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『まなざしのエクササイズ〜ポートレイト写真を撮るための批評と実践〜』 第一章 「見るということ」

投稿日:2014/8/21

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『まなざしのエクササイズ〜ポートレイト写真を撮るための批評と実践』

 この書物を書店で見つけた時、これはもしかしたら自分の写真の価値観を大きく変形してくれるものだと確信し、手に取った。432ページという分厚い本を読むことなんて自分には到底考えられないことであったため、これは革命である。

私はこの本を最大限に活用し、自分がどのようになっていくかで好奇心がいっぱいだ!反面怖くもあるけど

この本は全部で12章あり、主に3つのパートにわかれている。まずポートレイト写真に特有のことがらをめぐる批評的あるいは歴史的な観点からの検証、さまざまな年代の実例作品、そして撮影のための課題。

それぞれに課題が用意されている。実践的かつ具体的な提案を示してあるので、さまざまなアプローチで課題に応じた状況をつくりだし、実験的なポートレイトの撮影を行える。

今回この一冊を使い、学習し実践を行うことにする。順不同にはなるが一章ずつ必要に応じて学習を行う。

 

ポートレイトを撮るに当たって、まずポートレイトとは何なのか少しは理解しておかなければならないだろう。

いままで何と無くポートレイトというと、人物写真?肖像写真?その人の魅力やアイデンティティを引き出すもの?なんて漠然と考えていた。

「写真を撮ってもいいですか?」と

「ポートレイトを撮りたい」とは違う。

本書では、前者は、相手が見知らぬ他人で。後者は、第一に相手のことを知っている。第二に「ポートレイト」という言葉が特別な意味を備えているという事実がある。この言葉はとても曖昧な説得力を与えるにも関わらず、何を求めているかは、はっきりとは表明していない。

前者より後者の方が被写体となる人物に、こちらの意図の真剣さが伝わるのである。

また「ポートレイト」とは合意に基づくプロセスの結果だという。撮影の対象となることに相手が同意してくれなくては始まらなく、同意を得るためにはある程度以上の信頼関係が必要になってくる。被写体はカメラの方に顔を向けている。そして撮影者と被写体を隔てる空間には、二人の間に交わされた契約が漂っている。合意によって形成されたこの空間を通じて、あらゆる種類の綱引きが行われることになる。そのやりとりを記録したものがポートレイト写真なのである。

 

私の中で漠然とあったポートレイトが、こうして文章化されることによって、明確化された。私は確実にこれまでポートレイトを撮影してきたことに、ホッとした。しかし私はどんなプロセスをもってポートレイトを撮影したきただろうか。この本を読み進めながら、自分を見つめると共に、被写体をいろいろな方法で、いろいろな角度から撮影する方法を本書から注意深く知っていければと思う。そして、それをそっくり実践するのでなく、材料として取り入れ、自分の持ち味に織り交ぜていければいいだろう。



第一章 「見るということ」    

ポートレイトを撮るとき、私は被写体をどれくらい繊細なまなざしで撮影してたろうか。被写体の顔の繊細な変化や身振り仕草に集中していたか。それを問われるこの第一章。

写真家リチャード・アヴェドンの撮影手法が紹介されている。彼は被写体を自然光で均等に照らしだす。彼らにはまったく影がない。まっさらな背景紙の前でポーズをとるというのが彼のトレードマークともいえるセッティングだという。その状況に落ち着かない様子の被写体たちの多くは、自分の手をどこにやればいいのか迷ってしまう。自身の内面に沈み込んでしまってしまう者もいる。しかしそれでも皆カメラに対峙している。

アヴェドンは被写体となる人物たちに話しかけることはしないという。そこに静寂が実体のある存在として感じられるようになるのである。撮影セッションの間、彼は長いレリーズでカメラに繋がれたまま部屋中を歩き回り、凝視しつづける。そうして一枚一枚撮影される。

そうして出来上がったポートレイトでは、被写体の存在そのものが写真家のまなざしの強烈さに飲み込まれている。

そこには威圧的なほどの写真家の存在感と主導権が所在しているのである。

 

〈実践〉

  初期のカメラは、撮影対象とただ向き合い続ける以外ほぼ何もできなかった。それは当時の感光乳剤は光に対する感度が低かったため、シャッタースピードがすごく遅く、レンズも光を通す速度も遅かったため、乳剤の表面に効率よく光が届かなかったためであった。被写体はカメラの真っ正面に固定され、長時間の露光の間はひたすら静止していなければならなかった。だから、初期の人物写真には独特の雰囲気を醸し出しているように感じる。そこには躍動感など全くない。そこには静止した被写体がいて、静けさが漂う。

アヴェドンの手法は、基本的な部分で、そういった写真初期の手法をいくつか取り入れている。

まず「静けさ」この静けさの効果を生み出すためには、ただ動かずにいるだけでは十分ではない。沈黙が必要になる。

そのためには何よりまず、撮影者が黙っていなければならない。スタジオ撮影のように声を張り上げることもしなけりゃ、気さくな会話で被写体を楽しませるという行為を捨てることである。

全く対照的な方法になるかもしれない。

撮影者と被写体がある種の儀式めいた領域へと入り込み、そこでお互いが人格や役割や仮面をつくり出すことで別の効果を発生させる。

その新たなプロセスを経て、結果どのような写真が生まれるのか?

この手法を用い撮影者と被写体の両方を実践した。

 

・条件

1.写真を撮らせてもらうことについて前もって同意をもらう以外、撮影セッション前に指示をいっさい出さないこと。伝えてもよいのは「座ったままか立ったまま、一箇所にとどまって、カメラをまっすぐ見つめてもらうことになる」という事実だけ。見つめてもらうのは撮影者ではなく、カメラのほうになる。

2.三脚にカメラを設置。被写体との位置関係を決め、ピントと露出を確定したら、動かさず置いておく。「見るという行為に集中する」のがテーマになるからである。

3.カメラの後ろに隠れないこと。

4.被写体とはずーーーーーっと話してはいけない。

5.15分間じっくり

6.恐れずに凝視する。

被写体は、入社からお世話になっている高津様。

椅子を準備し、座ってもらう

まず。ちー様と向き合うという時点で、照れてくるし緊張感に襲われる。会話をするならまだしもお互いに無言を貫く。

だいたい写真をとる空間は和やか雰囲気であることが多いし、それが大体にして心地よいからだ。

写真を撮るとなるとシャッターを押す指よりも口の方がよく動くくらい、無意識にといっていいほど喋っていることを実感する。無言になり静寂の中で張りつめる空気の中撮影は始まった。

無言であることは会話をしないということではない。言葉は交わさなくとも視線の方向やささいな表情の揺らぎ、何気ないちょっとした仕草が、被写体の心情を分かりやすく現れることをすごく感じられた。

私は撮影者として、何ごとにも動じないように表情も変えることなく被写体をじっと見つめる。

15分という時間は、それが沈黙の15分となった時、恐ろしく長い15分に変貌する。はじめの5分くらいは二人の空間だけ時の部屋のように感じられた。

静まり返る部屋で、次第にその緊張感が心地よくなって来て、トランス状態が襲ってくる。15分から60分に延長を願うほどに。

 被写体はというと、撮影されることは得意ではないため、身体は縮こまり、常に手を遊ばせている。股に挟んだり、顔を覆ったり、カメラにも視線をなかなか合わせようとしない。

なんとまあ分かりやすい人なのだろうか。これらの仕草は、カメラを前にして撮影される恥ずかしさはあったであろうけど、それ以上に私という人間が目の前にいることでの恥ずかしさもある。そして、この沈黙への何だか申し訳なくなるような恥ずかしさも存在していることだろう。しかしもしかしたら、それを過剰に演じているのかもしれない・・・恥ずかしがっているという仮面をつけているのかも・・・それはないか笑

 

 私とちー様という人間が向かい合うことにより、二人のまなざしは交差した。このセッションで撮られた写真は、二人の関係性の記録とも言える。

撮影者が私のような知り合いでなく、面識も何もない人だったらちー様はどのような人格が現れ、どんな役割をもってどんな仮面でカメラを見つめるのだろうか

今回の撮影は、普段のスタジオ撮影とは全く対照的な方法であった。あらためて、撮影手法について180度違う世界を見せられたようで、写真の世界の奥深さを知るキッカケになる章でした。

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