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『愛するということ』 エーリッヒ・フロム

投稿日:2012/8/26

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今月は3回目の学習休暇。特に大きな計画は立てずとにかく普段読めなっかた本を真剣に読むことにした。 以前教育プログラムで読んだ本だが、また2回目よんだらいすこし違う意味で心を打たれた本がありすこしご紹介をしたい。

この本の韓国語の訳は「愛の技術」という題名になっている。

愛が技術だとしたら、知識と努力が必要だ。しかし大体の人たちは愛は楽しい感情であり、偶然または運が良ければそこに「落ちる」ようなものとして考えている。

この本は愛が技術であるという前提で人を愛する、愛の技術を高めて生きましょうと語っている。 

一見、恋愛のノウハウを教えるか本に聞こえるが、「愛」が足りない日本現代の社会においてとても重要を事を考えさせてくれる。

 

愛なんかは学ぶ必要がないと思う人たちと共通点ある

  1. 愛の問題は「愛する」ことではなく、「愛される」ものとして考えている。

たとえば男性は成功して社会的な地位、権力、収入などの高める、女性は見た目を可愛くする、愛嬌とある程度の教養をもつと「愛される」ことは考えるが自分がどのように「愛する」かは、あんまり考えない。 

2. 愛の問題は「能力」の問題ではなく、「対象」の問題であるという仮定

 自分はすでに技術を持っているし「愛する」ことは簡単であり、愛する又は愛される「正しい相手だけを見つければ全てがうまく行く」と考えている。これは絵をかくのになんの技術もなく美しい対象だけあれば、美しく描けると主張するのと同じだということ。

 

自分自身をあげられる人はだれでも裕福。 あげることは物質的ことではなく、人間的な領域のことを上げること。人間的な領域のことは命ではなく、自分の中に生きているものごと。

たとえば自分の喜び、関心、理解、知識、ユウモ、自分の悲しみ、自分の中に生きている全てをあげること。自分の命で他人を豊かにすること、それは何か返してもらう為ではなく、あげること自体が絶妙な喜びである。自分があげることはまた他人を上げる人にさせ、二人とも新しい愛を誕生させる喜びに参加するという意味だ。

 

自分が1人の人間として、ある人を愛するということは

私はあなたを通して全ての人を愛する

私はあなたを通して世界を愛する

私はあなたを通して自分自身も愛する

 

愛は受動的な感情ではなく活動である。

愛は「参加すること」であり、「落ちるもの」ではない

愛は本来「あげる」ものであり、「もらう」ものではない

 

愛は自然的なものではなく技術的な問題になる。

愛は神様が与えたくれた能力であるので私たちが感じるまま行動すると愛が実践できるというあいまいな返事をするに現代社会と人間は複雑すぎで巧妙である。 なので愛を回復するには切実に技術が必要であるし、生まれ付きの人間の持つ能力ではなく訓練と忍耐と習得が必要な能力だという彼の理論は説得力がある。

幸せな人生が技術であるのと同じように、「愛も技術」である。

周りからどう愛されることを気にするより、愛していける為の自分の人間力を考えなくてはならないと思った。

じゃ。それではまずはお家の人から。。。

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