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越谷店
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生きていること
投稿日:2017/7/1
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写真というのはどのようにして現在の形になっていったのか。
カメラのはじまりは、なんと壁に穴が開いただけの暗い部屋でした。
それは紀元前に「カメラ・オブスキュラ」と呼ばれたもので、
カメラは「部屋」、オブスキュラは「暗い」という意味です。
四角い部屋の壁にひとつ小さな穴を開け、この穴から入った光が反対側の壁に届くと、外の景色が映るのです。
時代が進むと、それはもっと小さく持ち運べるサイズの箱になり、
小さな穴の代わりにレンズが付き、箱の中に入ってきた光をすりガラスに映し、
そこに映った景色を紙に写し取ると、本物そっくりの絵がかけるため、画家たちが写生用に使っていました。
その箱はさらに改良され、箱の中に映った景色を人間が写し取るのではなく、
科学的な方法で写し取るために、多くの人々が研究をかさねました。
そして1826年にフランスのニエプスという人が8時間もかけて1枚の写真をとったのが、写真の始まりとされています。
日本に写真が伝わったのは、江戸時代の1848年(嘉永元年)とされています。
日本人によって写された写真で、今も残っているもので一番古いものは、
1857年(安政4年)に写された鹿児島のお殿様・島津斉彬公の銀板写真です。
やがて「写真術」を学んだ人々が各地で「写場」(今の写真館)を開き、
肖像写真(人物写真)などが写されるようになりました。
それらの写真は現在でも「幕末の志士(江戸時代の終わりごろのおさむらいさん)」や
当時の有名人の姿など貴重な記録として残されています。
最初の写真にはもちろん色はなく、写真で像だけはなく色までも再現したいという考えは写真誕生直後からあり、
光の3原色(青・緑・赤)をいったん分解してネガを作り、
それを幻灯や印刷物で再現する方法で「カラー写真」が作られていました。
現在のような「現像」によってフィルムに再現する方法では、
1935(昭和10)年にアメリカのイーストマン・コダック社が発売した
「コダクローム」が映画用として誕生したのが最初で、1936(昭和11)年には写真用としても発売されました。
どんどん技術は進化していき、私たちは今の何度でも取り直しが出来る昔の人が驚くとても便利な現在のカメラを手に入れる事が出来ました。
モノクロフィルムなどは今でももちろん存在するが、
現在はだいたいのカメラの機能でモノクロ写真でもカラー写真でもどちらでも好きな方を選んで
写真を撮影する事が出来る中で、あえてカラーではなく、モノクロを選択して撮影するには意味があります。
今回3人兄弟の写真をとっているとき、3人ともとてもとても元気で
静かな写真ではなく、元気で活力のある写真がこの子たちには合っているなと思って撮影していましたが、ふと3人を見るとコーディネーターを見つめる3人の反応が全然違っていて、3人のそれぞれの良さと3人の今の姿がとてもかわいくて、
そんな姿をもっともっと集中してみたいと思ったとき、カラーにするのではなく、あえて色情報を無くしたモノクロという表現を選択しました。
色とゆうのはとても大切な情報の1つです。
色を見る事で様々な情報が頭の中にはいってきますが、状況によっては情報が入りすぎてしまい、集中するポイントが散漫になってしまう事もあります。
モノクロ写真は色情報が1つ無い分、画面を見たときに集中できるポイントを絞る事ができます。
今回の写真はこどもたちの表情、そして兄弟3人の身体の大きさの違いも幼い兄弟たちの可愛らしい姿を写す事が出来る1つのポイントでもあります。
美しい写真というのは何をもって美しいのか。
構図や光の使い方など様々な定義はあり、答えは1つではないと思いますが
私にとって美しさの定義は「生きていること」そう感じています。
ポートレート写真はもちろん、
物撮りでも風景写真でも、カメラのレンズの中に写っている人やモノをどれだけ活き活きと生きているように写す事が出来るか、そう意識するように写真を撮影しています。
人は生きていて、私も生きています。
その場所にいる私たちが心と心を通わせ、一緒にいる時間を大切に「生きた写真」でみなさんを幸せに出来る様に日々努力していきたいです。
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