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下関店
scrollable
「gradually」
投稿日:2015/8/31
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人がどれだけいても、私は私でしかなくて、
あなたはあなたでしかない。
括られているようで、
結局はみんな1人の人であるということ。
私、あなた、家族、兄弟、姉妹、友人、先輩、後輩、同僚と
当たり前の存在だと思う存在は当たり前の存在ではないということ。
当たり前の存在として私が認識して初めて当たり前の存在になる。
そう認識するようになったのはいつからなのだろうか。
気付いたらではなく、認識するまでの過程があったから今こうして
私、あなた、家族、兄弟、友人、先輩、後輩、同僚としての関係が
形成されてきたのだと思います。
母親を母親と認識すると母親となり、
妹を妹だと認識すると妹は妹となる。
それでなく人は生きていくために
確かな関係を形成していくのだと思います。
その関係を確認させてくれるものとして、確認することができるものとして、
気付かせてくれるものとして、認識するものとして、
その1つに写真が存在すると思います。
言葉では「もの」として表現していますが、物でもなく者でもない、
見えないカタチのことをここではものと表現しています。
見えないカタチのことを言葉として明確には言えません。
それが関係なのか、生きることなのか、愛なのか、繋がりなのか家族なのか。
写真は嘘偽りないものが残っていく。
その残され続けるものが私たちの記憶として記録として今も残ってる。
最近、幼い頃の写真を見ながら話をした。
今も変わらないもの、変わったものが写真を見ていると笑えるくらい分かる。
表情、行動、動き、服装、仕草、性格、関係、空間、場所、決めポーズ。
それが視覚的なものとしてもそう。
視覚的ではない視覚から思い起こされる確かな記憶として。
そして、現在の自分自身を見たときに変化や成長に気付かされる。
どこで何を感じて、いつから何を感じて私が形成されていったのか?
今まで私が生きてきた中で残っている写真がある。
それが残っているからこそ改めて考えることが出来たり、
ここでいっている「もの」を確認することができるのではないでしょうか。
時が経っても、世代が変わっても、
その写真に残されている服装や髪型、場所が変わっていても
普遍的な「もの」を大切に、探し続けたいと思います。
shimonoseki Photo by yoh ,
coodinate by kawano
coodinate by kawano
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