フォトジェニックPhotogenic

2017年12月のフォトジェニック

2018/1/13

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tokorozawa photo
photo by volvo

Title :  色〜モノクロを使う理由〜

この一枚に至るまでの撮影の時間で現れたあなたの姿は
きっとあなたが撮影前に想像していたような
理想的な自分の姿ではなかったのではないかなと感じました

そんなあなたの「色」を写真で表現するには
物理的な「色」が無い方がいいのかもしれないと思って
原本データの中に一枚だけ、そっとこの写真を入れることにしました

 

撮られるのは好きだけど恥ずかしさを紛らわそうとしてついふざけてしまうというのは子供達のよくある行動のひとつです。
その行動自体を「彼女そのもの」として規定し撮影する事はいたって普通の流れですし、笑っている姿が見えればそれでよしとする事も普通です。
そうした彼女も本当の彼女であり、決して間違いではなく、普通だと思います。


でも、なんだかもう一歩踏み込みたい気持ちが私の中にありました。
そう思うのには理由があって、撮影中10回に1回ほど私たちの声掛けに対して急にラジオのチューニングがあったかのように
しっかりと受け止めて動いてくれる彼女がいたからです。

9回は違う方向を向いたり動いてごまかそうとする姿を見ながらその一回を逃さないようにして
どっちが本当の彼女なのかを見定める力が必要でしたが、ドレスのシーンになり
その答えを彼女の方から教えてくれる事になります。

 

撮影の合間、私が分類を終えて部屋に行くとドレスを着た彼女は自分の中の撮られたいという気持ちを
隠さず、照れを消し、堂々とした姿で私からの指示を待っているようでした。
それはひとつ前のシーンで見せた照れ隠しの表情はまるで存在していませんでした。

これは私の中に引っかかっていた彼女の本質を隠す何かを拭いされるかもしれないと思い
声掛けを続けましたが、どうにもせっかく彼女が自分の殻を破って出てきたのにその「彼女の色」を
写真で表現してあげる事ができないでいるような気がしながらシャッターを押し続けることに違和感を拭えないでいました。

恐らくは、照れを脱却した彼女からは撮ってほしいという本心に近い気持ちが現れたけれど
今度は「撮られる」という意識が彼女の身体中に駆け巡り、指先から目力までを作り上げてしまっているのが
原因ではないかとその時に直感的に感じました。

ファインダーをのぞきながら違和感としてふと私の前に主張してきたのは「物理的な色」と「わざとらしさ」でした。
物理的な色をもってわかりやすく彼女を表現する事は、どうしても彼女の内面に届かない何かが
つきまとう状態を作り上げ、そこから抜け出せませないまま時間を経過させました。
例えばモノクロで撮られた坂本龍馬を現代の技術でカラーにしてみたら奇抜な色の着物を着ていた
事がわかったように、「物理的な色」は写真により多くの意味付与をします。
うまく使えばその写真から伝えたい事を分かりやすく伝える事ができますが、
反対にうまく使わなければその要素を強く増幅させ、本当に伝えたい事が曖昧になったりもします。

私の中でモノクロを選択する一番の理由は「伝えたいものを色が邪魔しないように」する為です。
だからモノクロを選択はしましたが、彼女に似合うのは濃淡の少ない薄いモノクロです。
今は「撮られる喜び」が目に表れている。喜びを表すに濃淡の強い要素は違うと思い、
彼女にはライドボックスをできるだけ近くに背負ってもらいました。
 

輪郭を飛ばすほどの強さで光を当てる事は、女性を下から撮影するならば当たり前の方法であり、
写真右よりも左から光が回ってくるように位置付いてもらい、顔よりも頭が少し
暗い程度の明暗差になるようにする事は全体的な面積を減らす為です。

「わざとらしさ」を無くす為にはシャッターを押すタイミングを変える必要がありました。
前のシーンでは照れもあったためシャッターは声掛けと同時でした。
ドレスのシーンでは「撮られたい気持ち」が「わざとらしさ」を生む為、彼女を何らかのオーラが包み込みます。
そのオーラが消えるのは、声掛けをしてシャッター音がした2秒後。

その時にもう一度シャッターを切りました。

ドレスを着たプリンセスとしての彼女ではなく
撮られる事に対する内面的な喜びだけが撮れればいい。
「意思」が現れるのは「目」です。
だから目だけにフォーカスが当たれば良いと思ってクローズアップを選択し
それもできる限り余分を排除したセオリー通りのフレーミングで・・・。


写真分析を書く時に「感覚(感情的)な部分と技術的な部分のどちらかに偏ってしまう」という声をよく聞きます。
私も100枚以上の写真分析を書きながら未だにはっきりとした答えは持てていませんが、これだけはと思っているのは
「どちらが欠けても写真分析にはならない」という事です。

例えばモノクロ設定の事や光の事だけを詳しく述べたとしても「なぜそうしたのか?」に対する根拠が
技術だけでは説明する事ができませんし、反対に撮影過程や彼女の性格についてどんなに深く知ったとしても
「それをどう表現する?」という説明がなければ説得力がありません。

感情と技術は、写真を撮る為の目的と手段であり、写真に写す根拠と表現力です。
 

良い写真とは何か?

という問いに対して考察しながらもう何年も経ちます。
なかなか結論が出せずに苦しんでいますし、もしかしたら結論なんてないのかもしれません。
でも、この写真がモニターで出た時に喜んでくれたという事実は私たち撮影者とお客様の間に
ひとつの「答え合わせ」ができた事だと思っています。

こちらの主張がお客様にとって望むものとなるならば
それはひとつの「真理」と言えると思いますし
それが現れる事が「良い写真」なのかななんて思ったりもしている今日この頃です。

 

「彼女の色」を表現するには
「物理的な色」を無くして
「私の色」を入れる・・・

写真とは、私とあなたの人生の交差点を記録した「過去の一瞬を見せ続ける」時間旅行のようなものだと思っています

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