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Park WooKyu
越谷店

朴禹圭(Park)

自発的な個人の選択が、会社という組織において可能であるのか?

2012/10/11

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「自発的な個人の選択が、会社という組織において可能であるのか?」

 

「スタッフたちがしたいことをすることで、顧客に感動を与えることができるのか?」

 

突然、哲学の空気が漂い始めた・・・

 

 

1.「自発的な個人の選択が、会社という組織において可能であるのか?」

 

「会社の目的は利潤の創出である。だから各構成員の選択は、会社が利潤を創出する選択から自由になることができない。それであるから、各個人の自発的選択という言葉は矛盾である。」とても敏感な質問である。私たちはふつう、会社の目的が会社の利潤の創出であると考える。そしてそのような考えが心理とされる時代を生きてきた。しかし、そのような考えを少し変えてみる時期ではないだろうかと考える。

会社の存在価値が利潤の創出であるというのは、どのような意味なのか?それは、会社が存在する理由は生存であるとみる見解である。もちろん、とても重要であり、なくてはならない概念である。しかし、たとえば、悪徳な企業があると考えてみよう。その企業はずっと生存し続けるべきであるか?企業の存在理由が存在自体にあるのであれば、その悪徳な企業はずっと存在しなければいけない。しかし、悪徳な企業はなくならなければいけないと心の中で考える。自分の存在理由が存在しなければいけないからだと主張する人でない限り、会社の存在理由が単純な利潤創出であると言う発言は気を付けなければいけないだろう。

だとしたら、「会社が存在する理由は何なのか?」これは本当に難しい質問である。「私は、なぜ存在しているのか?」と同じくらい難しい質問のようだ。しかし、それよりは簡単な質問であるかもしれない。会社の存在価値は、私の存在価値よりも低い概念のような気がするからだ。そうなのであれば、会社というものは、私、そして私たちのために存在しなければならない。だとしたら会社は、私、そして私たちのために何を目的にしなければいけないのか?それは、「価値の創出」である。会社というものは、存在しなければならないから存在するのではなく、価値を作り出さなければいけないから存在するのだ。

その価値において、お金は目的ではなく手段になる。とても重要な手段であるが、それでも手段は手段であることに変わりはない。私たちは、価値を作り出さなければいけない。そのような価値は、私、そして私たちが作り出すものである。誰かに支持されて、作られるものではない。そのようにして作られる個人の価値が合わさったものが、私たちの価値、そして会社の価値にならなければいけないと考える。それで敢えて「自発的な個人の選択は会社という組織において可能である」という考えから一歩前進して、「自発的な個人の選択は会社という組織において必要である」と主張したい。

 

 

2.スタッフたちがやりたいことで、顧客に感動を与えることができるのか?

 

私たちは、だんだん現実に落ち着いて、今の安定に陶酔し、お客様に感動を伝えるということを考えずに、だんだん各自の幸せだけを考えているのではないかという、とても意味のある意見であった。だから、今月論議していた主題よりも、私たちがどのようにしてお客様に感動を与えることができるのかを具体的に論議しなければいけない意見だった。

しかし、方法に対しては具体的な方法がなく、出てくる意見としては今の方法と大きく変わらないものであった。そして反対の意見としては、少し異なった視覚からの意見が出た。「私がやりたくて、上手くできることがまさにお客様に感動を与えられることだ。」という意見であった。一言で、私たちが上手くできないことでは、顧客に感動を与えることはできないという意見だった。重要なのは、私たちが顧客にどのような方法で感動を与えるのかではなく、どのような価値で感動を与えるのかである。ここにおいて、個人と私たちが作り出す新しい価値は、ネットワークで集まる接点で作り出される価値でなければいけない。もちろん、何もしないで各自がやりたいことだけやっていれば価値が作り出されるという意見ではなかった。今の価値も重要であるため、発展し、また維持しなければいけないが、Bチームのスタッフたちが集まってお互いにやりたいことをやることが、結論的には顧客に感動を与える新しい試みであるという意見だった。

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