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非リアルとの対話

投稿日:2016/11/11

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非リアルとの対話
 
モノクロームとは直訳する「一つの色」である。
とある人のコラムにこんなことが書かれてあった。
  • カラー=リアル=具体的=実用的
    モノクロ=非リアル=抽象的=芸術的
人々は実用性を求めて走ってきた。それはリアルを求める戦いであり具体的かつ実用性をそなえ
現実をそのまま映し出すカラー写真の普及と発達を促してきた。
では非リアルの追求であるモノクロでの表現を選択する理由はどこにあるのだろうか。
 
人は認識をする時に同時に多くのものを取り入れることができる。
逆にいうと情報の数を減らすことでより鮮明により強く認識をすることが出来るのではないだろうか。
モノクロの写真にある情報は色と形での表現である。
 
写真を見てみると、画面いっぱいに被写体が写りカメラのレンズを見ている。考えてみた。
写真はカメラマンが自らの目を通じて、カメラのレンズを通じて映し出した、ものである。
これが事実であり現実である。しかし被写体は何も介さず私の目に、認識に直接働きかけてくる。
本来あるはずのフィルターはなくなり、被写体と直接対話ができる感覚さえつかめる。
 
この感覚を与える理由を考えてみよう。

モノクロの非リアルさによって本来一枚の写真から得られる膨大な情報は選択をされており、
人が本来認識する、見慣れているカラーや空間等が遮断され、黒と言う単色の濃淡によって、
そして空間的な場所による認知等が無く左よりの被写体が帽子を目深にかぶり、
左の方の目が隠れた状態にある。片方のヒザを立て、腕は帽子をつかむために上に伸びている。

そして背景は被写体を中心に明暗を生み出している。
光は左からあたり、帽子の角度により被写体の顔ははっきりと2つに分けている。
目をひそめよりこちらを注意深く見ているようだ、端正な顔立ちの彼の目はまっすぐにこちらに向けられている。
 
人は内面に何かを潜めているほうが魅力的だという、彼の内面はカメラマンの意思により言葉を介さずともイメージとして直接的に伝わる。

私たちは人に深く入ろうとする。深く入ったかどうかは何かとして残るのだろうか。
私たちは写真で残すことが出来てこそ本物ではないだろうか。

被写体が直接私の目に、認識に働きかけてくるのは撮影の中でカメラマンとコーディネーターが被写体の中に深く入ったから、それがあってこそだ。
「非リアルとの対話」これはツールであって本質ではない。

しかし人に深く入ることを写真に残し写真を見る人たちにイメージとして与える一枚としてモノクロが果たす役割は大きい。
 
 

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