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エドワードサイド著のオリエンタリズム(東洋に対する偏見と歪曲)

投稿日:2017/10/29

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先日Co2会議で討論した写真人文学の内容をすこし共有したい。
「オリエンタリズム」という言葉は「アジア系アメリカ人、東洋人」を意味する差別用語として、2016年度のアメリカのオバマ政権の時に公的な場では使用禁止になった言葉である。
エドワードサイド著の「オリエンタリズム」では「オリエンタリズムが権力と知識が絡んだ最低の言論」、「オリエンタリズムとは東洋を支配して再構成する為の西洋のスタイルである」と定義した。
 
写真人文学の第9章の内容を少し整理すると、西洋は「合理的、科学的、歴史的」で、東洋は「非合理、停滞的、一元化、劣等」などのキーワードで区分されるといっている。
そして東洋は「自己代弁が出来ない、主体的でない為、支配の対象である。」と支配を正当化したり、「東洋に関する研究は帝国の義務」としてとらえ、植民地支配をしようとする政治的目的も表している。
 
それは写真にも表れ近代化の風景には支配者達の言語のみと植民地支配を正当化する視線のみが存在して写真が権力の媒体として作用したという。 
 東洋に対する歪曲された西洋人の視線は文学や映画などでもよく表れる。             

東洋を「非合理、停滞的、劣等」として記録したSamuel Bourneの写真。↓


韓国のPhotographer Lim Jongjinの「カンボディア」という写真集は現地の人々の尊厳を大切にしている写真が目立っている。↓

貧困国であるカンボディアだが、彼の目にはカンボディアという国を「貧しく、未開、非合理、停滞的」目線で表すのでもなく、ありのままの人間模様をそのままうつしている。よくある自分の豊かな国と発展途上国の違いを見せびらかすのでもなく、人を自分と同じ人としてみる目線が彼の写真からは伝わる。
 
この章のまとめとしては。
-人を自分と同じ人としてとらえ、世の中をじっくり、深く見つめよう。
-写真を通して人と疎通して、他人と「分け合う」ことを実践すること。
-写真を撮る為に生きるのではなく、人との尊い人生を一緒に感じて、分かちあることの為に撮ることである。

 
アジア人である私達はヨロッパやアメリカ人の白人を対する態度と東南アジア、アフリカの人に対する態度で二重性を見せる傾向がある。サイドの話のようにオリエンタリズムを内面化してしまうと、東洋人と西洋人を「二重の基準」で判断するからである。このような矛盾した二重の態度をとる原因は何だろうか?

写真を仕事としている私達が「一人の人間として接する心構え」について考えさせられる。
 
 

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