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『七つの習慣ー人格主義の回復ー』で読み・書き・討論する vol.1

投稿日:2020/5/17

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さて、今回は『七つの習慣―人格主義の回復―』という超が付くほど有名な本を読んで、要約してみたいと思います~。

読んでいただけたら、ぜひご意見をコメントしてみてくださいね~。

 

今回のキーワードは3つ!

 

・人格主義と個性主義

・パラダイムシフト

・インサイドアウト

 

なんのこっちゃわからない!と思う人もいるかもしれませんね。では、少しずつ『七つの習慣』の世界に入り込んでみたいと思います!


 

本当の豊かさと幸福とは?

『七つの習慣』で、常に言われていることがあります。それが『豊かさ』と『幸福』と『成功』という言葉です。シンプルな言葉ですが、その言葉の本当の意味を知っているでしょうか?私は若いころは、お金をたくさん持っているという現象が豊かさと思っていましたし、幸福はそり多くの望みを達成することだと思っていたのでお金を持っていた方がいいじゃないかと思っていました。成功も、イメージ的にはお金持ちっていうイメージが強かったように思います。そう、お金が基準な視点を持っていたんですね。この本でも、そのことが言われています。今は、その固定概念にまみれている世界だと。そして、私たちがそうやって世界を見ていることは、その視点次第で人生変えることができるということだと。つまり、自分が持つ独自のレンズが、自分の世界観を生み出していくものです。それがその人自身の言動を表します。それはその人の生きてきた経験や感想の積み重ねなので、独自といえば聞こえがいいですが、常識や一般論にとらわれると自分にはそのように世界が見えるので、抜け出すことは難しいと言われています。だから、今は資本主義社会がすべてだと思い込んでいるというわけですね。ただし、常識や一般論は時代によって変化するし、自分に適用できるとは限らないんですよね。

読んでいて、私が10歳くらいに考えていたことを思い出していました。私は、10歳くらいの頃は大人になりたくありませんでした。それは、大人になるとお金を稼ぐことを中心に考えて生きていかなくてはいけないと思っていたからです。大人になって幸せになるにはお金をたくさん持っていなくちゃいけないんだ。だからお金そのものが好きじゃないのに、そのことを中心に考えなくてはいけないんだ。人生はなんてつらいんだ。こどものころの自由で楽しい毎日が一生続けばいいのになと。

今思えば、それは資本主義社会の生き方が自分には合っていなかったけど無理やり適用させて生きてきたんだなということに気が付きました。そして、自分の人生はそこから抜け出せないと思い込んでいたこともわかりました。だから、今思えば私の20代は、バイタリティはあったけれど決して楽しいと言えたものではありませんでした。これが一般論や常識にとらわれた見方をしている例ですね。自分に合っているとは限らないし、今の時代ならではの価値観とも言えますね。

ここで現代は個性主義中心の世界になっていると指摘しています。古典の本では人格の部分にフォーカスを当てているので、まず基本として人格を磨くというものが長年言われてきたことだというのに、いつの間にか変わってしまったと。そこに問題があるのだと。

・個性主義→成功とはスキルを以て周囲とうまくやることだという考え方。人格は関係ない。スキルでやっていく。how to的なもの。社会や周囲から評価をより得られるためにスキルやテクニックを磨くやり方。自己PRと人間関係さえよければいい。積極的な心構え。オンリーワンを目指すことで個性に適応した考えのように思われるが、オンリーワンを言った時点で相対的に自分自身を周囲と比べていることの証明であるので、真の個性主義とは言えないのでは?基準が外的要因に依存する。

・人格主義→誠意・謙虚・誠実・勇気・正義・忍耐・勤勉・質素・制約・黄金律など。人間の内面における人格的なもの。普遍的に善いとされているもの。基本的な原則。時代は関係ない。目的は、「実りのある人生・豊かな人生」。真の成功とは、外的要因に左右されない永続的な幸福を目指すこと。生きる上での全ての土台となる。例: お金に左右されない幸福とは、自分の中の豊かさの基準が物理的なものでないということ。一般的にはお金の数値が豊かさの指標だが、それに振り回されないこと。愛や記憶、人として生きる意思。

本では、人格主義こそが至上だ!みたいに書かれていますが、決して個性主義を否定しているわけではありません。どちらも必要ですが、理想は人格主義を基盤にした個性主義であることが重要だということです。

最近how to本が多いですよね。とにかく短期間で効率を上げる!とか、1ヶ月で人望を得る方法!とか、方法にしかフォーカスしていないですよね。人も、心構えとか姿勢の話を嫌がる人が多い気がします。それは私らしさが出ないとか言って。とにかく早く答えが聞きたいみたいな雰囲気を感じますよね。一段飛ばしで目的を達成したい!というのが目立つのは、そういった社会的風潮が原因のような気がします。人としてどうか、よりも、スキルを磨くというような。

本著では、社会で生きて成功するには、偉大が必要だということを述べています。それは下記の2つに分類されるようです。

第一の偉大さ(優れた人格を持つこと)=人格主義

人格こそ第一の偉大さ。社会的評価は第二の偉大さである。家族や友人などその場限りでは終わらない関係にこそ必要。欲や世間体に左右されないあるがままの自分、人格こそが本当の信頼関係を構築する。

第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)=個性主義

個性主義的なやり方のみでは、スキルやテクニックにフォーカスしがちなので、その物事の始め方や人として基本的な態度や考え・基盤に目を向けなくなってしまうため、人としての信頼を得られづらい。一時的な短い期間なら通用する。

つまり、まずは第一の偉大さである人格を磨くということが基本ということです。それはスキルでもテクニックではなく、嘘偽りない自分自身の姿でありあるがままの自分ということです。それが見せかけでない真の姿であり周囲に見えざる影響を与えるということになるらしいです。

そんな自分自身のあるがままなんて、何もないよ!欲ばかりだし、それよりも取り繕いでいいから自分の姿をつくったほうが善く見えていいんじゃないか?という声が聞こえてきそうですね。ここでいうあるがままの自分の姿とは、プライドや偏見、欲などからも解放された姿のことを言います。現代ではそういったものから解放された人の姿を想像することが難しいかもしれません。原則を知らないからです。知らないわけではなく、重要視されていなかったからいつの間にか忘れているのかもしれません。先ほど述べた人格主義は古くからある公正さや美徳などが基準となっているので、それを間違いだという人はいないでしょう。その間違いのない姿こそが、あるがままの姿ということですね。う~ん、ア・プリオリ!

その現代病とも言える個性主義が作り上げた世界で言う豊かさと幸福とは苦しいだけなのかなって思ってしまいます。結局、みんな個々の欲望が何よりも優先されてしまっているため、過酷で残酷な現実の中を歩んでいます。ストレス社会や過労、うつなどもそういった社会が生んだものでしょう。だって皆さん無理していますからね。だから、自分と社会とを切り離さずにはいられない。プライベートで現実逃避しないとストレスに埋もれてしまう恐怖もある。だけど、現実逃避は消費でしかないから絶えずお金が必要になってくる。負のループですね。

それって、お金という数値が高くても減ってしまえば不幸になるし、お金が無くなってしまう恐怖から抜け出せなくなってしまうんじゃないかって思います。それって本当に幸せなんですかね?本当の豊かさってどこにあるんですかね?


 

パラダイムシフト

パラダイムは、物事の見方。認識。解釈。現実を表す理論。説明。モデルとここでは書かれています。パラダイムは、あるがままの姿(現実)・あるべき姿(価値観)を見るようになっていて、それらは全てこうなんだ、こうあるべきなんだという思い込みであると。つまり他人や世界を見る目だけでなく、自分自身の姿を見る目も思い込みの可能性があるということですね。ライフスタジオでは哲学を勉強していた時期があって、哲学の基本ということで主観と客観という話をよくします。主観は自分が見る観点、客観は外部からみる観点ですね。原則として、主観で自分自身は見えないし、自分の世界観や感情・価値観が含まれてしまうので大体の場合は性格とはいいがたいです。つまり、自分が自分で世界や自分自身に色メガネをかけてみているわけです。その主観から脱して、客観を知ることが哲学的視点では重要と言われています。それは、主観から解放されて真実へと向かう道だと。いわゆる主観と客観の一致ということですね。客観は無数にあるので、その一致への道は果てしなく長いものですが。パラダイムはいわゆる主観から発生する見方や解釈だと思います。

では、パラダイムってどうやって形成されるの?ってことですが、生きてきた道のりでそう感じて考えてきたかが材料です。パラダイムに強い影響を与えるものは以下の2つです。

・経験→個人によって違う。同じ経験をする人間はいない。

・願望→望むものしか見えない。信じたいものしか信じられない。

パラダイムは、態度と行動の源泉だとここでは述べられています。だから自分のパラダイムを観察し分析しない限りは、個性主義のhow toでは変えられないし長続きしないとも言われています。パラダイムは立ち位置によって変わるので自分のパラダイムを理解しようとしても終わりがないのでは?と思います。実際そうだと思います。

例えば、いちスタッフだった人が店長になれば、スタッフだったころに見えなかった範囲が見え、視点が変わりますし言動が変わります。その人がスタッフだった時から知っていた人たちはまるで人が変わったと思うかもしれませんし、驚くと思います。それは、その人のパラダイムが変わったことにより起こった現象です。

違う例もあります。いつも優しいAさんが今週に入ってから素っ気なく感じ、気になったBさんはAさんに指摘をしましたが、「ほっといてほしい」とこれまた素っ気なく返されてしまいました。Bさんは嫌な気分になり一方的にAさんと距離を取りましたが、他の人づてにAさんのお父さんが亡くなっていたことを知りました。BさんはだからAさんの様子がおかしかったとわかり、自分の態度に後悔しました。そこで、Aさんに連絡をしてできる限り話を聞くことを伝え、二人の関係性は深まりました。

そういったことで、自分のパラダイムは変化し、言動が変わります。パラダイムというものは、自分の立ち位置によって変化するという不確かなものです。じゃあ世界を正確に知ることはできないの?と疑問に思うこでしょう。そんなの自分のパラダイムすら知ることさえもできないのではないか?と。

世界をあるがままに見ること(唯物論的)は誰しも出来てないと言えます。私たちのあるがままの世界(観念論的)しか見えていないとここで述べられています。それは、自分自身が自分自身のことを無意識に条件付けているから。私はこういう人だから、これはできない。これはやらないというのが例としてわかりやすいと思います。そう思っている人結構多いのではないでしょうか?それも自分自身で作ったパラダイムにとらわれているということですね。私もあなたも、みんなそうです。

『正しい事実は存在するが、認知によって解釈が変わりここの真実は違くなる。』

パラダイムが人によって違うということは問題ではないし、どうしようもできないもの。重要なのは自分のパラダイムを見つめ、現実に擦り合わせ、他者の意見に耳を傾けることなのかなと思います。(真実へ向かおうとすること。主観と客観の一致をしようとすること)それによって自身のパラダイムに責任が持てるようになり、より広い視野で物事を見ることが出来るようになるのはないかと。

パラダイムシフトは今まで信じていた価値観が変化することだとここでは言われています。流行・ブームによって趣味が変わるとか、今まで食べられなかったものが食べられるようになった。出来ないと思っていたものができるようになったなど。つまり成長もパラダイムシフトしたと言えるんじゃないかなと思います。コーディネーター視点からカメラマン視点になるなどでもパラダイムシフトが起こりますね。

パラダイムシフトを起こすきっかけは、現象から本質を知ったときが個人的には多いケースです。現象だけ捉えては本質は知れないから、現象を掘り下げて見る見方がパラダイムシフトを起こすには必要だと思います。how toでは、小手先は変わりますが自分自身の生きてきた視点は変わりませんので、パラダイムシフトできないということです。方法だけ変えてもパラダイムが変わらないと変化したとは言えないと思います。

さらにパラダイムと人格は切り離せないとも述べられています。見方はその人の在り方だから、人格を磨くことこそが成長であり変化になると。だからパラダイムシフトは、劇的な変化になるのだと。


 

原則とインサイドアウト

人格主義の土台は、人間の有意義な在り方を支配する原則があるということと述べられています。原則とはいかなる場合でも適用できる指針ということですね。それは生きていくうえでの羅針盤ということですかね。ここでは、原則は人によって度合いがあるが、必ず内面に潜んでいる・生まれながらにしてある公正さとあります。あ、これってア・プリオリですね。カントの。原則はあらゆる美徳であり、善の追求ともあります。カントとアリストテレスの概念ですね。つまり、人は生まれながらにして善なるものを知っていて、欲やプライドなどは後天的な付属品だから、それを抜きに美徳や善の判断基準で物事を見るということがみんなできるという説なんです。原則という性質は以下に簡単にまとめてみました。

・原則は手法ではなく、普遍的な真理。だれでもいつでもどこでも適用できるもの。

・原則は価値観ではない。原則は唯物論的現実。価値観は観念的。

・原則は基礎的で自明だから議論の余地すらない。

わかりやすいですね。原則の通りに生きることが重要だということですが、ここではパラダイムを原則に基づいたものであるようにすることで、より正確なパラダイムを知ることになり、すなわち人格を変化させることができると言っています。つまり、個性主義のみでは欠陥があるのは原則通りにはいかないからであり、指針を見失うということです。

原則をここで説明したのは、人の個々のオリジナリティはまずはこの原則の土台の上で在るべきということですね。そうでないと現代の諸問題が出てきてしまうと。人間関係は自らの価値観や主観が邪魔をして、自己防衛やプライドや意地もあるから、他者の話を聞けなくなるということになりかねません。そうなると、実際には人の視点のベクトルは他者にのみ向くこととなります。その前に自分はどうなんだって話ですよね。それに、わかりあえないままが幸せなはずがないです。そうならないようにするにはどうすればいいのか?ここでは、まずはちゃんと話を聞くこと。心を開くこと。理解したいと思うこと。大切なのは、その相手のことを考えて話すこと。それらしいアドバイスだけでは頭でっかちになり人間関係は築くことができないとあります。小学生の道徳の授業でも言われているようなことですが、大人になると軽視しがちです。そもそも軽視するほど大人ができていますかね。複雑にすることで誤魔化しているようにしか見えませんよね。原則を無視して、自分自身の姿を取り繕えばいつかはボロが出て、結果周囲との関係性は悪くなる。それはHow toではなんともならない。長続きしないからです。人格を補おうと、権威や外的な力に頼ると人は弱くなる。物事を成し遂げるのに他力本願が癖になる。関係性は押さえつけるようになり、恐怖的で支配的になっていきます。完全なる依存関係の出来上がりです。

他者にのみ目を向ける依存関係は、うまくいかないことがあったら誰かのせいにする、何かを判断する能力がないから誰かの指示を待つなどという現象があります。心当たりがある人はいるでしょう。私は心当たりがあります。人のせいにした方がその場は楽ですからね。ここで必要となってくるパラダイムは、インサイドアウトというものです。インサイドアウトとは、自分の内面を観察し分析することから始めること。変化は自分からすること。人格を高めようとすること。周囲は関係なく、自分自身を絶えず反省し続ける謙虚な姿勢ということです。つまり、外部や他者にいろいろ求め、期待し、依存するよりも、まずは自分自身の人格を高め絶え間ない反省をすることが必要ということです。私はそれをカメラマンになることで学びました。カメラマンの基本姿勢は撮影の責任者です。だから、何が起こってもカメラマンの責任です。写真の出来も、コーディネーターとの連携も、安全管理も、手が届かなくったってカメラマンの責任となります。それは、カメラマンという役割の性質上、全てのベクトルが自分に向かないと本質的に役割を果たせません。シャッターを切るということはその状況を写真に残して良しとする判断能力が求められます。それが適切でなければいけないですし、何が適切かはその状況によって異なります。だから、絶えず反省し何が善いのか求め続けます。その行為に名前を付けるとしたら自立へ向かうということでしょうか。

そう、インサイドアウトという思考軸は『自立』ということになります。まずは自立をするように努力し続けること。これでスタートラインに立ったことになります。

この本を読んで、いろいろと自分に刺さることも多いながらも、今までやってきた哲学と同じようなことも多いので懐かしい気分になりますね。

ではまた次回!

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