フォトジェニックPhotogenic

2017年1月のフォトジェニック

2017/3/16

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Photo by yatsu  cordi by Lisa     [ iris 002 ]

私は写真作家に憧れていました。
初めて観たフランスの写真家は、ロベール・ドアノー。
彼のパリ市庁舎前のキスを見て、
写真の持つドキュメンタリー性に思春期ながら心を奪われたわけです。
キャパやブレッソン。森山大道や東松照明、名前を挙げればきりがありませんが、
写真の対象は違えど、
今私もれっきとしたカメラマンであると自覚したとき、
烏滸がましいですが、彼らと同じ門をくぐったのだ思い込むことにしています。


「写真はどこまでも真実を守るもので、絵画の抽象化とは違った道を進むものである。
単なる写実ではなく、対象をどのように感じ、どのように強く受け入れるかということだ。
そこに何か本当に作者が闘っている姿がなければならない。」

これは、私が愛してやまない木村伊兵衛の言葉です。


「写真はどこまでも真実を守るものだ」という言葉の通り、
写真とは被写体・インテリア・衣装・小物・カメラマンの想像・関係性、
その存在すべてを映し出す鏡のようなものです。
長い時間をかけて作成する絵画とは違い、その判断を瞬時にしなくてはなりません。
写実ではなく、写真であることが、LifeStudioに求められているのだと思います。

では、写実ではなく、写真であることはどういうことなのでしょうか。

ありのままを写すのが写真であることに変わりはありません。しかし、明確に写実と写真は違うのです。
私はそれが「矛盾」という混沌だと思うのです。


不協和音という言葉があります。
2つ以上の音が同時に出されたとき、全体が調和しないで不安定な印象を与える和音のことです。
しかし、この不協和音は使い方次第で非常に美しく響く可能性を持っています。
君の名はで大ヒットしたRADWIMPSのスパークルという曲は、本来コードとして存在しない和音が含まれています。それがまた曲の存在感を際立たせているのです。

本来重ならないはずの音同士が重なることで起こる不協和音が美しい。
そこには大きな矛盾が生じているわけです。

写真も同様です。単に美しいものを写実するだけなら、
私たちカメラマンとは存在理由を見つけることが非常に困難だと思います。
美しくあるものは、逆立ちしても美しいのです。

写真とは、写実から自由になろうとして生まれたのかもしれません。


物事には始まりと終わりがあるように、私たちの世界も始まりと終わりが存在します。
私が思うに、
夫婦とは、ひとりの人間の、ひとつの世界の始まりを作ることが許された、自然界で最もシンプルな形式だと思っています。
約75億の人の中から出逢い、約1/140000000000000(1400兆分の1)の確率を乗り越えて育まれる命というものは、
希望・期待・夢といったポジティブな面だけではなく、不安・恐怖・というネガティブな面も抱えています。


母になること。
父になること。
目の前にある命をすべて受け止めていくこと。


撮影の際、ご夫婦がふたりぼっちになることを決めました。
私はカーテンの向こうに隠れて、ただ、ふたりぼっちになる。
初めての出産、撮影という緊張の中で、1番傍らにいて欲しい人が目の前にいる。
その人のお腹には、新しい命があって。
ひとりからふたりに。ふたりからさんにんに。
緊張の中にある安堵。
現実と幻想の境目になるように、レースのカーテンの隙間から、
そんなふたりぼっちの世界を覗くように撮影しました。

被写体が受ける光は全て自然光を使いました。
草加店特有の逆光です。
被写体が受ける100%の逆光は、想像以上に草加店のテーマである「神秘的」 にふさわしい表現をしてくれます。
前ボケに使ったこのレースのカーテンは、幻想的な空間と現実的な空間を分離するためにあえて順光を当てています。順光が出す光線と被写体とには距離があるため、被写体が受ける順光の影響は最小限にしています。
また、縦写真は安定感をもたらしやすい一方で、横写真は安定感を得ることが難しいのが特徴的です。
しかし、不協和音と同様に、横写真は使い方によって縦以上に安定感をもたらすことができる写真になります。

ー 美しさという想像を、創造する。 ー

ライフスタジオがいつまでもそういう空間であってほしいと願います。



生まれてくるお腹の子へ。生まれを待つ父と母へ。

HAPPINESS TO YOU.

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