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Photo-今の家族のかたち
投稿日:2016/8/17
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わたしの子どもの頃の話。
両親は共働きだった。
平日は幼稚園から帰ると母が帰宅するまで祖父母と過ごしていた。
祖父がパチンコで取ってきたお菓子をもらいながら一緒に大相撲をみ、祖母の和裁仕事をワクワクしながら隣で眺めていた。平日はそんな日々を過ごし、週末は家族みんなでどこかへ出かけ、ワイワイする。予定がなければ、家でだらだらとテレビを見て笑い合う。
そんな何でもない日々の流れが、今のわたしには幸せの記憶としてある。
この写真を撮影したとき、
家族で過ごす時間、なんでもない、特別でもない、当たり前の時間があったことを思い出させてくれる写真にしたい。それが写真として残っていることが幸せだと感じてもらいたいと思った。
パパがおもむろに、10歳になる一番上のお兄ちゃんを抱き上げる。
「来年にはもう抱っこできないかもしれない。最後かもしれないなぁ」とぼそっと語るパパ。
その表情はさみしさもあり、うれしさもありの何とも言えない表情だった。
子どもの成長は、あっという間だ。今の家族の形も今だけ。どんどん成長すれば体の大きさのバランスも変わってくる。その気持ちを瞬時にくみ取り、家族を誘導していくコーディ。
「抱っこする」ということが確信になるように、声掛け、家族をまとめてくれた。
私はそんなみんなの動きをあらゆる神経でとらえながらシャッターを切ることに集中した。
4人兄弟だから出来たポージング、パパとママが参加者として撮影を楽しんでくれたこと、コーディの提案にみんなが乗ってくれたこと。
すべての波長が合わさって、何気ない日の何気ない幸せの写真が残せた。
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両親は共働きだった。
平日は幼稚園から帰ると母が帰宅するまで祖父母と過ごしていた。
祖父がパチンコで取ってきたお菓子をもらいながら一緒に大相撲をみ、祖母の和裁仕事をワクワクしながら隣で眺めていた。平日はそんな日々を過ごし、週末は家族みんなでどこかへ出かけ、ワイワイする。予定がなければ、家でだらだらとテレビを見て笑い合う。
そんな何でもない日々の流れが、今のわたしには幸せの記憶としてある。
この写真を撮影したとき、
家族で過ごす時間、なんでもない、特別でもない、当たり前の時間があったことを思い出させてくれる写真にしたい。それが写真として残っていることが幸せだと感じてもらいたいと思った。
パパがおもむろに、10歳になる一番上のお兄ちゃんを抱き上げる。
「来年にはもう抱っこできないかもしれない。最後かもしれないなぁ」とぼそっと語るパパ。
その表情はさみしさもあり、うれしさもありの何とも言えない表情だった。
子どもの成長は、あっという間だ。今の家族の形も今だけ。どんどん成長すれば体の大きさのバランスも変わってくる。その気持ちを瞬時にくみ取り、家族を誘導していくコーディ。
「抱っこする」ということが確信になるように、声掛け、家族をまとめてくれた。
私はそんなみんなの動きをあらゆる神経でとらえながらシャッターを切ることに集中した。
4人兄弟だから出来たポージング、パパとママが参加者として撮影を楽しんでくれたこと、コーディの提案にみんなが乗ってくれたこと。
すべての波長が合わさって、何気ない日の何気ない幸せの写真が残せた。
camera:IKUYO
coordinator:SOO
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