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ライフスタジオの企業理念の話 『人が、人を、人として』

投稿日:2020/4/24

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今回も企業理念の話をこのブログでしていければなと思ってPCに向かっています。お時間がありましたら、ぜひご関心を持って読んでいただければ嬉しいです。そして、ぜひコメント欄に質問やご意見をいただけれると一緒にお話しできるかと思います~。

 

さて、今回の内容は『人が、人を、人として』という理念です。

はい、ライフスタジオに在籍していたことのある人からすると、必ず聞くフレーズなのではないかと思います。このフレーズは、シンプルかつライフスタジオの本質の的を得ているものであると思います。このフレーズの意味を知っているからこそ、私たちはライフスタジオのスタッフでいられますし、このフレーズを体現しようとして動けているかどうかが私たちの判断基準になります。また、このことを意識しなければ写真も撮れないと思いますし、コーディネーターとしても臨機応変な提案も対応もできないと思います。

とはいっても、この言葉はシンプルなので新鮮味も無いし特に深く考える機会もなかなか無かったりします。なので、私の体験談も踏まえてお話をしていきたいと思います。


 

入社当初の話。

私は2012年1月に正式にライフスタジオに入社しました。とは言っても、私はライフスタジオをよく知って入社したわけではなく、当時、中途採用で入った会社がブライダルの写真を撮っていて、その会社がFC契約していたのがライフスタジオ横浜店でした。私は部ライフダル部門からスタジオ部門に異動になったという形式でライフスタジオに来ることになりました。ブライダルの前はアパレルの販売をしていたので、実際接客という仕事に私自身はわかりきっているつもりでした。

お客様が入ってきて、「いらっしゃいませ」という言葉を言いました。そこで、先輩に叱られました。ライフスタジオは「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」だと。それは、丁寧すぎればいいってものではなく、「人として」お客様に接するときに「いらっしゃいませ」は、私たちから「お客様」と「スタッフ」という線引きした立場を表すことになるので使わないようにと。そう言われて入社当初は疑問でした。「いらっしゃませ」が妥当ではなく、「こんにちは」がベストだと、そんなはずは今までの接客業の常識上無かったからです。

今となっては理解できるのですが、皆さんはどういった意味か分かりますか?


 

『人』とは、何か?

さて、ここで当たり前のように『人』という言葉を出していますが、この『人が、人を、人として』という言葉を理解するうえで欠かせないことは、『人』という言葉の奥深さを知ることになるのだと思います。この『人』ということはどういうことか皆さんはわかりますか?

『人』は『人』なんだから、今更何を言うのかと思われるかもしれません。『人』とは。『私』のことであり、『あなた』のことであり、この地球上にいる『みんな』のことを言います。さて、この『私』と『あなた』と『みんな』が『人』であるなら、わざわざ理念にしなくてもいいじゃないかと思うかもしれませんね。しかし、現代社会に生きる私たちは、自分が『人』であって、他者も『人』であって、私たちは見えない範囲にいるのも『人』であるという認識がうまくできなくなっているのではないかと思います。

実際、お店に行くと『お客様』と『スタッフ』になることが当然になっていませんか。そこでもし、そのお店のスタッフが自分の友達だったらどういう反応しますか?レジ前で携帯をいじりながら目も合わせず無愛想で受け答えしていたのがウソみたいに、急にフレンドリーになったりしませんか?その時点で、レジのスタッフが知り合いでなければ、無愛想に対応しても構わないと思っていることになりますね。それは果たして『人』として正しいのでしょうか?

まず、『人』として生きるということは、私は『人』として当然のことを行うことをして生きるということだと思います。そこには世間一般のなぜそうであるのかわからないような慣習や固定概念、常識などは介入しなくてもいいのだと思います。現代社会は、あまりにも『人』を『人』として見ることを忘れさせるようなことが多すぎて、大人たちはそれが一般常識だと思い込んでいるのかもしれません。忙しすぎて他人のことを自分と同一視することを面倒だと思っているのかもしれません。私はこの『人』がちゃんと『人』として考えて生きることができない社会だからこそ、『人』であることの認識が重要なんだと思います。

『人』とは、みな自分と『同じ』人間であり、同時に誰一人として同じ人はいないという『違う』人間であり、その総体が『人』なのだと思います。『同一世』と『相違性』の両方の面があるのが『人』なので、時に戸惑い面倒臭く感じるのもまた『人』の中で生きる宿命だと言えます。そして、自分と違う人がいることを否定もできないし、その点で自分が正しいと断言はできないので、人間社会で暮らしていく以上は常に考え、人と交わりながら、何がベストなのかを求め続けるのが『人』らしいのだと思います。だから、自分と同じように感じるのも人だし、自分と違うように感じるのも人です。

例えば、自分では理解できない考えの人が現れても、「自分とは違うのね」と関わりあうことをあきらめるのではなく、自分とその人が一緒に共通の目的で働くとしたらどういう言葉で説明したらいいのか、どう自分を表現するのか、自分がどう変化していくのか、ということを常にお互いに考えていく必要があります。その『人』自身を変えようとするのではなく、まずは自分が変化していくことも必要かもしれません。そのやり方も、考え方も、人によって違うので常に考え行動していくことが重要です。

ここまで言葉にして、なんだ『普通』のことじゃんと思うかもしれません。そう、私は『普通』のことをすればいいと思います。ただ、『平凡』になることはないと思っています。『普通』が時代や場所に関係なく、人として当たり前のことをすることですが、『平凡』はその他大勢に流されることを意味します。その他大勢に流されるということは、自分の判断基準をその他大勢に預けるということになりますので、考えなくなります。それでは自分が『人』であると言えませんね。『人』であるためには、判断基準も思考軸も誰かに預けてはいけないと思います。自律した考えを持とうとすること、常にその場とその人たちにとってベストを探すことが『人』ならば、その考えることすらも放棄できないものだと思います。こう考えていくと重く感じるのかもしれません。だけど、これが『人』として生きていくことの醍醐味ではないかと思います。多少面倒でもね。


 

『人が、人を、人として』とはすなわち。

『人』とは何かを考えることにキリはありません。終わりもありませんので、少なくともライフスタジオにいる以上は、その命題と向き合いながら判断していくことの連続だと思いますが、私にはそちらの方が難しいけどホッとすることの方が多かったように感じますし、その方が心から笑えることが多かったように感じます。

『人が』は主語です。なので、何かをする主体となるのでそれは『人である私』という意味になります。『人を』は目的語です。その行為の目的は『人』ということになりますから、その意味は『同じく人である他者』ということになります。『人として』は、助詞になりますがそれはこの後に続く動詞を補助する言葉です。なので、行動をするときにどう動くかということに指針となります。このとき、その助詞は『私とあなたを含むみんな』というニュアンスが含まれます。それを整理すると、『私』と『他者』が『一緒になる』ことを意味します。これがライフスタジオの基本的な理念の根幹として、判断基準として、そう在るべきものであると提唱されています。

私たちは撮影という行為のもと、同じ目的を持って、人としてお客様に接し、人としての共通理解と創意性を擦り合わせていきながら、関係を作りながら、心に響くような価値を創ろうと努力をしています。それがライフスタジオのファンを創る最大の要因です。それは、お客様へ向けてだけではなくて、スタッフ同士にも同様に『人として』接していくものであるということです。

『人が、人を、人として』とは、『人らしさ』を忘れてしまいがちな現代社会だからこそ、価値が出てくるものであり、それがお客様だけでなく私たちの人生も助けてくれるものだと思っています。


 

人についてはいろいろと語りつくせないものですが、哲学的な話がしたい方はぜひお話ししましょう~。

そして私がお勧めの『人』に関する哲学本はこちら↓

ハンナ・アーレント著 『人間の条件』

アリストテレス 「二コマコス倫理学」

古典はいいですね~。読んだからいたらぜひお話ししたいです!

 

 

では、また次回☆

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