Photogenic


自由が丘店
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Photogenic 171

投稿日:2018/3/2

1982 0

今月、店舗の主題である写真家の映画を見た。
作品の中でその写真家さんが言っていた言葉がある。
 
「自分から探しても写真は撮れるものではない。被写体次第だ。」
 
人の写真を撮るということは自分と被写体との関係性もあるし、自分自身の技量バリエーションも必要になってくると感じている。ただ、キッズの撮影に置いて私が難しいと感じるのはその子に撮られているという意識があることでその意識をどう崩すことが出来るのか、それが難解であり壊し方に苦しむ事がある。
この子もそう感じた一人した。目線を外して欲しくても、会話をして欲しくても、シャッター音が聞こえるとレンズから目をそらしてくれない。いい方を変えるととてもモデルとして素晴らしく、撮影しやすい子でした。大人っぽ顔立ちの彼女は実年齢よりもお姉さんに見えていて、かつ表情も作るのも上手いためどうしても大人っぽいい印象に見えてしまう。それはそれでとても良いことなのですしクールビューティーに撮れたカットもありましたが、撮影の合間に見る自然体の彼女の表情や言動が残せてないようにも感じていました。どうアプローチをしたらそれが残せるのか?意識を変えるにはどうしたらいいのか?模索は続きました。が、それは案外シンプルなところで崩れました。
 キッチンでイチゴの入ったカップを渡した時です。不意に彼女は嬉しそうにぴょんぴょんと足を弾ませました。これだったのか!その姿が私にはとても愛おしく見えて、なんて可愛いやつ!!その足の感じ可愛い!などとカメラ越しに思ってしました。そこに至るまでのポーズもカメラ目線も上手に決めてくれる可愛い子ではなく、本来の自然な彼女の可愛さをそこに見た気がしたのです。
 
この時に、私は最初に書いた言葉が妙にしっくりときたのです。
自分が思うこう写真ああいう写真というのは、自分が探したところで撮影することは難しい。被写体と自分の関係、撮影している雰囲気環境を汲み取った被写体によってそれが形となり一枚となる。だからと言ってその答えを探さないわけでもないし、偶然が来る事を待つだけではないこともわかっている。その答えを導けるヒントや環境を整える事をしてこその「自分から探しても写真は撮れるものではない。被写体次第だ。」この言葉が成り立つように感じた

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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