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京都桂店
Fuka. 1
投稿日:2020/4/13
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Fuka. 1
Tokorozawa Photo
Photographer : Satsuki Kudo
Coordinator : Natsuko Takagawa
最近のあなたとの撮影は、対峙に近い感覚になる…。
出会ったのは2017年。まだ中学生だったあなたはモデルになるという夢に燃えていた。
当時、ヴィクトリアシークレットのファッションショーを観るのが好きだった私と、話が合って盛り上がった記憶がある。
出会った時のあなたは中学生にしてはやけに大人びていて、それはスタイルの良さ以上に、丁寧で礼儀正しい態度だったりとか、
綺麗な言葉遣いとか、
私たちにまで気を配ってくれるところとか…、
そんなところに私は大人っぽさを感じていたのかなぁ…。
いや、今思うと、大人の私たちよりも現実的に自分の将来を見据えていて、
ただ夢見るだけじゃなく、本当にモデルになろうと一生懸命努力をしている姿勢に、
そこにいる私たちの誰よりも、ちゃんと大人だったからだと思う。
出会った当時から、私はあなたを美しい人だと感じていた。
どちらかというと、見た目の美しさより先に、その心の美しさに尊敬を覚えていた。
自分の歳の半分以上年下の人を、こんなに尊敬することはなかった。
あなたのことをどうしたら、あなたの魅力をちゃんと写真に残せるのかということばかり考えていた。
ポージングも完璧。カメラマンである私との呼吸も完璧。
日々、トレーニングをして、ウォーキングの練習もして、努力をし続けるあなたは、
カメラの前に立つと待ってましたとばかりに本領発揮しようとしていた。
どんなカメラマンでも、あなたのことを魅力的に撮ることができるだろう。
だからこそ、私はやきもきしていた。
モデルとしてのあなたというよりは、あなたの内面を含んだあなたを撮りたかったから。
初めての撮影も、撮影自体は全く難しいものではなかったのだけど、
私は一人で奮闘したいたっけ。
何と戦っていたかと問われれば、それは自分の技術が足りないことと。
光も構図もポージングも、何も変じゃない。全部美しい。
だけど、足りない。
どんなにあなたの殻を崩そうとしても、殻とはなんかのかわからなくなるくらい迷走して、
だけど、それはあなたの内面をとらえる私自身の認識も、撮影技術も足りなくて、
かろうじてあなたの内面に近い写真をやっとこさ一枚くらい撮れる。
そんな感覚をその翌年も覚えながら撮った。
成長したあなたは、一年間さらに努力した姿が見れた。
ポージングの自然さが増し、表情が柔らかくなった。
私はますます奮闘していたと思う。言葉も、いつもより多かったと思う。
でも、その年は前の年よりも、あなたを現した写真が少し多く撮れたかな。
その次の年は、あなたはさらに大人っぽさを増し、
少し解放されたような表情でスタジオに来てくれた。
聞くと高校受験が終わったばかりだったそうだ。
第一志望の高校に受かり、ご褒美に撮影に来させてもらったとはしゃぐように教えてくれた。
その年の撮影は、あなたのいつもよりきらきらとした笑顔が見られたような気がした。
そして今年。2020年。
高校生になったあなたと会えた。
今回のあなたは、前の年のあなたと何か違った。
高校生なので、もうほとんど大人。
話し方も、たたずまいも、雰囲気も変わり、少し別人かのような印象を覚えた。
だから、少し戸惑った。
だからこそ、いつもより内面に深く入ろうと思った。
まず、私があなたを見ていつもと違ったと思った要素は何か?
それは、「静かさ」だったと思う。
いつも、丁寧で礼儀正しくて、おおげさにはしゃぐタイプではなかったけど、
今回は、とにかくあなたの内面にいつもはない「静かさ」を覚えた。
たぶんそれは、彼女の成長もそうだけど、この一年間で積み重ねてきた経験なのかなと思った。
この一年、様々なオーディションに参加していたようだった。
その中でうれしいこともあれば、きっと悔しいこともあったのだろう。
良いことだけではなく、挫折しそうなこともあったからこそ、
彼女自身の内面の器が大きくなっていたように感じた。
大きな舞台に立って、ステップアップしてきたからこそ、
そこでしか知ることのできない苦渋も味わってきたであろう彼女は、
とても大きく、静かに見えた。
笑顔もあったし、楽しく会話もした。
だけど、今のあなたの内面の美は、私から見えた美は、「静かさ」を湛えたものだった。
その時、頭をよぎったのが「プンクトゥム」と「ストゥディウム」という概念だ。
以前、写真人文学の学習に集中していた時期に、とことん考察した概念だ。
「プンクトゥム」とは直訳すると、「胸を打つような痛み・衝撃」のこと。
写真の概念としてわかりやすく言うなら、視覚的・物理的要素だけでは説明できないほどの、感覚的かつ衝動的な感動を指す。
「ストゥディウム」とは、反対に物理的・視覚的要素であり、だれが見てもそうであるという唯物論的な要素である。写真の中では、少々雑な言い方をすればインテリアや被写体の姿、光や構図などの構成要素のことを指す。
彼女の「ストゥディウム」はいつも完璧だ。
スタイルも良いし、ポージングも表情も年々熟練度が増していく。
撮影者はそれに、写真的な構成要素を整えていくだけでいい。
そうするだけで、彼女がいるだけで、良い写真が撮れる。
だけど、私はいつもそれじゃ足りないって思っていた。
彼女の外面の美しさだけで止まってはいけないと思っていた。
私が彼女に対して感じていた「プンクトゥム」はそれだけじゃ表現しきれないような気がしていた。
今回はとことん「プンクトゥム」を表現することにこだわりたかった。
もちろん75カットの原本の中にはたくさんのバリエーションの写真があるが、
1シーンの一つの流れでは、いつもより「プンクトゥム」に執着していたかもしれない。
写真は人の視覚的に形式しかないので、「ストゥディウム」でしかない。
だから、その「ストゥディウム」をどう操って、「プンクトゥム」を表すかが重要だ。
そのためには「ストゥディウム」一つ一つにどんな意味があるのか?に懸かっている。
意図的で意味的な「ストゥディウム」が多ければ多いほど、その写真は深くなる。
意味は広がり、「プンクトゥム」は姿を現す。
今回は、春のオレンジ色の日光をほぼ逆光ぎみの半逆光として使った。
彼女全体にかかる色味が、ノスタルジックな印象を醸し出す。
レースのトップスに合わせて、大きな白いキャペリンをかぶせた。
帽子は彼女の左目を隠すように鍔を折ることでミステリアスな雰囲気を演出する。
ポージングはあえてシンプルに。
表情は、やや左下を見てもらうだけにする。
レンズは85mm。F2.0。すべては彼女の姿を浮かび上がらせるように強調するために。
背景は、光とは対照的にやや水色だ。
その「ストゥディウム」を約10秒以内に組み合わせなければ、
微妙に彼女の表情が変わって、狙い通りの瞬間は過ぎ去ってしまう。
その「静か」で「深い」一瞬のために。
そうして撮った瞬間のこの写真が、今年の私の力量で表した彼女の「プンクトゥム」。
今はこれ以上撮れない。
私は、いつも被写体の内面を写したい。
それは、ここライフスタジオで教えてもらったこと。
それは、ここライフスタジオの撮影者が常に求めていくもの。
その姿勢が、ライフスタジオがライフスタジオであることの証明だと思う。
だけど、私たちはいつも「ストゥディウム」から逃げられない。
だから、内面を写す旅には完成がないし、終わりがない。
だから、いつだって、まだまだ足りない。
あなたは、そのことを知ることができる幸せを、いつも私に教えてくれる。
ありがとう。
また私にあなたの姿を撮らせてください。
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