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越谷店
第五章 面識による知識と記述による知識
投稿日:2011/10/31
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記述による知識の重要性は主として、それによって私的経験の限界を超えてゆけるようになることにある。私達に知ることができるのは、ただ面識を通じて経験した項のみを要素とする真理だけだ。だがこうした事実があるにもかかわらず、私達は記述による知識によって、けして経験しないものをも知る事ができる。直接経験できる範囲が非常に狭い事をみるなら、記述がもたらすこの成果は死活的に重要になる。そしてこのことが理解されないかぎり、知識の大半は神秘的で、それゆえ疑わしいものにとどまらざるをえないのである。
記述でしか花粉症を知らない人は、花粉症人間からすると本当に知っているとは言えないだろう。知識の大半は神秘的で、それゆえ疑わしい。だから人は、すべてにはなれない。スポーツや、哲学に思考したり、音楽を奏でたり、、数学を解いたり、記述で知識を得ても、自分の面識になれるかどうかは別だ。すべての知にはなれなくてもお互いの知を共有しあいながらバランスを取っている。そしてより進んでいる。ただ知識的な側面では進化しているようで、反面心はどんどん退化していってはいないか。
答えが出る知識の世界だけが答えではないと思う。ラッセルさん?
セルフポートレート
今月は一つの読書感想文にとりつかれていた。
1ヶ月パソコンの前で、あーでもないこーもないを繰り返し。
キーボードに頭を沈めていた。
Iphone4sを手に入れた。セルフカメラが取りやすい。性能の良いカメラで私を取りたくない。私を移すには今iphoneで充分だ。どんなカメラよりもちょうどよく私を写す。
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