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未来を開く歴史-国家と個人の距離感

投稿日:2011/8/25

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未来を開く歴史

 

『国家と個人の距離感』

まず国家について考えてみる。(ウィキペディア参照)

国家(こっか)は、領域と人民に対して排他的な統治権を有する政治団体もしくは政治的共同体である。

国家の三要素

・領域(領土、領水、領空)- 一定に区画されている。

・人民(国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。

・権力ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対的に排他的に行使できなければならない、つまり、主権的でなければならない。

このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権、人民に対する権力を対人高権という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。

では個人とは何だろう。(コトバンク参照)

 国家や社会、また、ある集団に対して、それを構成する個々の人。一個人。

 所属する団体や地位などとは無関係な立場に立った人間としての一人。

ここでは1の構成する一人としての個人をとって考えてみる。

 

課題の中にもあったように、国家(私のとっては日本国)とはなんなのだろうか。

私は、父の仕事の関係もあり外国に住んだ経験もあるし、外国に言った経験も豊富といえるかもしれないが、そこで「私は日本人です」と意識する事は多々あった。

外国での日本への印象はたとえばトルコに行けば、市場では日本語で話しかけられもともと友好国であったためともいえるが日本は技術先進国、お金持ちという印象である。

アフリカに行ったときは、アジア系の人はみんな「チャイニーズ?」と聞かれ日本であるなしはあまり関係が無かったように思える、東洋人はみんな一緒のような印象を受けた。

そして中東に行ったときは、外国の人はみんな観光客でどこの国などはあまり関係がなく自分の国をまもることに専念しているように見えた。

あくまでも私自身が受けた印象であるが、日本人はいろんな顔を持っているという印象である。

島国の技術大国として、また独自の文化をもち、控えめな日本。

 

国家と私の距離感が、会社と私の距離感とも言えるということが課題の中にもあったのだが、確かにそうかもしれない、以前のブログにもアップしたが、何か遠くから眺めているような感覚に陥ることがある。毎日TVでは政権交代や体表選の話が出ているが、誰がなっても同じなのではないかとか、制度が変わったりすることが直接生活にかかわってくるという実感がないといいながら、遠くから不満を言うような形だ。

自分で何かをかえようという考えが無い証拠であるといえよう。

しかし、以前の課題で『人生の主人に』ということに行き着いた。人生は自分の生きる姿勢で決まるのではないかと、自分の人生に責任を持つこと、それを考えるようになってから会社との距離感が変わってきた。

まず、自分の被害者意識についてである。国家においても、企業においても被害者意識が生じることがある。自分はこんなにも尽くしているのにとか見返りが無いとか、国家においては尽くしているとは言いがたいが、景気がわるくなると国家の責任として自分を棚に上げるし、会社でいえば何か問題が起こったときに、私は自分のことはやっているとか、会社のことだから関係ないとか、自分は被害者であるという言葉を発しないまでも気持ちではそう思ってしまう。

これは自己中心ともいえるだろうし傲慢だともいえる。上記の国家の3要素の人民としての役割を自ら放棄をする形なのだ、国家や会社からの恩恵を受けながらも。

歴史についても同じことが言える、自分中心の考え方は被害者意識を生み、そして歴史から自分自身を遠くする。

知らないという言葉で片付けていった多くのことが、自分を人生の主人から遠ざける。

私たちに出来ることは小さいといえども、人生の主人が正義をもって正しい道を一人ひとりが歩むならば国家を形成する一人になりえるし、会社を形成する一人になりえる。

自分のこととしてとらえれば関心がうまれ考えがうまれ行動が備わっていくだろう。

国家のただの構成要素になるのか、国家の為の、会社のための構成要素になるのか。それは自分自身できめられることだし、それが自分自身を幸せに持っていく道であろう。私たちは現在国家の一員であり会社の一員であるのだから。

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