店舗フォトジェニック集
Photogenic
Linda
投稿日:2025/11/15     更新日:2025/11/16
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美しさとは何か
ドブネズミはドブネズミなのに何が美しいのか、どこらへんが優しくてあたたかいのか、よく分からずにただただ歌っていた。
「写真には写らない美しさ」とは何なのか、ずっとどこかでひっかかっていた。
こどもながらに「うつくしい」とか「やさしい」とは何なのかぐるぐる考えていたのは、言葉は言葉としてそこにあるだけでまだ明確に自分の感覚としてなかったからだった。
気づけばずっと側溝に溜まって取れなくなったゴミばかりを撮っている時期があった。
フィルムも印画紙も高くて少ししか買えなかったのに、美しいと思われるもの、評価されそうなものではなく捨てられたタバコの吸い殻やプラスチックゴミばかりを撮っていた。 美しい場所を汚していないように見せかけているだけで隠され誤魔化されているもの。 ぱっと見は綺麗だけど足元の溝はゴミだらけの綺麗事。
美しさとは何かよく分からなくなった。
この世界を形容する単語は、人が人として過ごし生きてきた中でうまれ共感を得るための言葉であり、何かを区別するための引き出しで、時には心の動きを表すものだとしたら、すべての形容詞は同じようでひとりひとり微妙に違う。(と勝手に考え思っている。)
わたしが思う優しいと誰かの考える優しいも、わたしの楽しいと誰かの楽しいも違い、ついこの間までおしゃれだとかかわいいと言われ流行っていたものが、あっという間にそれはもう終わって次はこれ、と流れに流れていく。
世の中の一般的で全体的な美しいとか優しいとかあたたかいとかどうとかこうとか、そんなことを気にも留めずただただ生まれてきた自分自身の命を生きること、そんなドブネズミの姿を美しいと思ったのかどうなのか。
本当のところは分からないし、甲本ヒロト自身も「リンダ」は誰でもなんでもなく答えもないし自由に歌ってほしいと、リンダリンダのタイトルはあれど歌詞カードにその文字はない、そんなことを昨日知ったところで、この文章を書き始めています。
全ての形容詞は意識で曖昧で自由だ。
だからこそ
自分はどう思うか
自分はどう感じるか
自分自身の感性に向き合うこと
そして
ライフスタジオは何をうつくしいと定義しているのか、ライフスタジオとしての感性に向き合うこと、そのどちらも必要だと今でも思っています。
「美しさを表現する」
人は誰しも己の美しさを持っています。
撮影者の本当の能力は人の心と体を動かすこと。
ライフスタジオでは自分でも気付いてない 美しさをも引き出します。
これは20年前からずっと変わらずに李社長が言い続けてきたことでもあり「人は誰でも美しい」という想い。
もともとわたしがライフスタジオを知ったきっかけとなった一枚の写真は【カジュアルな服でレンズフードを持ったちいさなこどもがただカメラを見つめている】写真館の写真とは思わなかった、ただいつもどおりの姿。
一見普通で、でも案外残っていないような写真で、目を惹かれ「このスタジオは、これを美しいと思っている」そう腑に落ちた瞬間でした。
着物やドレスを着飾ってヘアメイクをしてももちろん美しく魅力的で、それらを纏わなくてもそのままの美しさがある。
「着飾った自分」と「いつもの自分」どちらも大切にしたいと思い、シックな空間も誰でもゴロゴロできる自分の部屋のような小さな空間も作っています。
小さな頃からずっと撮影してきた女の子、撮影はいつも制服や着物・ドレスでしっかり撮ることも多かったので、今回はコーディネーターyohちゃんの「私服では着ていないようなタイプの服だろうけど、でもきっと似合うと思う!」というこの子にとっては新鮮なカジュアルスタイルを女の子と一緒に選んで、わたしたちふたりと女の子3人だけの空間で、わいわいゴロゴロ過ごしました。
小学生になって数年、きっと学校も習い事もがんばっているのは十分感じていて、だから今は肩の力も全部抜いて、一緒に話して聞いて楽しむだけ。
「発散・解放」
自分自身を閉じ込めないこと、自分自身を感じること。
下関店で大切にしていることでもあり、どうすればそこにたどり着くかはいつも試行錯誤しており、それが目に見えて思いっきり発散してるなぁ、最高!と感じることもあれば、穏やかな中にでも心がお互いに気持ちよく、自分が自分としてニュートラルにいることができ、仕草や表情に現われる時、ただただきれいだなぁと見つめています。
写真に写らないのは撮っている自分自身でもあり、だからこそ写ってはいない想いを込めて。
長くなりましたが一言で言えば、毎日心の中でリンダリンダしている、ということでしょうか。
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