Photogenic
市川店
「写真のスパイス」
投稿日:2018/8/2
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最近キッズの撮影よりベイビーの撮影でカメラマンになることが増えてきました。キッズの撮影は撮影者自身が何かを出さなくては被写体に動きを出すことが難しい時が多々あります。しかしその分カメラマンは自分の想定の範囲内で撮影することが出来、しかもその想定内の中で自分のここぞという瞬間を残すことが多いのではないかと思います。
それと比べてコミュニケーションが難しい1歳から2歳は自分の想像の中で撮影をすることが難しく、なかなかイメージして撮影に入ることが出来ず私自身の課題でもありました。
様々な写真をネットで探してはみるものの、なにかパッと心に来るものが見つからなくどうしたものかと頭を抱えていました。そんな中ある日来店頂いたご家族で1歳記念の小物を使いたいというご家族の撮影に入る事がありました。その小物は頭に乗せる冠と星形のクッションでした。
私はその小物たちを見た瞬間に私のアンテナがイメージを呼び起こし、瞬時に写真のイメージが降ってきました。
写真は時に私たち人間の目で見る限界を超えていきます。人間の視力を超えたものを写真として見慣れてしまうことで、私たちの観念は写真=美という固定概念で固められてしまっているのかもしれません。
少し身近なところで例を挙げるのであれば風景写真です。誰もが美しい景色をみたら、写真を撮りたくなるものですが、一枚の風景写真を撮るということを考えただけでも、そこには信じられないほど多くの選択が絡んでいます。まず、何を写すかという被写体の選択、それからどういう風にフレームに収めるか、どういう風に風景写真として切り取るかといった技術的な選択。撮影者の意図が明確であればあるほど、その写真は観光パンフレットのような見易さや美しさを持った写真になるのかもしれないし、そうだからこそ、実際にその場所を訪れた場合、がっかりすることが多いこともあります。つまり、写真の風景は現実の風景とは異なったものになります。そういう物に晒され続ければ自ずと観念にも影響を及ぼすことになります。写真は撮影して終わり、というものではなく撮影された写真を見る者という他者の存在によって意味づけがなされるものです。写真を資料として見る歴史家の視線と、同じ写真であってもそれを芸術作品としてみる視線は大きく異なっています。有名な言葉で「写真は表面的なものに眼を集中させる。そのために、それは光と陰の戯れのように物の輪郭を通して他の見える隠れたいのちをあいまいにしてしまう。それは最高のレンズを使っても捉えることができないのだ。それは感覚で手探りしなければならないものなのだ。この自動カメラは人間の眼を何倍にもふやすのではなく、とんでもなく単純化したはえの視覚にしてしまうのだ」
この言葉の通り写真には目に見えない部分が大きく関わってきているのだと私はこの写真を通して感じることが出来ました。ライフスタジオに来店するまでのストーリーがお客さんにあり、もっというのであれば子供が生まれたときのストーリーを写真に残したくて一つの形として小物を持ってきたりしてくれる。
写真の技術は確かに必要ですが、私に一番必要であったことはその見えないものをどのように表現するのかという部分であったように思えます。
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