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ライフサークル 哲学チーム 第二回目NO2

投稿日:2011/10/16

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哲学チームは、 バートランドラッセルの「哲学入門」と言う本を読んで討論主題を決めて討論している。

 

「物質の存在と本性」

前回は現象と実在について我々の認識を疑う討論であった。今回は実在の存在と本性に関して討論する。内在的な本性を持ち、見ていない時(センスデータで認識しないとき)でも存在し続けるもの。独立して存在する物がなければ、自分以外に世の中で存在するすべてが夢の話である。というようなマトリックス的な話でふわふわしていた。が、私はこう思っている。哲学に対して言葉にするのは難しいが、机の物質の存在は、机は物だ。物質だ。人間が作った被造物だ。認識をしたセンスデータが疑わないというが、疑ってどうする。「我思うゆえに、我在り」当たり前だ。

哲学とは言葉で全て表現しないと気がすまないのだとつくづく思う。だから書物も理解しにくく、それらしい事が書いてあるのだが、結局確信しているのか全て疑ってるのかわからない。どこかで落ち着いてほしい。それゆえに哲学か。

私は感覚的人間だが、神やら霊やら見たことはない。感覚で、あ、これこそと説明できるものはないが、信じている。その方が私はハッピーだからだ。その方がロマンチックではないだろうか。触れた見た、聞いたなど感覚こそないが感謝している。感謝している気持ちと、私は与えられているという感覚は一方的なものでなく、相対的なものだと思っている。

幼い頃から、肉身の世界、精神の世界、があると信じてきた。それで私は納得していた。哲学では、我思うゆえに我ありと言っているが、我思う前に、我の原因となる存在があるんですが・・・と考えてしまう。神という存在を主体としたら、私は対象だ。だから対象として存在すると単純に思ってきた。特に疑ったことはない。哲学的思考だと不確かだと説明がつかないという。机はある。私もある。これではいかんのか。。。私を主体として見たとき、机は対象だ。世の中には主体と対象があると考えそれらが互いに存在していると思う。肉身と精神があり、精神は目に見えないが目に見えない方が主体だ。ただ精神から肉身は見えているというか、つながっている。どちらも一体なのだ。それが別れる時が肉体的な死だ。肉体から精神の世界へようこそとなる。夢や、精神、霊など、物理的な存在はないが、そもそも物理的なものでないのだから、仕方ないだろう。

物理的に、論的に説明がつけることは難しい。お金とは全世界の人達の共通の想像、空想価値だ。物質として、紙幣やコインがあるが、観念的なものだ。銀行口座に数字が見えるから何の証明になる。お金はあると物質的に言えても、それは互いの共通意識として存在させているということだろう。本当は在るのか、無いのか。哲学で在る無いを不確かな問題だとするが、世の中は不確かだらけだ。私はアメリカに行った事はない。私の中にまだ、アメリカのセンスデータはない。テレビで見ただけだ。どうやらあるらしいといえる。理解するにはセンスデータと物理的な何かが必要ようだが、著者の論理にだんだん頭がついていけない。論理的になれない。物理的でなくてもいい。ブルースリー先生「Don’t  think , Feel! 」 って言ってください。。。


私が提案する今回の討論主題は以下です。


1.シックスセンス。よくある心霊スポット、行ってはいけないと言われるような場所はなぜ?(怖い話がしたいのではありません)どうセンスデータ、物理的な存在から認識という観点でとう哲学するのか。

 

Bottom of Form

 

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