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時間と他者 Emmanuel Lévinas  2013-2

投稿日:2013/1/13

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時間と他者

著者:Emmanuel Lévinas

Center:蒔田高徳

 「この講演の目的は時間は(中略)他者との関係そのものである、ということを明らかにすることである」とあるように、時間について、他者について、また自分、他者の実存についてなんだか持論が書いてある。

 「実存から実存者へ」という言葉があったが、「ある」から「存在している私」同じかもしれないが、より前向きな言葉のような気がする。

 よく仕事で考えや、計画はあるが形として実行されていない、結果がまだ存在していないものは、それはアイデアが思考と言葉として「ある」だけで、現実の形や結果として「実存していない」と思うことがある。実存していないものは、誰かの別の思考によって否定される傾向がある。誰かの否定の言葉ですぐやる気をなくして結局その言葉のせいにして何も動かなければアイデアはあっただけで、実存しなかったことになる。

と、哲学風に言ってみたがそういうことだろうか。だからこそ、実存から実存者へ向かうのは行動することが鍵だと私は思っている。

 

 ハイデガーは「自分がここいると思っているからいるんだ」という言い方をしたが、レヴィナスは「そのような存在は孤独で苦痛であり、その気持ちの現象として現れているのが不眠、怠惰、疲労」の三つだと言う。そしてそれを解消する手段の一つが眠ることだとも。

 眠ることは実存の方法とは面白いと思った。自分自身が起きている時、覚醒している時よりも眠っている時こそが実存なのだと。

 少し分かるような気がする。よく経営者は孤独だという表現を目にすることがある。実際孤独かどうかは、経営の判断、経営の最終責任、そこに孤独があるかもしれない。しかし、その孤独と友達になる特権が経営者にはあるとも思う。「そのような存在は孤独で苦痛であり、その気持ちの現象として現れているのが不眠、怠惰、疲労」の三つだと言う。そしてそれを解消する手段の一つが眠ることだとすれば、経営者はちゃんと眠れる時にこそ、人間として実存しているのかもしれないと考えることもできる。

 経営者に限らないが、自分自身の生き方に圧迫を感じながら生きている人は、その圧迫の中生きる自分が実存しているよりも、押しつぶされてしまいそうで存在していることが苦しくなってしまうかもしれない。眠っている方がよほど自分自身が実存している解放区なのかもしれない。

 

レヴィナスはハイデガーの言う「孤独」はあらかじめ前提された他者との関係のうちにあるものと批判し、それを捨て去る。レヴィナスの言う孤独とは予め与えられた他者との関係の剥奪ではなく、実存者と実存することとの解消しえない統一性であり、位相転換すなわち「実存者がそれを通して自らの実存することを結びつけるところの出来事」に起因するものなのである。レヴィナスにおいて、他者とは前提されるものではなく探求されるものであると言う。

 

時間と他者についてはよく書かれていることの文章からでは意味がわからないが。

 

孤独が時間の不在であること、現在とは実存することは実存者へと転ずる境界にあること、未来との関係は他人(引き受けられた他者)との関係であり、「現在による未来に対する侵食は、単独の主体の所業ではなくて、間主観的関係」であること、つまり「時間の条件は、人間同士の関係のうちにないし歴史のうちに存在する」ことと論及されている。

 

この意味不明を私なりに明らかにすると、会社に日曜日に出てくると、そこにある時間は携帯電話などの情報伝達手段を遮断すると、時計のみ、時間のみが私と相対している。その時の時間は、よく集中でき、自分の中にある実存が実存者へと向かう作業を進めさせる。その時は文章作成が多いが、思考の中の実存から文字へ、結果へと向かう実存者へと進めさせる。その現在に、急に階段を上る音と共に誰かがドアを開ける。その時、孤独が時間の不在のように感じていた、その瞬間、孤独はなくなるが時間は時折他者に侵食される。目の前の人が邪魔であれば侵食であり、嬉しい場合には時間の共有とも表現する。他者は前提されるものではなく、探求されるものであるというレヴィナスの言葉を借りるならば、他者の存在をその時に、邪魔と規定するか嬉しいものと規定するかは、前提されるものではなく探求するべきだと思う。何でも前提される侵食されるのではなく、共に生きているということなのだから。

 

哲学の本は、読んだ後に自分なりに言葉を作ろうとしても、解釈をどこか間違っているようで不安になるが、

それはまるで自分が宇宙船の無重力でしばらく過ごし、地球に戻る時に「宇宙空間で果たして私は進化したのか?退化したのか?」

と疑問を抱く。

それは「地球に戻って見ればあなたの筋力は退化したかもしれないが、人類は進歩したした。」とでも言われているようなそんな感じである。

 

ふー

 

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