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未来を開く歴史

投稿日:2011/8/2

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未来を開く歴史。 . 歴史とは何のためのものなのか、ライフスクール課題であった『歴史とは何か』歴史とは過去と未来の対話であり、自己の主管の元にかかれたものであるが、それを自己中心的ではなく、未来を開く歴史としてどの様に捉えていくかだろうと考えた。 未来を開く歴史の討論をしながら、私は韓国で学生時代を過ごしたため日本の歴史は良く知らないと発言した事があった。 私は果たして誰なのか、日本の歴史を知らないといいながらサッカーでは日本を応援しながら外国の問題に涙を流す。 私のアイデンティティーはどこへむかっているのかと考えた。討論をしながら良いか悪いかに分かれて討論の課題を進めていったのだが、お互いに討論しながらも矛盾との戦いであるのだ。良いといいながら、心では悪いという意見を受け入れる自分がいるし話しをしながらも違う発言をしている自分に気付いた。 そして知らないという発言がどんなに簡単な逃げ道を自分で作っているかという事だ。何か事あるごとに知らないと繰り返す、それは何も知ろうとしないそしてそれを良しとする姿勢にあるのだろう。 コーディネーター会の今回の議題は『全てには意味がある』という事にしたのだ。全てには意味がある。これは知らないと言っていては何も生まれないという事の現れである。 ここで課題の原発についてである、私は以前から自然エネルギーに強い関心を持っており、盲目的にそれを良いものと思ってきた。日本に原発がこれほどあり世界に原発がこれほどたくさんあり、そして福島の原発の事故が起こるまで放射線というものを我が身で考える事も無かったのだ。毎日流れるTVでは節電をしようと歌い、電車は寒いという問い合わせが激減したそうだ。エネルギーは私達の生活を豊かにする、しかしエネルギー政策は本当に国民の為のものなのだろうか。書店には脱原発を掲げる本が並ぶ、一体なにを信じるべきなのか。 討論をしながら、実感したものがあった。 『人生の主人になる』である。 原発という一つの問題をとっても、知らないと逃げたくなるし、すこしTVで言っていればそれを信じてうなづいて、仕事でも何でも同じなのだ。 自分の人生の主人になるためにこの討論を私達は繰り返している。良いか悪いかと言う判断を自分自身で自己中心的ではなく、客観的にそして論理的に。 人生は判断の連続だ、その人生から逃げていくのではなく、正面から受け止めてそして初めて何かが動くのだ。 そんな自分自身になりたいし、その為に討論も課題も取り組んでいこうと考えた。 それが未来を開く私への第一歩ではないか。。。

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