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『まなざしのエクササイズ〜ポートレイト写真を撮るための批評と実践』 第二章 セルフ・ポートレイト・・・顔なし

投稿日:2014/8/21

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第二章 セルフ・ポートレイト・・・顔なし

 ポートレイトとは何なのか。

ポートレイト写真の歴史が始まったのは、1839年にカメラがとらえたイメージを固着させる方法を発明したとルイ・ダゲールが発表したとき。

そしたポートレイト撮影のスタジオがヨーロッパ全土に、やがてはアメリカにも広がった。それらで撮影される写真は、被写体の地位や出生地に関わらず、顔に重きを置いていた。顔はアイデンティティを表すためにならない記号として当たり前のように受け入れられていたのである。初期のポートレイト写真には個性やアイデンティティについての込み入った概念にはほとんどなく、ポートレイト写真は内面の自己とは無縁のものであった。自己とは、顔だけではない。自己とは身にまとうものでもある。さらにその身にまとうものの後ろにもまた自己は存在する。

しかし、顔というのは多くの感情を視覚化する。顔の筋肉がコントロールしている情動の表現は多くある。喜怒哀楽だけでなく、哀しむにしても、めそめそ、しくしく、ベソかいたり、それぞれ表現が変わってくる。感情を示す特徴的なサインが人間の顔に容易に表れるのである。つまり感情が宿る場所は顔であるといえる。

 

では、その顔を使わずしてセルフポートレイトを作成してみたらどうなるだろうか。とても難しい課題である。私自身、セルフポートレイトは何度もしたことはある。そのどれもが無意識に顔が見えるように撮られたもの。それを封じられるということは考える必要がある。身体の一部を切り取るのか、後ろ姿、影をセルフポートレイトとして見せるのか。それがどんな意味をもつのか。写真から顔が失われた時、私という存在は損なわれたことになるのか?

 

〈実践〉

セルフポートレイトを撮る上で、いままで「よく見せる」ことを無意識に考えていた。その「よく見せる」ことをやめてみる。そのために着飾ることを捨てた。つまり身につける衣類を脱ぎ捨てること。できるだけ有りのままを写せるようにと。けして見せる自信のない肉体を露わにして写すということは、自分の身体に向き合うことであり、誰しもコンプレックスを持っている。それを鮮明に写すのか、曖昧に写すのか。自分自身迷いがあったからこそ、その方法をとった。

自分のアイデンティティをどのように写していこうか。まずは自分の身体の部位を切り取ることから始めた。足から腕、臀部からまーあらゆるところをクローズアップでディテールに撮影。

その後、全身を撮影。顔の情報を消すために、長時間露光で顔だけを露出オーバーにしたり、足りなくしてみたり、顔だけ動かしブレを与え、顔としての役割をなくした。

 

フィルムカメラ(モノクロ)を使用。

三脚でカメラを固定し、セルフタイマー(10秒)設定使用。

 

 

 セルフポートレイトの面白いところは、カメラのファインダーをのぞきこむことができないことである。それができないと、構図やタイミングの判断など、シャッターボタンを押すための細かな判断を下すことが出来ない。つまり最終的なイメージを前持って思い浮かべられず、自分の気に入らない写真を自分で撮ってしまうかもしらないということ。撮った自分にも理解できない写真が生まれる可能性が高まるということである。

そこに「驚き」が生まれるのである。

それこそがこのセルフポートレイトの興味深いところであり、好奇心を奮い立たせるのである。

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