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カリキュラム

投稿日:2012/3/14

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カリキュラム

 

よく大学などでカリキュラムという言葉を使う、この言葉は教育課程というふうに囚われがちであるが、学習という意味も含まれる。

ただ教える過程というものではなく、学習する方法や、向かう方法等広範囲に上ることが多い。

私は昨年より、コーディネーター会でカリキュラムということを考えてはきたが、このカリキュラムを作る、そして実践するということの難しさや、実践への活路を見出すことへの道を模索してきた。

 

ライフスタジオでは、人が人を人としてということにより歩んでいるが、私たちの目指すところは果たしてどこなのか、今まで既存の社会のなかで学校に行ったり社会生活を行なってきた人たちがライフスタジオに入り、教育の場を通じどうなっていき、そして目指す人の像はどこにあるのだろうか。

 

ある新入社員は何を目指し、課題に取り組むかについて悩み、ある程度時を経た社員も、まだ分からずに、しばしば立ち止まり悩むことで自分自身を保とうとしている。

何かいいことを言っていいるし、お客様には喜んでいただいている、そして自分自身も嬉しさや楽しさを感じることがある、しかしこれがなんのか、何によってこの効果が生み出されているものなのか。

 

この部分を体系化することは可能であるのだおるか。

最初作ったカリキュラムは、社員に寄り添い実践の場での問題解決に力を注いできた。

そして自分自身が仕事をしながら抱える、悩み等を解決できる場としての役割を果たしてきた。

それは先輩が部下を慰める行為に終わってしまっては居なかったか、カリキュラムの目的の一つ、知識を得る為の場にはなれていなかったのではないか。

それは、私自身への準備不足であり、準備の不足さから曖昧さが見え、皆が目指すゴールさえも曖昧になってはいないだろうか。

 

ライフスタジオにはカリキュラムを組んで、1年計画として学習の道筋が建てられることがある。

それは1年という単位で、明確にこの段階までいくべき道が見えているとういうことでもある。ただこれがいつも願った通りに行くわけではなく、投資をした分帰ってくることのほうが少ない。

しかし私たちには明確に目指す像があるのだし、それはこの社会のなかで価値のあるものだろう。

同じような人造人間を作るのではない、人として生きていくことへのあくなき賞賛であり、そこにたどり着く道を最短で示して良ければと考えてもいるし、今の社会への警告でもあると考えている。今の社会との矛盾を解決するべく歩んでいるのだとかんがえる。

私自身もはじめからこんな風に考えていたわけではない、しかし今となっては使命感すら感じるのである、これは「悩む力」に出てきたもののような気もするし、人として何かをしたい、社会とつながりたいという欲求なのかもしれない。

そして何かが自分にはできるのではないかという期待も込められているだろう。

 

カリキュラムを考えるという事は、道筋を示し、秩序をつけて行くことだと考える。

目的を示し、このカリキュラムで自らを秩序付けることができるであろう。今このカリキュラムについて考えるという事は私のなかで、ライフスタジオを再定義する道であるし、言語かすることで、あらゆることに対する定義をなし、道を示していくことになるだろう。一人ではできることではない、自らが一番考え学習し、研究しそして同意を得る必要があるだろう。

この過程を自らがへない限り、道は開かない、カリキュラムを考えてきた多くの先人たちへの敬意を示して・・・

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