フォトジェニックPhotogenic

2018年7月のフォトジェニック

2018/9/3

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Life Studio Shimonoseki
Photo by kawano 

Title : 意志

 

ライフスタジオの写真とは何か。

人生の写真館とは何を意味するのか。

            

わたしたちの仕事とは何か。

 

ライフスタジオとして12年目を迎えた今、自分自身でもまた、

ひとつひとつ、丁寧に再定義をし、提示していくことの必要性を感じています。

 

 

 

 

 

ある日、生後1カ月になったばかりの赤ちゃんの姿を撮りたいとご予約のご連絡をいただきました。

確認のお電話をした際、

「赤ちゃんに巻く布や小さい衣装はありますか?赤ちゃんを入れるような籠はありますか?インスタでよく見るようなニューボーンのような雰囲気でポージングはできますか?セットは選べますか?」

そのような質問をいただきました。

 

 

、、、なるほど。

インスタでよく見るような。

 

あまりにも多くの写真が溢れている現在、インターネット上やSNS上で見たことのある写真であれば、カメラマンなら写真という写真は撮れると思われていることもあるかもしれません。

 

ただ、

その質問に対して、

 

「インスタで見かけるようなニューボーンの撮影は行っていません。

衣装も籠も小物も下関店にはご用意はありません。

ニューボーンなどの新生児や小さな赤ちゃんの撮影は、ニューボーン専門の特別な勉強をしたカメラマンが赤ちゃんやお母さんのコンディションに配慮して出張撮影を行なったりニューボーン専門のスタジオを持つことがほとんどです。」

 

そう答えました。

 

そして、

 

「ライフスタジオでの撮影は、一緒にスタジオで過ごす時間の中で、どんな風に家族と過ごすのか、家族にどんな表情を見せるのか、わたしたちとのコミュニケーションの中で笑ったり泣いたり、何年もかけてだんだん関係ができたりと、確認なんです。意思疎通をしながらの撮影を行っています。

それでもまだ小さな赤ちゃんたちはほとんど抱っこされたりのご家族写真メインだったり、ひとりの写真もいつもどおりの姿でできるだけ負担にならないような撮影を行います。

スタジオもたくさん様々なこどもたちがご来店しますし、撮影の最終枠ではペットが来ることもあり、もちろん衛生面に気を配って掃除もしていますがニューボーン専門ではないのでその部分も心配であり、なにより安全第一です。

インスタで見るニューボーンとしてイメージされているものとは違うと思いますし、生後1カ月の赤ちゃんのお出かけも大変で心配もあるので、スタジオでの撮影としてご家族との姿、ひとりの姿を撮るのであればもう少し時間を置いて、みなさんだいたい100日過ぎてからの撮影をおすすめしています。」

 

そうご説明させていただきました。

 

毎日暑い中で、生後1カ月の赤ちゃんがわざわざ撮影のために外出するということが心配でたまらず、下関にも出張カメラマンがいるというご案内もしました。

 

20分くらい、電話口で話したでしょうか。

 

それでも、

 

「でも、、、、、、やっぱり行きます。今の姿は今だけだから。」

 

そう、お母さんは言いました。

 

「もし気に入らなければ写真を買わないこともできますか?」

 

とのことだったので、

 

「もちろんです。」

 

そう答え、また少しお話をして電話を切りました。

 

 

なぜ、お母さんはそれでもここで写真を撮ろうと思ったのか?

ずっと、考えていました。

 

 

 

 

 

 

8年ほど前だったでしょうか。

居酒屋で隣り合ったおじさんから仕事は何をしているかと聞かれたので「写真館で働いています」

そう答えると、【じゃあなんで今、カメラを持ってないんだ?カメラマンのくせに。いつどこで、火事やら事故やらスクープがあるか分からない。そんな時に写真を撮ったら売り込めるじゃないか】今でも顔も言葉も全部覚えています。悔しかったから。

「わたしはそれを望んでいません。わたしはそれを写真として残したいと思っていません。そこに使命を感じる報道カメラマンがいるじゃないですか」絞り出しながら伝えました。

 

 

1年前。旅先の宿でこれまた言われたことがありました。

【カメラマンなのに、なんで旅にカメラを持ってこないんだ。いい風景を撮って、こんなにいい場所がありますよって伝えることがカメラマンとしての仕事だろ?】

あの日の居酒屋のおじさんが頭をよぎりました。

「誰でもカメラを持ってる時代、撮りたい人が撮ればいいし、伝えたい人が伝えればいい。なんぼでもいいように加工もできるし、本気で風景写真を撮ってる人だっている。

それでもわたしは旅は体ひとつがいい。

カメラがあるとどうしてもカメラを通して見るじゃないですか。どう撮ろうって。もっとよく撮ろうって。常に考えてますよ。夢の中でだって。

そうじゃなくて、旅に出るときは手ぶらでただ素直に見たいんです。体ひとつで心の感度を確かめるためにカメラを持たないって選択があってもいいじゃないですか。感度がなければ、自分の感覚を失ったら、またそこから写真なんて撮れない。」

感情的にならないよう、そう答えはしたもののその時もまた、悔しかった。

 

 

料理人がいつでもどこでも包丁持ってますか、大工さんがいつでもどこでもトンカチ持って出歩きますか、歌手がいつでも頼まれたらワンフレーズ歌いますか、

そんなこと口には出せなかったけど。

 

中華料理屋で料理人なんだから親子丼くらい作ってだなんて言わないでしょう、って、それくらいに、カメラマンなんだから、って言葉に違和感ばかり募りました。

シャッターを押せば写真は撮れると思われている現代で、カメラマンって、あなたの思うカメラマンってなんやねん、って。

 

そんなことを書いていて今、今の今、気づきました。

そのおじさんたちにこそ、ここで撮影している写真を見せればよかった、と。

「わたしが仕事として選んでいるのはこれです。」そこまで言えていたのだとしたらこんなにも悶々としていなかったかもしれません。

 

 

報道カメラマンも、建築写真家も、動物専門のカメラマンも、それ以外にも写真を生業として生きている人たちがいて、目的があって使命を持ってそれぞれがそれぞれに打ち込みながら写真を撮っています。

記念写真を仕事としている人も同様、ニューボーンはニューボーンとして魅力を感じて専門に学び行なっている人がいて、出張カメラマンにしかできない撮影に情熱を持っている人がいて、スタジオマンはスタジオマンとして修行をして自分のスタイルを築き、昔からの伝統を守り引き継ぐ人たちもいます。

それぞれが、それぞれに。

だからこそわたしも写真館としての仕事に魅力を感じ、そしてライフスタジオを選んだからこそ、この場所で何をするのかという命題にいつも向き合っています。

 

赤ちゃんであっても、キッズや大人であっても、ただ写真を目的とした対象物になってはならず、写真の前に考えなければならないことが山ほどある。

今はあまりにも多くの写真があるからこそイメージばかりが先行していて、そもそもなぜ写真を撮るのかという理由や意志がなければ、わたしたちにとってのカメラは料理人にとっての包丁ではなく、もしかすると凶器にもなるのかもしれません。

 

だからこそ、何を残していくのかを突き詰めなければ写真は残っても、大切なものは残らないのではないでしょうか。

 

スタジオだからこそできること、ライフスタジオとして行っていくこと、そこに自分の意志をきちんと持つことに意識を持ちながら。

 

 

ライフスタジオの写真とは何か。

人生の写真館とは何を意味するのか。

わたしたちの仕事とは何か。

 

 

考え続けるということ。

その必要性を、ここで一番学んだように思います。

 

 

わたしはここで、それでも生きようとする一生懸命な姿に対峙しながら、美しく生きるとはどういうことか改めて考えるようになりました。

 

そして撮影を通して、どう生きているかの確認を行い、どう生きて行くのかを考えながら、ただ写真を撮っているのではなく、その過程の中で存在としての確認をしているのだと感じるようになりました。

 

人間ドッグで体が健康かどうかの確認をするのであれば、写真撮影はひとつの心や成長の確認であり、自分としての人生の確認になり得るのではないか、と。

 

【意志と尊さ】

 

それが今のわたしの軸となっているものであり、存在としての美しさの記録をすることを、ここでの仕事であると考えています。

 

だからこそ、その意志をお互いに感じ合い表現するための空間やコミュニケーションが必要だと感じています。

 

 

 

 

 

 

それでもなぜ、お母さんはここに来ようと思ったのか?

 

当日、赤ちゃんと、お母さん、そしておばあちゃんの3世代で集まり、撮影する前も、撮影している時も、撮影が終わってからも、実際にお会いしてよく話をする中で分かったことがありました。

 

どうしても今の姿をきちんと写真館で残したかった、ということ。

それは、自分が赤ちゃんの頃にしてもらったことだから、、、と。

 

 

 

その、お母さんの意志を残すこと。

 

 

 

 

生後1カ月。

それでも命として存在してからは、もうすぐ1年。

 

1年、もうずっと一緒にいるということ。

 

 

この場所だからこそ、どう表現するか?

 

無理のないよう早く撮影するために、いくつかあるライティングの中から存在としての表現がより活きるものを考え準備し、目の前にある今の重みを感じるように、今のお互いの存在を重ね合わせるように、向き合って抱いてもらうことを提案しました。

 

ただ1回、大きなあくびをした瞬間。

あくびといえばその表情に目を引かれてしまいクローズアップによりがちでしたが、小さな赤ちゃんの、大きく息を吸い込んでぷっくりとふくらんだおなかを初めてまじまじと見て、

確かにもうこの世界に存在しながらしっかり生きているのだと感動しました。

 

おもいっきり呼吸をすること、全身に血が巡っているということ。

 

当たり前のようでかけがえのないことに、どれだけわたしたちは気づけているのだろう。

そんなことを、いつでも問われているような気がしています。

 

なぜ写真を撮るのか。

なぜ写真を撮りに行こうと思うのか。

 

 

お互いに考えられる関係の中で、大切なものを見失わないようにしていきたいと思っています。

 

 

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