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越谷店
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2人の心と私の心と

投稿日:2017/4/15

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自然な姿とはどんな姿なのか。

こども達と接していると、ほんの短い時間の中で色々な表情を見せてくれることが多々ある。

お店に来たばかりの時は緊張していて、視線がなかなか合わないけれど、
私が少しの時間離れて戻ってきたときには、きらきらした目で私に向かってきてくれて「おねえさんこれなーんだ」と私に話しかけてくれる子もいるし、
反対に最初はリラックスした状態だったけれど、撮影がはじまると緊張して話どころではなくなり、
考えこんでしまう子もいる。
人間だから性格の傾向などのパターンで分けることはできるかもしれないが、
本当に十人十色同じこどもは存在していないからこそ、毎回新鮮な気持ちでこども達と出会い、
こども達の色々な部分を知り、彼、彼女らの色々な部分を映し出すために私たちは向き合う。
 
被写体の2人は、質問や問いかけには答えてくれるし、大きく騒いだりせず、私とコーディネーターのたかちゃんの話に耳を傾けてくれる様なこども達だった。

けれど、それはある意味2人が他人の私たちの前で素直な自然な姿を出せていないからなのかとも感じていた。
私は母親が写真館で働いていたこともあり、物心ついたときには写真館で写真を取る機会がよくあったが、
小学生頃始めての思春期に入る頃には良く知らない大人たちが自分に向かって私が笑うような行動をして写真を取る瞬間が正直あまり好きではなかった。
余所行きの自分を見られるのがなんだか恥ずかしくて、、、
けど渡しはそれと動じにとても気にしいな性格をしていたので大きく反抗する程の度胸も気力もなく、
ただこの瞬間が早くすぎてほしいと思っていた。
 
そんな少しひねくれたこどもの頃を思い出すと、私は今2人からどんな大人に見られているのかなと考える。
2人がどんな風に考えているかの真相は私にはわからないけれど、2人の気持ちを理解するための努力は出来るし、大人とこどもとして接するのではなく、同じ人として2人と関係を作ることは出来るのだ。

しかも2人一緒にいるならば2人で楽しい時間を作り2人で共有することが出来る。
話したり、動いたりしながら2人の心と私たちとの心をくっつけることでいつもの2人がそこに存在する。

この写真を撮るとき、2人はほぐれている状態ではあるけれど、やはり、私からの問いかけに一生懸命答えようとしてくれていて、
画面の上で太陽の光ですける葉を幼い指でぐっと掴み、そこにふっと息を吹きかける2人を良くみると、
妹は兄と一緒に息を吹きかけながらも横目でちらりと兄のほうに目線をやる姿が本当にかわいらしくて、いとおしくて、離れないように、同じ空間を共有する2人を繋ぐ手を見て、私はこんな姿を見たくて日々子たちに語り、写真を収めているんだと感じました。
 
いつもそこにあるけれど、形に残らない何かの一部を写真というものは残すことが出来る。
私が2人に感じたいつもの2人がいつかどこかでまた記憶と思い出と心の思い出として少しでも残っていたら幸せだなと思う。
 

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
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