長しない人が多いが工藤さんはそのタイプでは無い。
私が1日だけ所沢に出勤した時の写真を次の日には自分の写真に取り入れているし、写真分析のやり方についても
自分のやり方を主張した後、しっかり他人の意見も取り入れた内容へと進化していた。
でも、それならもうちょっと意見を優しく言ったらいいのに・・・という私の意見については検討中だそうだ(笑)
何度も言うが私と工藤さんは正反対の部分が多い。
それ故ぶつかる事も本当に多かった。
しかし正反対という事は私のもっていない強みをたくさん持っているという事だ。
似ていない者同士が凸と凹のようにうまく組み合えば、私が心の扉を開いたようにきっと何か化学反応が起こると思うし
その土台はこの一年でゆっくりと作る事ができた。
ぶつかった分だけ強い絆ができた。この経験は私にとってはあまり無いものだ。
筋肉はトレーニングで一度繊維が破壊された事によってより強固になっていくが
来年の所沢店では私たち2人の関係がトレーニングされた筋肉のように発揮される
と期待したい。
工藤さんは、私を変化させてくれた数少ない1人だ。
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