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大宮店
伝説を作りましょう!への反論!
投稿日:2018/7/27
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「伝説を作りましょう!」への反論!
「伝説を作りましょう!」と言いながら何かを達成するために、節目ごとに目標を設定して成し遂げることは有終の美を飾る。
そういう熱い人達に僕の考えが水をぶっさすような発言になるかもしれないが、自分の考えを少し述べたい。
(お話にまとまりがない、理解しがたい自分の勝手な哲学なので僕に興味がない方は読まないで下さいね。笑)
「伝説を作りましょう!」という世界観は一直線で歴史の年表みたいにどこからどこかにに向かっている。
線の歴史観では節目ごとに何かをしないと締まりがないので、伝説や歴史的事件という名で何かを意味付けしたり、定義しなければならない。
しかも「伝説を作った。」とその日の夜までの盛り上がりから、次の朝に目覚めた時の自分の変わらない日常へのギャップや虚しさが僕は耐えられない。 それは甲子園に出場しても数人の売れっ子の選手を除けば、ほとんどの学生達は日常に戻り、大学受験や就職などの資本主義を生きる永遠の課題は続くような感覚だ。
水が氷点下になったら氷になったり100度以上になると水蒸気になる量から質への伝化のような人生の大転換もあるが、
人間の日常は何かに達したところで自分の日常は変わらない。
大成功をしたり、伝説だと定義できる何かを成し遂げたとしても変わらない日常を送りながら、日々何かをコツコツ積み重ねている大きく構っているそんな自分でありたい。
僕が考える人間の人生は無数の点のような刹那がつながって線になったり、円になったり、場合によっては螺旋階段みたいに繰り返しながらもどこかに向かっていたりもする。
人生の目的や完成はどこかまで行けばたどり着くことではなく、その都度、その点の歴史の瞬間に意味を成し遂げることであり、完結することである。何かいいことがあった瞬間に喜びを分かちあうその瞬間が人生の完結である。
それはどこかに向かっていたりはしない。
だから、人間は今を精一杯生きなければならない。
今を精一杯生きることは簡単ではないが、理想の自分はそうあり続けたいと願っている。
「伝説を作りましょう。」は乾杯しながら美味しいビールが飲めるおつまみであり、何年も楽しく語れるその時のロマンスである。
しかしまだ自分はビールが美味しく飲めない。
夢や伝説を期待しないほうがいいと言いながらも、じつは自分も小さな伝説を作りたいと思っている。小さい夢がある。
子供達が将来大きくなってライフスタジオで働いているパパを見て、「あの有名な伝説のライフスタジオでパパが働いてたんだ!パパすごい!」と思ってくれれば、僕の夢はコンプリート!かな。
その為に線なの円なのか、螺旋なのか分からない道を今日もこつこつ走る。
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