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大宮店
「公共性」-斉藤純一
投稿日:2012/5/31
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花粉症の季節が終わり、読書には良い季節のはずなのに、ここ数日「公共性」というわりとなじみのない言葉に溺れる日々を過ごした。しかしこの本を深く探れば探るほど、非常に考えさせられることとなった。
まずは、私達が属しているライフスタジオは「共同体」なのか「公共性」を持った集団なのか?今現在こうであれば、これからはどこを目指すべきなのかなどを考えてみた。どちらかを選んで白黒はっきりさせるというよりは、我々の属するライフスタジオが一企業である限り、まずは前提になるのが、「共同体」であり、その中で公共性を目指すべきなのではないかと思った。同じビジョンと意志を持った共同体でありながらも、いつかは変化、発展に行き詰るときがくるだろう。その次のステップとして目指すべきものが「公共性」なのではないか。
公共性は閉ざされた領域を持たずいつも開かれているにも関わらず、実際は「排除」が存在するという。
目線をそとの世界に向けて考えてみると、各国が自分の国の国益と国民を守るため発行している「VISA」もある意味、いらない者を排除するということなのではないか。
大昔はそもそも国境なんかなかったはずなのが、敵か?味方か?という二分化された考え方によって身内じゃないものは一旦は排除するという考え方が人間に浸透してきたのではないかと思う。普段の生活のなかにも、そのような支配者による二分化された排除の例は沢山あるように思う。
身近な自分が身をおいている組織のなかでも排除は存在している。
資本主義の歴史の中で人間が持つ可能性と人格は無視され、まるで工場の部品のように労働者が扱われてきた歴史がある、いまもそういう労働状況で働いている人が沢山いるのが現状だ。現場の生産性の高い効率だけを優先すれば、労働条件はより悪化し、そこで働く労働者の人権などは守られないだろう。
ライフスタジオは効率の良い人間は良い写真が撮れて、接客が良くて、客単価が高くて、そして様々で教育プログラムに文句を言わずに参加する、いわゆる「出来るスタッフ」が守られ、そうでない人間は排除される会社なのか?私は、ライフスタジオはそういうところではなく、人の可能性を尊重し、組織の効率より「人の成長」に集中しているところ、そしてそれを目指そうとする共同体だと信じたい。
そして今現在、ライフスタジオは「公共性」を目指している。
その証になるのが、教育プログラムの公開(一般参加可能)とHPへの情報公開。
会社の内部の情報を外に発する必要はないのではという見方もあるかもしれないが、ライフスタジオは写真館の領域を越え、公共性を持つことを目指しているのではないか。
社会に対して、自分の働く会社に対して、なにも考えずに毎日をすごしているだけでは私達は自己中心的な考え方に偏って皆がただ一時的な仲の良い共同体にしかなれない。
公共性を目指すためには、より共同体の中身を成熟させ、豊かな言説の資源を元に、さまざまな考え方が活発に論議されなければならない。
自分の意見や信念が多数派「マジョリティ」なものではなく、少数派「マイノリティ」なものだとしても、何もしない「孤独」を選ぶのではなく、対抗的公共圏を確立し意義申し立てのできる自分でありたい。また、一店舗の店長として、ライフスタジオの企業理念のもと同じ志を持つ者たちの共同体でありながらも、皆が自らの意志で考え意見を述べ合うことのできる公共性の実現されたスタジオを目指したい。
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