Staff Blog
本社
静岡プロジェクト5読書感想文「自分思考」
投稿日:2011/10/19
910 0
自分思考
山口絵理子 著
「自分思考」とは、自分を見つめ、見つけ出し、あくまで自分の価値基準=主観を持って道を切り開くこと。
であるといっている。
この本は、マザーハウス代表の山口絵理子さんが自分でやってきた思考について語っているエッセイである。
私とマザーハウスとの出会いは「情熱大陸」であった、あの有名な番組である。いつも見ているわけではないのだが、たまたま見た時に私と歳の変わらない女性がバングラディッシュの土地を歩きタクシーに乗っていた、誰だろうと思ったのだが釘付けになった。その人は出来ると思うんですよね…と言った。何が出来るのか。まったくわからなかったが見ていると涙が止まらなかった。この人は自分で道を切り開いて自分自身で進んでいた。昔から何かをしたいと漠然と考えていた私はやっている人がいると思ったら、素晴らしいと思ったことも含め、うらやましいと考えてしまった。それから毎日のようにHPを見てブログを読み、商品を買い、講演会に行って、直接話をしたこともあった。本も何度読んだかわからない。
講演会に行って思ったことはこんなに小さな人なんだということだった、しかし話し出したら声が以外に低くて飾らないにすごく引き込まれた。そこで違う国の人と仕事をするときに考えていることはありますか。と聞いたら違う国とかあんまり考えていない、一つの目的に向かう同士なのだといっていた。
そうか、それが文化なのかも知れない。
マザーハウスは現在はおくのメディアに取り上げられ支店も増え、売り上げも伸ばしている、そこにある文化は何だろう。そのヒントがこの「自分思考」に含まれているだろうと考えた。内部文化では、創業者の意思やビジョンが大きく作用され、行動様式がそれに伴う場合の事があったが。すごいと思うのは、全ての構成員がマザーハウスに入った瞬間、入る前から著者のビジョンに感銘し働きたくて、その文化の一員になりたくて入ってくる。その為に、意識の統一、ビジョンの統一がとても強いのではないだろうか。「マザーハウスらしさ」を皆が感じて、その仕事を誇りにしている。以前店長のトークショーというものが開催されていたのだが、そこに「マザーハウスらしさ」という言葉が出ていた。それは著者が意図して作ったものではないだろうが、それが浸透する文化がそこにあるのだろう。それがマザーハウスの美しさではないだろうか。
本に戻ると、情熱大陸での話が出てくる。プロデューサーに「どうしてそこまでやるんですか」と聞かれ、「出来ると思うんですよねぇ」と答える場面、今でも思い出すほど鮮明に覚えている場面である。私が今「デザイン室の内部文化について」と聞かれたら「出来ると思うんですよねぇ」と答えるだろう。100パーセントの確信に変わるとかではなく、自分自身で根拠があって、プロセスが完璧なわけじゃないけど、今やるべきことであって。直感のようなものである。
項目の中に変わることを恐れないということがある。「生物は変化を続けて進化してきた」この項目で、副社長の山崎氏の話が出てくる。外資系の証券会社ゴールドマンサックスでエコノミストをして活躍していたが、4年で辞めてマザーハウスに入社をした山崎氏。前職を辞めた理由について問われそこ時彼は「変化しないって、すごいリスクだよ」といっている。人類ははるか昔から少しずつ変化を続け、変わる環境に適合していった。その中で、進化を遂げて、今も生存している。自分が立ち止まっていても周りや環境は刻々と変化し続けている。マザーハウスの社訓に「変化することを恐れない」というものがる。世界の変化のスピードはものすごく早い、「こだわり」を持つことはすごく大事だが、それが全てを覆ってしまったらここまで生き残れなかっただろうといっている。これからも大きな変化が次々と起こるだろう。それに対してカメレオンのように柔軟に色を変えていけることが重要であると書いてある。そして心の中に大事な「核」を持ち続け、その周辺や細かい要素に関しては、真っ白な頭で柔軟に考えるkと尾が大事だと思うといっている。
ライフスタジオは変化発展する人に重点を置いている。人は、怠ける。私も楽な道をあゆもうとしてしまったり、体の言うこと(寝るとか休むとか課題をやらない)とかそんな風に言ってしまいがちである。しかし変化発展するというのは人間にとって、必要不可欠である。昔は変化発展しなければ世界に遅れを取っていただろうし、そして自らの命の危機が迫ってくることもあっただろう。たとえば農業なども環境の変化や政治力など多くの環境によって左右されているがそれに伴って農法を変えてきただろうし品種改良をしてきた。しかし現代は全ては豊かに鳴り物が余る時代、変化発展しなくても衣食住に困ることはあまりない、贅沢をしなければ仕事や苦労をしなくてもいいかもしれない。しかしそれでは外的部分だけが先に行って、内面の変化発展の遅れを取り戻すことが出来ないのではないだろうか。だから外国から見て日本は外的にはきらきらしているが笑ってないとか、目が生きていないとか言われるのではないだろうか。
人は、内外両面で変化発展するのが宿命とでも言うべきかの必要なことなのだと考える。それをいかにするか自分なりのプロセスを踏まなければならないのが今の現状である。sそして外部からの刺激を成長の糧として受け入れることである。その刺激に対して反発していては、せっかくの成長のチャンスを逃してしまうだろう。以前の静岡での社長の言葉が思いだされる。本社主導の話をしながら皆にどう思うのかと聞いてきたとき、皆大変になりそうだとかと答えていた。しかし、その刺激が自分から求めなくてそして与えられたものに対して消極的になっていたら変化発展できないという恐ろしい事態になるのである。その刺激を適切に与えられることはリーダーとしての技術でもなるだろう。
比較対象は誰?こんな項目もある。
最近、仕事が楽しいと感じる、楽しいというか価値を見出したというか、それはとてもシンプルだけど、昨日の自分よりも今日の自分明日の自分が良いと思えるようにすることだ。そう毎日少しづつでも変化して成長していると感じることである。これは比較対象を自分にしているから可能なことである。もし対象が誰か他の人だったならば、出来なかっ他だろう。今までと一緒に自分はできないとネガティブになっていただろう。
そかし、今は自分自身をみながら成長を感じるということに喜びを感じ、そして楽しいと思えるのだろう思う。そしてこれが広がっていけば楽しいという基準が変わるのではないかと思う。仕事をしながら楽しいと思うことは、難しいようで簡単なのだと思う。それは職種とかではなくて、自分の変化発展に視点を向けているから、小さなことでも感じことが出来るのである。人はなんにでも比較をしたがるけれど、ぶれない部分を持って自分と向き合うことをした方がより効果的であり、周りからも認められるであろうと考える。
退路を断ち、覚悟をする。
「一歩でも半歩でも踏み出してみること」と「その場に立ち止まって考えている」のとでは雲泥の差がある。「生みの苦しみ」という経験は、道が無かった場所に道を作り始めたというわずかな自身が付く。
そして「退路を断つこと」そこで自然と覚悟と強さが宿ってくる。退路をたつのは本当に勇気がいる。だけど0を1に出来た人間にしか見えない景色がある。そこまでの道はでこぼこだけど、先頭を歩いたからこそ、広がる地平線の広さを体で感じられる。この景色を一度見てしまったら、他の誰かの通ってきた道に対する興味や関心が薄れ、この景色を見続けたいと思うようになった。
この文章はこの本の中でも特に好きな部分である。
0を1にする、これは創造の部分である。創造という言葉は苦しんだ分花開くことだと思うし、そこに投入した分、切り開き自分で作ってきた喜びを感じられるのであろう。そしてこの著者は苦労してきたからこそ「本当の自由の喜び」を感じれたと書いてあった。ライフスタジオで自由について話をつることも多いのだが、その中でコーディネーターチームで、こんな質問を受けた「自由意志ってライフスタジオでよく使いますがよくわかりません」ということであった。そこで皆から出た話の内容は「自由はある程度の責任を遂行した後に訪れるものである」とか「責任の無い自由は無い」とか段階的に成熟するべきとか様ざまな意見が出たのだが、どれもあっているのだろう。ここでこの著者が言った自由というのは、自由の本来の意味そして喜びに付いてだと考えている。人は不自由や苦労を重ねたからこそ自由を感じるのであろうし、もしいつも開け放たれていたなら自由について考えただろうか、そして本当の自由の意味を考え、喜びをを感じただろうか。著者は多くの苦しみや苦労を重ねそして自分がやっていることについて、自由に対する喜びを感じれたということだろう。私たちの中に本当の自由、自由の喜びを感じた人がいるのだろうか。
そして上の文章の中に、この景色をいちど見てしまったら、他の誰かの通ってきた道を通れないというような話が出てくる。わが社の社長もそうなのだろうか。
経営者とはそうなのだろうか。きっとその誰もいない景色を見続ける事が創造する動機にもなるのであろう。
無から有を作るといつも聞いてきたが、そのような原理によるものなのだろう。
両立について
著者の両立は、デザイナーと経営者という立場である、著者はデザイナーであるため、現地に滞在したい気持ちと販売側の日本の経営に集中したい気持ちと双方がぶつかるのだといっていた。しかし悩みながらも今の答えは両立をしながら見つかる世界、価値に目を向けていると出ていた。両立することでしか得られない価値を今は追及しているということである。
私の場合もいつもこの悩みにぶつかっている、母という立場と仕事をするということである。保育園にいるお母さんたちを見るときも同じ悩みを毎日毎日抱えて、それでも尚愛をもって進んでいるのだなと感じると心に来るものがる。著者は言う、両方を分けて考えているとうまく行かないと、両方中途半端になって自分自身の負担になるということである。確かに私も仕事と育児を分けて考えるとなると双方を天秤にかけている気分になってくる。仕事はしたいからしているのか、育児はしっかりと出来ているのかなど、そして家事も出来ないのに仕事をするのかなど、悩みは耐えないのだが、最近は、今の状態は限界でも何でも無い私はまだ出来るということだった。支えてくれる人もいるし、仕事でもやりがいを感じる今となっては、育児にもいい影響があるのではないかと思ってさえもいる。これは個人的な意見なので、人それぞれだと思うのだが、両立をすることで、双方をいかにこなしていくかとか、時間は、優先順位はとか経済的な面でも毎日頭はフル回転である。この頭のフル回転がとてもいいのではないかと思っている。そして親の気もちもわかってきた。私の両親は働きながら5人の子供を育てた、そうおもうとスーパーウーマンではないかと思う。そして仕事にも変化が生まれてきた、それはより質の高い仕事をするようになったし、時間の使い方も好くなってきた。そして毎日が悩み、発展しているということは間違いないのではと思う。そんなに大きな変化ではないかも知れないが、自分の人生をいかに生きていくのかを考えてみたときには、必要な期間ではないかと思っている。著者も今は必要な期間であるといっている。今の努力や苦しみは必ず実を結ぶと信じているし、そして愛の力を感じることも出来る。
この本を読みながら、著者は自分自身で考えて行動するというそのシンプルな行為を大切にして、それを生かして今まで切り開いてきた。自分の思考なので、全て自分の責任であるし、考え抜いた先の世界を歩んでいるし、だからこそ一貫性があり、そして人が付いてくるのだろう。その潔さが創造力にもつながっているだろうし、それがあってこその著者なのだと考える。本や公演や人の話など、情報のあふれる今、自分で思考して行動する力を身につけることが人生の主人になる道であると考える。
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- Staff Blog