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コーディーネーター会が私に与えたこと

投稿日:2012/4/13

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コーディーネーター会が私に与えたこと、

そこからみたライフスタジオの教育

 

この3カ月間、教育とはなにか、コーディー会とは何か、私がライフスタジオでやってい

くべきことは何かを考え続けた。

本も読んでみた、話もしてみた、そして実践をしてみた。

 

希望の教育学でフレイレは実践と言う媒体を使う事を推奨していた。当たり前だ実践なくして頭を大きくしていては、存在価値はむしろマイナスになるばかりである。

コーディー会は、私に真剣に実践すると言う最高の媒体である。と言うのがコーディー会が私に与えてくれた最高の贈り物だ。

人は、生きている、動いている主張がある、その人たちの中で動く自分というものを肌で感じること、24時間この事を考えて、研究し本を読み学習すること、そしてその中で自分自身で実践したきた原理を適用してみること、うまくいかない時は相談して変更可能なこと。変化発展を望んでいる人たちと共に歩めること。

教え、教えられる事を通じて、自分に立ち返ることのできる場。

 

ただ書いて行くだけでも私の中での成功体験と見直せる箇所は山ほどある、ひとつづつ見ていきたい。

 

u       実践と言う最高の媒体である

今までの人生で多くを学んできた、特に学んでいないわけではなく、ライフスタジオに入ってからも多くを学んできた、しかしこれを実践という媒体を使う場を自分で求めてこなかった。本来ならばこの学んだものを現場で実践を通じて発展させて行くべきであるが、それがなかなか自分の中でつながることは無かった。

しかしコーディー会と言う素晴らしい場を選ぶことにより、私は仲間をえることができたし、今までの教育のすべてを実践できる媒体を得た。そして少なからず周りからの反応も得られたし、そしてそこにいる個人からの反応も得ることができた。

今までやって来たコーディー会が最高のものとは思えないが、この場を自分自身で責任を持ってかけていこうとするその場を与えられたことは私の中での意識の変化と、教育に対する価値観を変換させてくれた。

人が人を人としてと言うスローガンを当初私は勘違いをしていた、今までは人となることが自分にとって今やるべきことなのだと感じていた。人となりえないなら教育する意味はなく、何かを進行してくそんな意味はないのかと考えるようになり、矛盾と戦う日々を送っていた、しかし社長と話をしたり、本を読んだりする中で、教育とはただ教える側だけが教育されるものではないということ、ここで希望の教育学の言葉を引用したい。

 

「誰かが誰かを教育するのではない。


自分を自分一人で教育するのでもない。


人は自らを教育し合うのだ、


相互の交わりの中で。」

 

相互の交わりの中で、生み出されたものに価値があるのであって、何かを一人の中で生み出すことが教育ではないということである。

これに気づいた時、私がやっていくことが見えたし、今まで私の中で一人でなんでもやらなくていけないとか、人をあてにしない傲慢な気持ちはなくなった。今ままでの私がかかけてきた多くの問題のひとつはこの傲慢さから来たものであった。

このことに気づいた今、私は何かを生み出すということの本当の悦びを感じれるようになった。

 

u       テーマを持った自学の習慣

昨年より、少なからず自学の習慣というものができてきた、そこで今年はテーマを決めての自学の週間を持って見た。それがコーディー会を通じてみたライフスタジオの教育であり、人の変化発展のシステムであった。

テーマをきめるという事は、自分の中で何をするかを明確にすることであり、自分自身をクリアに保つことである。多くの情報のなかからテーマに沿った必要なものを選び出し、自分の中に取り入れる、そしてそれをどのように伝えていくのか。

ここでやはり効果があったのは「読む・書く・討論する」ということである。

この習慣の大切さを、コーディー会でも訴えたが、そんなに簡単にできるものでもなく、大切さは分かってもと・・という声がおおかった。私も5年もかかってしまったのだから、そんな簡単なものでもないだろう。

この習慣は、私と言うものを認識すること、そして他者を認識することにおいても多くの有効な手立てになる。フレイレは人は自分から「離れる」と言う行為を通じて実存すると言っている。人間は想像力と好奇心があるからだと。私はその「離れる」と言う行為が「読む・書く・討論する」と言うものなのではないかと結論に至っている。間違っていたらまた治そうと思うが。

この離れるという行為をすることによって、正確に自己を捉えることが少なからずできるようになる、これが全てではないが、嘔吐でも日記に記していたように・・・

話はそれてしまったが、この自学の習慣をテーマに沿って行うことで、自分の今を見ることができるし、コーディー会のメンバーの実情、そして今するべきことが見えてくる。

自学をして、それを共有すること、そしてまた自学にもどる、この繰り返しで日々の変化発展のスピード自体がUPすると考える。

サポーター達にはぜひおすすめしたい。

 

u       相手を知ること原理の適用そして発展の為の変更

原理の適用に関しては、私の認識の誤りから多くの人に混乱をきたしてしまったことを、謝らなければならない、私は当初上の部分でも行ったが、基準をどこに持っていくかということへの読み違いをしてしまった。これは、読む・書く・討論すると言う行為自体が何の意味があるのかへの同意を得ずに強要してしまったことだ。

強要するという事は、その人への教育に対する誤りであり、大人を相手に語るということへの誤りであったと感じる。そして今コーディー会の人たちに何をするべきかの認識の誤りであった。コーディー会は、ライフスタジオにはい入ってきてまもない人たちがくる場所でもあり、またコーディーと言うライフスタジオの業務の中でも中心的存在がくるところである、この2面性に向き合う事をして行くべきだったが、偏りがあった。

現場への実践と言う、大切な部分がなかなかうまくいかなかった事例であり、多くの反省と共に、何が大切かを教えてくれた。

相手を知ることである。

教育というものは認識を中心に吸えるべきだと言う言葉があるが、相手を知らずして何かをすすめるという事は多くの危険性を含んでいる。やる気のあった人たちの気をそいでしまうこともあるかもしれない、そして多くの大切な人材に対する方向性を間違えてしまうかもしれない。この3ヶ月間、相手を知ると言う行為についやしてきたといってもいい。

サポーターを知ること、そしてスタッフを知ること、この部分を抜かしてはすすめること自体が難しく、そこに価値を置くことは難しい。

そこでとった方法は、やはり話を聞くということだった。サポーターと話をしたり、スタッフと直接話をすることで、現状や必要な事へのアプローチを考えることでができる。当たり前だと思われるかもしれないが、これはなかなか簡単なことではない、今までの先人がこのことに多くの時間をついやあしてきたことを考えるとこれからの課題も見えてくる。

そして原理の適用と共に、発展の為の変更である。

本来であれば変更はなかなか受け入れられるものではない、しかしコーディー会では多くの変更が行われてきた、これは受けてくれる人たちもいたが変更すること自体に嫌悪感を抱く人たちもいるだろう。ここで変更するに安達大切なこと一貫性である。

ライフスタジオでは変更事項が多いと言う話をよく聞くが、あとからその話に何かを言ってくるひとはあまりいない、それは終始一貫性を持っているからであろう。

変化発展するとか多くの単語が出てくるが、これを果たすための変更であるので、みな納得するのだろう、コーディー会にはまだこの考え自体が薄いが、これは私の中での迷いが出てしまっているのではと反省をしている部分ではある、コーディー会も一貫性を持ち、変更自体を進んでいく道と捉える事を良しとするそんな会に作っていきたい。

 

u       サポーター会

昨年、2012年のコーディー会は何をしてくべきかを考え出した時、突如浮かんできたものがサポーター制度だった。突如だからといっていい加減なものではない、ものすごくひらめきと嬉しさがこみ上げてきた瞬間であった。

私にとっては心強い仲間を得ることであり、そしてそのサポーター達と共に歩むのだと考えるだけでももう何かを達成したような気持ちだった。

電話をし、やる気もあり、何かをしようとしているがチャンスがなかなかつかめきれないようなそんな人材がいた。いろんなメンバーがいたが、コーディーと言う部分に気持ちをかけている人たちが多く、そして何かをしたいと言う意欲もあった。

共にコーディー会を作って行こうと意思を確認しあい、始まってみたもののなかなかはじめからうまくいくことではなかった。プロジェクトを立てたり、チーム制をの導入等をやってきたが、サポーター達に今必要なことはなんだろうか。

それは成功体験であり、自らの人生へのビジョンではないだろうか。そこで先日サポーター会をしたのだが、サポーター達は、少しでも主導的に人生の道を歩んで言って欲しいという気持ちもあり、そんな話をしてみた、自分の夢の話、ライフスタジオで何をするべきなのか。一人のサポーターはこういっていた、ライフスタジオに長くいるが何をするべきかを今まさに考えていると、ここにいる意味やなんでこの仕事をしているのか、人生において今のこの時期をどうするのか。

皆悩むところでもあり、自分の人生や自分自身をどう捉えるかについて話を具体的にしていった。では今このサポーター会がその人生においてどんな位置なのか、自分自身においてなんなのか、一人一人考える時間になったと思う。

皆に感謝しているのは、私の気持ちを聞いてくれて、尊重してくれる部分でもあり、私の鏡のようにも見えるということである、他者を通じて自己の認識を高めるような気分でもあり、サポーターたちの悩みは、ライフスタジオに入ってする悩みの共通部分を多く捉えているし、問題の解決方法を探すその姿も、多くの共通点を持っている。すべての問題や課題が同じわけではないが、変化発展の過程の中で浮かび上がってくることである。

そんなメンバーを見ていると、自分のことのように感じられる、事もあるしライフスタジオの教育についても考えるようになる。

スタジオにおいての教育の意味や、いまライフスクールを店舗ごとに行なっている店舗もあるが、その部分の問題定義、オーナーとの関係性、そして新人教育、自分自身の人生について等、その口から出てくる言葉は多くを含み、私の目を高めてくれる。

各スタジオでの教育の意味も、大きな部分でありこれはスタッフの認識の差を生んでいる。

サポーター会でこんな話が出た、ライフスタジオにおいて何が重要かと言う話だった、それがどういったものかを話をしていた時に、店舗でそれを教わったと答える人と、店舗では業務中心でそれは後回しだったと言う人がいた、比較をするわけではないが、店舗で教えてもらい自分で考えて見た人はそれなりに時間が早いと感じた、店舗いでそういう話が日常化されていないこと、もしくは流されるままの人というのは、なにが大切なのか何をするべきなのかを考える速度が遅いように感じた。

到達地点は一緒でも、長い時間をかけなくてはならないのかと、そこにいく道を示して貰った人とではやはり違いがあるように感じる。

こう見たときに、店舗での教育というものの重要性を感じるのだが、それを皆がどう考えているのであろうか。

業務に合われて毎日を忙しくすごしているとそれで仕事をして人生を一生懸命いきているような気になる、しかしライフスタジオで大切にしていることとは違う道を歩んでいることで、教育や方針に疑問を感じることもあるだろう。それを乗り越えるのにエネルギーの大半を使ってしまう人をみることがある、既存の自分の枠にとらわれて自分自身に閉じこもりなぜこんな事をするのかとか、時間をなぜここに投資するのかとかそれを考えるだけで終わってしまう時間たち、これを店舗で教育できていれば店舗の単位で解決の糸口を探すことができた、しかしこれができていない現状を見る今、どうすべきかをコーディー会で考えることとなった。

サポーター会はこういった現状を把握できているだろうか、今のサポーター会もまた個人レベルでの解決すべき問題や、店舗での業務時間を優先的にこなし、一番後回しにされている問題だ、本来であれば、業務と教育は同時進行で成り立つものであり、同時進行であることで、実践と教育の相互作用が生まれる、そこで力がうまれ自分たちの課題や問題点の解決方法が見つかる。

今後のサポーター会課題は、教育と現場での業務の同時進行をいかに作って行くかだと考える。私たちは、業務にこそ教育で学んだ事を活かすべきなのである、お客様とどのように接するかとか、顧客満足一つをとって見ても自分自身で体系化されたもんい基づいて行うことがより理解し、そして変化発展をしていける事を考える。

コーディー会でもよく出る話の中に「楽しく」「楽しんで」と言う単語が使われる、今となってはなぜそんなにも楽しくにこだわるのかを少し理解できたつもりであるが、これを考えてみた時に、二通りを考えるひとつは心の平安である。これはマザーテレサの言葉の中にあったことであるが、心の平安を保つことがバカ騒ぎをするとか言う次元ではない楽しさ、安定感をうむということである。もう一つは変化発展、成長を感じた時に感じる楽しさである。今回考えたいのは二つ目の変化発展の楽しみである。コーディー会でも楽しくをモットーにと言う人が多いが、ではその楽しみとはどうやって生まれるものなのだろうか、人に楽しんでというくらいならその楽しみと言うことについて深く考えるべき気だと考える。

ライフスタジオはHPのトップに楽しみの空間であると写真館を定義している、ではお客様に写真館の定義を楽しみといっているからにはスタッフ自身にとっても写真館と言うものが楽しみの空間であるべきで、それを考えて見たときにスタッフの楽しみとはなんだろうか、私は楽しみと言う事を考えて見たときは、自分自身がたてた目標を達成する成功体験とか、自分自身が認識していた自分を超えることができた時など、多くの事を感じることができた。

仕事を楽しむと言う発想は、簡単にできることではないと考えている、しかしその中でどこに楽しみを見出すのか、そして教育の部分で楽しいをどう伝えるべきなのか、サポーター自身ももっと考えるべきであり、自分自身の現場で実践して行くべきであり、それを目標に掲げるならばその道を皆で見出して行くべきであり、その原理を解き明かすべきであると考える。

そして言葉だけではない、実践の業務の部分でいかにそれを発揮するのか、よく自分たちがたのしくなかたらお客様も楽しくないと言う話を聞くが、実際に聞いて見ると毎日の業務に追われてと言う話をきく、では日常に持っていく為の方法論を見出していくのがコーディー会の役目ではないのか、そのシステムの提示をしていくことが課題だと考ええいる。

今後サポーター達と考えていく。

 

u       ライフスタジオの教育

ライフスタジオにおいて、教育にかける時間は他の企業を圧倒するものがあるだろう、そして教育に関して重要だという話をさんざんしてきた、しかしスタッフ同士の話を聞いてみると教育と言うのは新人をいかに一人前にするかを言っているように聞こえる。いかに早く業務を教え、いかにうまくスタジオを回していくのかに尽きる、これの為に教育が大事とか、時間やお金を投資しているわけではない、今の現状を見て社長は投資してきただけの価値はなかったと言っていた、私自身も同じである、私に対して教育に関して投資された金額を思うと、6年間実践を通じた大学に通わせてもらいました位の金額は出るのでないかと考える、大学に対してあまりいい印象を持っていない私であるが、ライフスタジオ学院には大変お世話になった、そしてあまり気づいていなかった、社長がむかし会社を利用しろといっていたが、会社に利用されることしか考えていなかったし、つらさばかりが目についていた、しかし今考えるとよく退学にならなかったと言うことである。そしてこの実践を通じた教育と学習が私を、未来の教育と学習に目を向けさせてくれた、これからはさながら大学院の研究生のようである。こう考えると素晴らしいところだなと改めて感じるばかりである。実践と連動するということを考える時にまた浮かぶのは実践は最高の媒体であるということである、自分自身の媒体である、日々お客様と共にいる時間、そして討論や会議多くのスタッフとの時間等、これは言ってみれば自分の現れである。

自分自身が日々どう過ごしているかの媒体であるのだ。

企業と言うものをどう捉えるかを考える時に、社会の器であると言う事を言うが、企業も社会の投影であり、社会も企業の投影である。私たちのいる位置は企業の一員であり社会の一員であり、そしてその他多くの役割をになっている、こんな考え方も、自分への認識と、他者への認識においてもここで方法論を見出すことができた。

直接方法を教えてもらったわけではないが、その方法を見出す為の習慣を作ると言う行為を推奨してくれたことが大きかった。

ライフスタジオでの最切なことはここだと断言されているため、評価されたいという人間本来の欲求に従っていけば自ずとその習慣を身に付けない限り、このスタジオでは自分の場所を見つけることができない、そして自身のステージを見出すことはできないだろう。

 

ライフスタジオの教育は何を目指しており、今どの段階なのだろうか、そしてこれからどうするべきなのだろうかと言う部分を考えてみる。

今私が見たところの話である。

 

*ライフスタジオの教育の目指すところ

これを考えるにはライフスタジオの目指すところを考えて行くべきである。

ライフスタジオは、人に集中すると断言してきた、これの意味はなんだろうか、人に集中するということを写真館と言うものでやろうと思った人はいなかったように思う。写真館は技術職と言われ、機材とカメラマンと言う職業に彩られた世界であった、ここに人に集中しますと宣言して乗り込んだライフスタジオは、何を目指しているのは、それは人によって何ができるのか、人とはなんのか、人によって成り立つ社会の実現であるように考えている、今の世界はお金によって回っており、お金の裏にはそれを操る人たちがいる、それをもう一度本来の人を中心とした、人が本来持っているものを最大限生かすことによって何が生まれるかをこの社会に示していくようなことではないだろうか。

今後何年か後に、研究等でライフスタジオと言う企業を研究し論文を出すとしたらなんと書かれるのだろう。

企業と言う媒体を持って人と人とのつながり、そして人の中で生まれるもの、価値をもってどう生きていくのか、人生を自分で切り開いて行けるそんな人になるために、人が人を人としてを実現していくために。

教育があり、学習があり、実践がある。

その部分を抜かしてしまってはただの写真館である、技術をもった人たちがあつまり、お客様との表面的なふながりで経済活動をこなしていく場になりかねない。

人に集中するという事は、一番の競争力であり、人としての欲求を見たすものである。人はいつも認められたいと考えているし、何かに属したい、そして何かをはたしたいと言う欲求を抱えている。その中で自分が一番大切だと宣言され、そしてそこに集中していくと言われているのだから。

その人の変化発展、そこに集中する教育というものがライフスタジオの教育である。

そしてその変化発展自体が社会参加を促し、人生の主人となるべき一歩であり、道なのであると言っている。

 

*今どの段階か

では目指しているものはあるが、今の現状はどうなのであろうか、現状はコーディー会で明らかになった部分が大きい、教育に対する格差と現場への実践への意味付の不足である。

教育や学習は何か、天才や優秀な人を育てることではないのだ、自選を通じて人と人との間で教育し、教えられその一つ一つが自分のみになっていく、これが教育の醍醐味なのであって、何かを教えてもらうとか、知識をただ取り入れるとかそんなは要素であって全てではないのだ。

 

教育の格差については、上記で述べたように店舗内で教育に対する認識の差があり、認識の差を埋める方法の確率ができていない点を見る、これは未来のライフスタジオにも繋がってくるものだが、全国化等をした場合などシステムがないならばもっと深刻な事態を生み出すだろう。今の段階でも店舗感で教育の隠さ温度差があり、その中でスタッフは忙しい毎日が正解とは思えずに、日々を過ごしている、全体会議や討論等でその格差を減らしていく取り組みが行われてはいるが、まだその効果を実感するまでにはいかないのではないだろうか。これは個人の問題なのか、それとも全体で取り組むべき問題なのだろうか、今その格差をいい方向へ向けるべく、内部文化ということで、善の競争がなされているのではないだろうか、店舗内での実践に基づき目指すビジョンの共有とそして店舗間での競争、これがあるからこそ売上の安定している今は、動くことのできる部分である。

 

現場への実践の意味付の不足であるが、これも今年に入ってさらに取り上げられるようになった。我々の教育や取り組むの意味は、頭だけを大きくし、そこに向かうのが正解ではなく、日々の生活や、自分の人生にどう反映していくかである。

 

今の現状は、教育と学習は別物である場合が多い、サフサークル等で少しづつそのさや矛盾がちじまりつつあることを感じてはいるが、コーディー会でもまだその部分が弱いと感じる、店舗でも教育は受けてはいるが、日々の業務はそのままであると言う話を聞くし、感じる部分でもある、しかしそれは人生を受身で過ごしているだけのようにも見えるし、もっといい方法、自分のステージをここに決めたのならもっといい方法があるだろうにともどかしく感じる事もある。

 

本社では今それに向けて、別々に共にということで朝の時間と夕方の時間を持っている。人は毎日ご飯を食べるように、意識をするようになるだろうし、その意識の差が日々の生活に現れて行くのだろう。

 

デザイン室を例に取ると、日々のサイクルを生み出している、毎日の個人の時間を持つことにより、自分自身への認識を形成するようになるし、自分を組み立てるようになる、そして毎日の夕方の時間を持つことで全体への意識そして組織を動かして行くことを考える、このサイクルが現場への実践を促し、動く組織への展開へとつながるように今やっている最中である、このシステムが回りだすことにより、自分の人生を描くことができるようになるし、自分のステージを確信する道へとつながるだろう。

 

*今後どうするべきか

今後の展望としては、越谷に集中するという部分でもあるし、教育と言う部分では自分で選んでいき、そしてやはり善の競争が必要である、そして認識の方法にもあると考える。

そして習慣づくり、羅列してしまったが、今までライフスタジオで行ってきた事を、どう日々の生活や業務に実践していくのかのシステムを確立していく必要がある。

コーディー会で言えば、やはり討論して自分で考え、発表すると言うこと、そして自分で自分のステージを決めて選ぶということではないだろうか、コーディー会での主力メンバーと言うのはカメラマンになることもできるが、自分自身でコーディーを極めるということでやっている人も少なくない、その人たちは自分でコーディーと言うステージを今選んでいるのである、なので意欲がただいる人たちとは違う、このステージを自分にあったものを選ぶ能力というのも必要で、これは自分への認識をいかにしていくかによっても変わってくる。

越谷では、今チーム性をなくし、横の立場に皆がたった、これは私が考えるに、自分自身というものへの認識を確立し自分で自分のステージを選ぶことだと考える、こういうチャンスを与えるということが、教育の一環であり、今後の展望につながる、自分自身の認識を誤るとその時点でその日常は辛いものになっていくだろう、自分への認識を高め自分はどのステージを選ぶのかを見極めていく、その作業が必要だ。

 

そして善の競争である、これは個人レベルでも、店舗レベルでもチームレベルでも日々行われることではあるが、どう評価していくのか、インセンティブ制度の制定や構成員の前で賞賛を受ける、必要なものをあげる、給料をあげる、その中でも大きいのは、金銭的な欲求ももちろんだが、認められるということはモチベーションの面で大きな効果を有無、そして認められすぎていると人はそれに慣れてくる、その部分でもどうして行くかもあるだろう。その大きな部分が自己実現と言う単語が出てくるところではないだろうか、自己の存在意義を見出し、そこに力を注ぐこと、これは人が生きていく上での活力であり、社会に対して個人の取る、最上の貢献ではないだろうか、社会の中で自己のステージをみつけ、そこに力を注ぎ、この社会を見わ足した時に生かされていることを感じるだろう。人は不満等の矛先を社会に向け易い、しかしその中で自己実現をしていければそれは社会への肯定的な意味に捉えられる。

今の社会がすべてあっているというわけではないが、その部分で生かし生かされていることを感じることが社会参加への一歩ではないだろうか。

 

今後、教育の現場への実践へのシステム作りに尽力していきたいと考えている。

これができていけば、今までやって来たことの意味への再確認であるし、ライフスタジオの今後の道を照らすモノになるではないだろうか。。。

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